後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

外国体験のいろいろ(53)乾いたタバコ有ります!

2008年07月11日 | 旅行記

アメリカ中部オハイオの夏、雑木林の中の河をアルミ製のカヌーで流れ下る。ちょっとした料金を支払って、上流で借り、10kmほど下流に舟をつける。出発場所に駐車した車のところへはシャトルバスで送ってくれる。

緩やかな流れなので鼻歌まじりで出発。ところがしばらくすると急に流れが速くなる。怖い!と思った瞬間、見事に転覆する。転覆すると思っていなかったのであわてて泳ぐ。と、手足が川底を叩く。膝くらいしかない浅瀬であった。独り苦笑いをしてカヌーをひっくり返し、水を出し、正常な状態に浮かべる。余裕がでて周りを見ると、後から来るカヌーが皆転覆している。悲鳴を上げて泳いで、立って、大笑いしている。

此処は急に流れが渦巻いて例外なく転覆するところである。すぐ浅瀬になるので危険は無い。一度ずぶ濡れになると怖い物が無い。しばらく下ると、岸の樹の幹に「乾いたタバコ有ります!」という看板がある。周りにはなにも無い。1990年当時は嫌煙運動もあまり盛んでなく男女を問わずよくタバコを吸っていた。つい乾いたタバコが欲しくなる。でも店など見えない。そんな看板がとぎれ、とぎれに3枚続いて、やっと岸辺に小さなコーヒーショップが見えてきた。ずぶ濡れのお客がカヌーを着けて、タバコをふかしながら、コーヒーを飲んでいる。

熱いコーヒーで元気が出る。また河下り。ところが今度は座礁する。櫂で河底を突いてもビクともしない。また河に降りて、舟を押して浅瀬を通過する。と、すぐに流れが2股に分かれている。さあ、どっちの流れに入れば下流の船着場へ行けるか? 皆目検討がつかない。周囲は雑木林で見通しが利かない。道案内の看板など一切無い。

間違った流れに入ると滝にでも行き着くのかもしれない。恐怖で顔が青くなるのが自分で分かる。舟は無常にも頓着なく流れて下る。ままよ、どうにでもなれ!と左の流れに入る。でも恐怖で顔がこわばる。1km位我慢して櫂を操っていた。なんとそこで2つの川が合流しているではないか!つまり、どちらでも良かったのだ。

船着場にカヌーを着けると、若い男がニヤニヤしながら手を引っ張ってくれる。「スリル満点で面白かったでしょう!」と言う。

出発する時、コースの説明書などは一切くれない。ただ、「アメリカ合衆国の憲法によると必ず救命ジャケットを着ること」、と冗談を言いながら着せて、紐が解けないように堅結びをしてくれる。

遊びにには多少危険が伴った方が面白い。リスクは自分の責任で回避する。遊びを提供している業者には責任が無い。

銃を持つ自由と、その危険の回避は個人の責任という文化をカヌー遊びで実感した。ささやかなエピソードだが、自分にとっては衝撃的なアメリカ文化の体験だった。(終わり)


静寂・水のある風景の写真

2008年07月11日 | 写真

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平日の午前。人声も風の音もしない静寂。樹木の緑、水蓮の緑に染まった水面が広がる。

平穏な時がゆっくりと流れて行く。それだけで心が楽しくなる。(終わり)

撮影場所:東京都調布市神代植物園にて、撮影日時:7月2日午前11時頃


もう一つの美しい文章をご紹介します。

2008年07月11日 | 日記・エッセイ・コラム

小生のブログでは異なる意見を尊重し、意義深い意見なら公平にご紹介します。

どの意見が正しいか?結論が出せるようなテーマであるか否か?などは読者の皆様がお考え頂ければ幸いです。

昨日は、ゆき氏のご意見を紹介しました。今日は高山氏のご意見を紹介します。

どちらもご自分の体験、家族の幸不幸にもとづいて長年考えてきたことを書いていますので、読んで「美しい内容だなあ!」と感じました。読者の多くの皆様もそのように感じて頂ければ嬉しく思います。

=======高山さんの二つのコメント===========

小生は、「愛国心」と聞くと、その名のもとに日本国民と他国の民を地獄に叩き込んだ先の戦争を思い出します。それは仕方ないことです。(そんな思いを持つ日本人は多いと思うーー藤山の追記)

日本の文化の優れた部分を尊重する為政者なら、そして善政を敷いてくれるなら、どこの国の人が日本を統治してもかまいません。郷土愛を強いる政治家へは、偏差なナショナリズム、おらが村さ一番の、阿呆らしさを感じてしまいます。

しかし、紛争を武力で解決する国々があり、アメリカの植民地である日本は、軍を持たざるを得ません。
そして、軍人である、ゆき氏は愛国心の名の下、命令されれば、どのような行為もとるよう教育されます。(ゆき 氏の場合は内発的に国を思い、自衛隊へ志願しました。――藤山の追記)

なぜ、世界愛・人類愛をうたわないのですか? 二度と「愛国心」が戦争に利用されることがありませんように!

(上記は7月10日のコメント)

個人的感情でとげのあるコメントになってしまい済みませんでした。「お国のために」が呪文のようにすべてを奪っていきました。母は、指輪や銀器を供出させられ、ピアノを敵製品として没収されました(ドイツ製で無くアメリカ製だった)。 これが勝ち戦だったら、まだ、その呪文は続いていたでしょう。
「党のため」「革命のため」、本当にきな臭いですね。「自由よ、汝の名において、いかほどの悪行がなされてきただろうか」(ロラン夫人)

平和憲法、といったって、現実にどこかへ敵が上陸してきたとき、自衛隊は戦うでしょう。しかし、どれだけ持ちこたえられるのでしょうか。海外派兵の際、同じ「愛国心」を持つその国の過激分子を殺さねばならなくなったら、不幸のきわみです。

ゆき氏を誹謗する気はまったくありません。誰かがやらねばならない仕事です。(この部分は7月11日のコメント)

以上の二つのコメントでは、一部語句の訂正・省略を致しましたが論旨は変わらないように致しました。高山さんへ感謝して、ご了解を頂ければ幸いです。

尚、上記の二つの高山氏のコメントの間に以下の小生のコメントを投稿しました。あわせてお読み頂ければ幸いです。

===========藤山から高山氏へ対するコメント===========

高山さん、
貴重なご意見を頂きまして有難う御座います。ゆき さんの文章を注意深く見ると、「愛国心」だけが独走していません。いつも「思いやりの心と愛国心」という対句を用いています。他人を思いやる心が本物なら他国の人々も思いやれます。この歯止めがあった上で、自分の国をいつくしむ心を「新しい愛国心」と小生は定義します。それは軍事優先の戦前の愛国心とは本質的に違います。使用することばが同じでは誤解を招くので別な漢字を考えてみます。それまでは新しい愛国心のことを「自国を慈しむ心」と表現します。

この心は学校で教えてはいけません。内発的に育つことが重要と思います。ゆき さんは学校では教わらなかった。内発的に「思いやりの心と愛国心」を育てて行った。この対句は ゆき さんが考え出した言葉です。そのことが重要と思います。
学校で強制すると戦前のような権力欲で世界が見えなくなった軍人に利用されやすくなります。現在は多くの若い人々が外国に住んで活躍しています。こいう人々には内発的な愛国心ー日本を慈しむ心ーが起きてきます。すくなくとも小生は外国に住んでいる間に新しい愛国心を持つようになりました。

若い人々には昔の日本人とは違う意味で「日本を慈しむ心」があると思います。日本を破滅へ導くような愛国心と日本が外国から尊敬されるようにする新しい愛国心とは本質的に違うと思います。

ついでに言えば、「特攻隊のお陰で現在の日本がある」、とい表現は曖昧すぎて議論が分かれると存知ます。

しかし権力を持っていない若者が先人への感謝の気持ちで心情的に言う場合は美しい響きをもちます。

同じことを中央官庁のお役人や政治家が言えば、きなくさい言葉になります。言う人は自分の立場を考えて発言しないと大変ネガテブな意味になってしまいます。
そういう微妙な言葉、暗い歴史を背負った言葉は、まず明快な定義をしてから議論すべきと存知ます。
高山さんのコメントで少し整理がつきました。また書きます。
貴重な、そしてより深く考えさせるコメントを頂き、有難う御座いました。
敬具、藤山杜人
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(終わり)