後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

自分の国を大切にする心と愛国心

2008年07月10日 | 日記・エッセイ・コラム

他人が嫌がる言葉は使わない。満州は中国人が嫌がるから東北地区と言う。アメリカインディアンは本人たちが嫌がるからアメリカ原住民と言う。

それと同様に「愛国心」と言うと戦前の軍人優先の暗い社会や敗戦後の殺伐たる社会を思い出して暗澹たる気持ちになる人々が多いから使うのは控えよう。同じことを「自分の国を大切にする心や考え方」と表現すれば嫌なことを連想する人も少ない。建設的な響きを持った言葉ではないか。

高山さんのコメントへのお答えで、「自分の国を慈しむ心」という表現を用いたが、その意味が明確でなく抽象的過ぎる嫌いがある。そこで長々しいが、「自分の国を大切にする心」としたい。

そうすると前回の記事の題目、「若い人々の強い愛国心」は「若い人々の自国を大切にする強い心、考え」という表現になる。その延長には自国を大切にしている外国の人々も尊敬することも当然含まれる。自国を戦禍に巻き込まないように平和維持に努力する。経済、外交、文化、、あらゆる分野を通じて戦争にならない様に努力する。武力は最後の手段にする。これが「自国を大切にする心」の具体的な内容の私的な定義である。前回の記事へ高山さんから頂いたコメントに従って前回の記事の題目や語句を訂正した。

コメントを下さった高山さんへ感謝する次第です。

しかし、ゆき さんが使っている場合は原文通り「愛国心」を使わざるを得ない。原文を勝手に変えることは許されない。ご寛容頂きたい。(終わり)


山林の中の小屋ー岩魚の思い出ー

2008年07月10日 | 日記・エッセイ・コラム

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いろいろ行事が重なって6月中に、山林の中の小屋へ泊まりへ行けませんでした。小屋の魅力は敷地内を流れている小川です。毎年、5月になり水温が上がってくると岩魚が2、3匹登って来て産卵します。

上の左の写真は魚道の写真で、そこを上がったところが右の写真のようになっています。此処が岩魚の産卵場所のようです。

昨年、6月に岸辺にテーブル・椅子を置いて夕方から夜まで、岩魚の産卵を見ようと、ゆっくりビールを飲んでいました。

午後8時頃、水面の波音で岩魚が来たと思い、電灯をつけました。2匹の岩魚がもつれるように泳いでいます。流れの底へ1匹が腹をこすりつけています。そこへもう一匹が体当たりしています。20分くらいして、2匹とも何処かへ消えてしまいました。

昨年は、昼間に魚道の下で大きな虹鱒を2匹見ました。多分、養殖していたものが迷い込んだものでしょう。

毎年、6月から9月にわたって岩魚を1匹だけ見ますが、年によっては横腹に楕円形の斑点が数個ついている山女を一匹だけ見ることもあります。縄張りがあるらしく、みるのは決まって一匹だけです。産卵の時以外は。

小川の様子は、フォトアルバム「山林の中の小屋」に多数ありますのでご笑覧下さい。(終わり)


樹陰にひっそりと咲く紫陽花の風景

2008年07月10日 | 写真

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アジサイの葉が密生し、多数の花が押し合いながら咲いている光景をよく見かけます。素晴らしいとも思いますが、何か押し付けがましく感じるときもあります。自己主張が強すぎるのでしょう。しかし森の中や樹陰に咲くアジサイは楚々として控えめです。ひっそりと咲くアジサイの花の写真を6枚お届けします。

(大きい写真と下列左から2枚は宮城県栗原市一迫ゆり園にて、続く2枚は東京都調布市、深大寺城跡の斜面にて、最後の1枚は埼玉県行田市、古代蓮の里公園にて) (終わり)


若い人々の自分の国を大切にする強い心

2008年07月10日 | 日記・エッセイ・コラム

ブログをしている方々との交流を広げてみました。若い人々のブログも少し読みました。今日はその中から「自分の国を大切にする心」に関する文章を転載します。書いた方の筆名は「ゆき」、自衛隊へ入隊した経験の持ち主です。

老人は、この頃の若者は自分の国を大切に思わないで、お金にしか興味が無いと言います。大学の昔の同級会へ出ると、しきりにそういった若者非難をする仲間がいます。あまり本気で言っている様子でもないのでニヤニヤして聞き流しています。そんな”憂国”の老人へ贈る文章です。

=========ゆき さんの文章の抜粋============

自分の叔父さんは元海軍の神風特攻隊の生き残りでした。特攻機で飛び立ち天候が悪く島へ不時着したそうです。そこで終戦になったそうです。

自分は叔父さんに特攻に行く前はどんな気持ちだったか聞いた事があります。叔父さんは 自分の家族を守る為に国の為 と言いました。当時18歳だったそうです。
・・・中略・・・
叔父さんは先に行った仲間を忘れない為に腕に海軍の刺青を入れていました
エンジン関係の上場企業に就職し最終的には部長までなります
何時も言われたそうです 夏なのに何故長袖着ているの?
叔父さんは何時もごまかしていたそうです。消そうと思ったら消せたけど死ぬまで消さなかった。
自分が航空自衛隊に入隊した時はパイロットになれると喜んでいました。しかし入ったからには命を捨てもこの国を守れとキツク言われました。

・・・略・・・叔父の葬儀では日本の国旗を棺にかけました・・・・・・

皆が出来る事は簡単です。「思いやりの心と愛国心」
学校は道徳の授業に一番力を入れるべきです。・・・・
自分も戦争を知らない。しかし18歳で国の為に亡くなった方がたくさんいる。
その屍の上に私達は生活している。この事を忘れてはいけない。馬鹿な僕でも解かります。
自分も実戦は経験が有りませんが、銃弾が飛び散る世界は想像がつきます。訓練だけはやりましたので、

自分が小学校の時、余り悪さするので、校長先生から、お前みたいにしてたら、 
頭に鉄砲の弾があたるぞと殴られた事があります。

・・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しかし 入隊二年目に帰省し偶然 寿司屋で制服姿で食べていたら校長先生がいました。
「ゆき君かい?」
自分を見て泣いていました。あの悪ガキが立派に国を守っているって頭をなでてくれました。
校長先生が褒めてくれました。

今のお年寄りのおかげで平和な社会があるのです。
この実際にあった60年前の話はフィクションでは無いのです。
私達は平和な社会を与えて貰った。

命がけで日本の為に尽くした方を忘れてはいけない。
そしてこの平和な国を次の世代に渡さないといけない。


皆が平和な日本を維持する事は簡単です。思いやりの心と愛国心を持つ事です。

私はこの事だけは何処の職場に行っても話します。若い方はここまでの事を教育されていないです。話したら皆真剣に聞いてくれます。

=============以下略=====================

この文章へ対して17人の若い人々から投書がありました。投書の内容も素晴らしいです。

是非、全部をお読み下さい、

http://fanblogs.jp/dryuki/archive/157/0#comments

ゆき様への感謝とお詫び:  

転載させて頂きましたことに衷心より感謝します。また一部省略したことをお詫び申し上げます。(終わり)