後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

恐ろしい写真をお送りします

2008年07月16日 | 写真

001 002 003 004 005

006 007 008 009 011

お酒の写真を撮って、ご紹介すれば、酒好きの方々に喜ばれると思いました。でも、あまりにも大量の酒類の山の写真を見て、空恐ろしくなってきました。こんなにも多量の酒を人々は夜毎に飲んでいる様子を想像して。

見たくない方々の為に小さなサムネイル写真にしました。ご覧になりたい方は、ご自分のお好きな酒をお探し下さい。日本酒、焼酎類、スコッチウイスキー類、ワイン、そしてビール箱の山積みの順になっています。値札も見える写真です。買って、飲んで、味を空想して、お楽しみ頂ければ嬉しいです。

筆者の好きなものはジョニーウオーカーの赤ラベル、それにさっぱりしたカテーサーク、少々余裕のある時はジョニ黒となります。

年老いてスコッチも強すぎて、最近はビールばかり。でもスコッチの味を思い出して楽しんでいます。(終わり)

撮影日時:7月16日午後2時頃、撮影場所:小金井市と小平市の境近辺のある業務用スーパーにて(一般客も歓迎)


私の東京ステーション

2008年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム

028

014 015 020 025 034

あれは昭和17年の夏だった。東京駅、中央通路に白いタイル貼りの円形水槽がある。数十匹の小魚が群れをなして円周に沿って一斉に泳いでいる。連戦連勝で日本中が湧いていた頃。仙台の大学で働いていた父が、夏になると兵庫県の田舎へ帰省する。あの小魚の群れは鰯だったのか、ハヤなどの淡水魚だったのか知らないが、6歳の幼児の網膜に焼きついて一生忘れ得ない。

翌年、昭和18年夏、魚の群泳を楽しみにして東京駅中央通路へ行く。無い。魚が居ない。空の白いタイルの水槽があるだけ。のちに考えると戦争が負け始めたのか、魚の水槽どころではなくなって来たのだろう。

そして何年も時が流れる。少し気持ちが少し落ち着いた。そんな時分に内田百閒の「百鬼園随筆集」や摩阿陀会に関する話を読んだ。百閒さんが好きになってしまう。鋭い人間描写を彼一流のユーモアをまじえて書いている。短い文章でも、味わい深い随筆になっている。つい吸い込まれるような作品が多い。

彼の書いたものには何時も東京ステーションホテルのダイニングが出て来る。

作品が好きになれば、関係する場所へも行ってみたくなる。1970年ころから東京ステーションホテルのダイニングへ時々行った。重厚な赤レンガの建物で、内装はヨーロッパ風のシックイ壁。昔風の黒い鉄の窓枠の外には、一番線の電車から新幹線の列車までよく見え、旅情をかきたてる。

ステーションホテルの正面入り口の階段を上がった所にウイスキーも出すコーヒー店がり、そこにもよく通った。仕事で人と会うときはよく使った店である。昼間はコーヒー、夕方になるとウイスキーの水割りと、どちらにしても便利な場所であった。

また何年かたった。丸の内中央改札口を出て右手にステーション・ギャラャリーが出来た。時々、絵画の企画展をするようになった。あれは20世紀が終わり、21世紀が始まった頃だったような気がする。

「戦没画学生の遺作展」があった。ポスターには母のような女性が描いてある。出征する前に精魂込めて描いた絵だ。企画展では数十枚の油絵が展示してある。戦争で死んだ画学生の作品。家族の人物像が多い。征く前に寸暇を惜しんで描いている。時間が無くなり、未完成のものもある。

パンフレットに遺作画を常時展示している、「無言舘」のことが紹介してある。泊がけで訪ねて行った。

無言舘は、長野県上田市、別所温泉近くの山中にある。車で、山の中を探しあぐねた末に辿り着いた。

鎮魂という言葉を連想させる、修道院のようなコンクリート製の建物がある。

戦没画学生の作品を常設展示している。館長が遺族を訪問し、一枚一枚集めた絵画である。

フォトアルバム「山林の中の小屋」の中に、無言館で買った絵葉書が出ている。本文末尾に再掲載しておいた。戦没画学生の絵の企画展のポスターに使われた絵である。

昨日、東京ステーションホテルやステーションギャラリーの写真を撮りに行った。

思わず、「ああ!来るのが遅すぎた!!」と声を出す。大改修中でホテルもギャラリーも完全閉鎖で、窓にはカーテンも無く、殺風景な様子。しばらくして、気を取り直し、工事中の無粋な塀が映らないようにして、東京駅の写真を数枚撮ってきた。

私の東京ステーションはセピア色の写真になってしまった。(終わり)

付記:フォトアルバム「山林の中の小屋」の写真を下に出しておきました。

12月末の小屋のデスク、クリスマスカードを数枚外国へ送る