あれは昭和17年の夏だった。東京駅、中央通路に白いタイル貼りの円形水槽がある。数十匹の小魚が群れをなして円周に沿って一斉に泳いでいる。連戦連勝で日本中が湧いていた頃。仙台の大学で働いていた父が、夏になると兵庫県の田舎へ帰省する。あの小魚の群れは鰯だったのか、ハヤなどの淡水魚だったのか知らないが、6歳の幼児の網膜に焼きついて一生忘れ得ない。
翌年、昭和18年夏、魚の群泳を楽しみにして東京駅中央通路へ行く。無い。魚が居ない。空の白いタイルの水槽があるだけ。のちに考えると戦争が負け始めたのか、魚の水槽どころではなくなって来たのだろう。
そして何年も時が流れる。少し気持ちが少し落ち着いた。そんな時分に内田百閒の「百鬼園随筆集」や摩阿陀会に関する話を読んだ。百閒さんが好きになってしまう。鋭い人間描写を彼一流のユーモアをまじえて書いている。短い文章でも、味わい深い随筆になっている。つい吸い込まれるような作品が多い。
彼の書いたものには何時も東京ステーションホテルのダイニングが出て来る。
作品が好きになれば、関係する場所へも行ってみたくなる。1970年ころから東京ステーションホテルのダイニングへ時々行った。重厚な赤レンガの建物で、内装はヨーロッパ風のシックイ壁。昔風の黒い鉄の窓枠の外には、一番線の電車から新幹線の列車までよく見え、旅情をかきたてる。
ステーションホテルの正面入り口の階段を上がった所にウイスキーも出すコーヒー店がり、そこにもよく通った。仕事で人と会うときはよく使った店である。昼間はコーヒー、夕方になるとウイスキーの水割りと、どちらにしても便利な場所であった。
また何年かたった。丸の内中央改札口を出て右手にステーション・ギャラャリーが出来た。時々、絵画の企画展をするようになった。あれは20世紀が終わり、21世紀が始まった頃だったような気がする。
「戦没画学生の遺作展」があった。ポスターには母のような女性が描いてある。出征する前に精魂込めて描いた絵だ。企画展では数十枚の油絵が展示してある。戦争で死んだ画学生の作品。家族の人物像が多い。征く前に寸暇を惜しんで描いている。時間が無くなり、未完成のものもある。
パンフレットに遺作画を常時展示している、「無言舘」のことが紹介してある。泊がけで訪ねて行った。
無言舘は、長野県上田市、別所温泉近くの山中にある。車で、山の中を探しあぐねた末に辿り着いた。
鎮魂という言葉を連想させる、修道院のようなコンクリート製の建物がある。
戦没画学生の作品を常設展示している。館長が遺族を訪問し、一枚一枚集めた絵画である。
フォトアルバム「山林の中の小屋」の中に、無言館で買った絵葉書が出ている。本文末尾に再掲載しておいた。戦没画学生の絵の企画展のポスターに使われた絵である。
昨日、東京ステーションホテルやステーションギャラリーの写真を撮りに行った。
思わず、「ああ!来るのが遅すぎた!!」と声を出す。大改修中でホテルもギャラリーも完全閉鎖で、窓にはカーテンも無く、殺風景な様子。しばらくして、気を取り直し、工事中の無粋な塀が映らないようにして、東京駅の写真を数枚撮ってきた。
私の東京ステーションはセピア色の写真になってしまった。(終わり)
付記:フォトアルバム「山林の中の小屋」の写真を下に出しておきました。