後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

水彩画ふうに宗教のある風景を描く(2)お寺さんの裏側は?

2008年10月01日 | 日記・エッセイ・コラム

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お寺の裏側には、普通、墓地が広がっている。お寺の住職一家の生活や、檀家の墓地などについて少し書いて見たいと思う。写真は大阪の能勢電鉄の写真と東京都下、旧日野村の石田寺の墓地の写真である。

筆者の祖父は兵庫県の田舎の曹同宗のお寺の住職であった。

仙台の大学に勤めていた父がお盆になると一家を連れて里帰りする。東北本線、東海道本線の長旅の後、大阪・梅田から阪急電車、能勢口で能勢電鉄へ乗り換え山下駅で降り、あとはタクシーという旅であった。生まれた昭和11年から毎年行っていたが、記憶に残っているのは4,5歳の頃からと思う。里帰りは戦後の昭和26年、中学校3年の夏まで続いたので10年間くらいの記憶である。

お寺は山合いのの端にあった。高い石垣を積み、小さな本堂、鐘楼、庫裏、客間の離れ、白壁の蔵が、狭い敷地にまとまって建っていた。石垣の上の白壁のところから全体が見下ろせた。箱庭のような眺めだった。

里帰りした一家は本堂の左奥にある離れに寝ていた。

お寺の生活は子供心に珍しく、いろいろ思い出がある。

お盆には近隣のお寺の住職が10人くらい集まり、本堂で、お経を読み、鐘やシンバルを鳴らして輪になって廻る。曹同宗がこのように派手な儀式をするのは、その後も見たことがない。の人々の先祖の供養と施餓鬼供養をしているのだ。本堂の左右の客間にはの人が合掌して座っている。人々は供える野菜や果物を祭壇に溢れるほど持ってくる。

お盆の間に、住職は、筆者と弟に子供用の墨染めの衣を着せてへ降りて行く。一軒一軒全ての家を廻って、仏壇へ向かって、一緒にお経を唱える。お経が終わると、どの家でも冷やしソーメンと果物を出してくれる。少し食べて帰ろうとすると、お布施の袋を3つ出してくれる。小坊主には小さな袋でくれる。これが子供にとって一番嬉しい。夏の小遣いが溜まるだけでなく、小さなお布施袋を貰うのが嬉しいのだ。

祖父母が死に、叔父が住職になってからは里帰りはしなくなった。

大学を卒業し、結婚し、生活の苦労をするようになって、能勢電鉄の奥にあった祖父母の暮らし考えるようになった。とにかく貧乏なお寺で、後に叔父に聞いたが現金収入が一切無かったという。

お寺の裏側は山が迫っていて墓地を作れない。の端の山裾の彼方此方に墓があった。お寺には位牌だけがあり、墓地の面倒を見ていない。毎年、檀家の人々が米を一年分寄進して蔵の中に蓄える。戦争中でそれも十分ではない。

檀家は農家なので現金収入が無い。それでも野菜が出来れば、毎日のように少しずつ寺へ持ってくる。田舎のお寺は、家族の生活を檀家だけに頼るわけには行かない。寺には昔から畑や田があり自給自足が出来るようになっている。従って住職の仕事は読経と、田畑の世話の両方をすることになる。

田舎のお寺の裏側にはいつも生活の苦労がつきまとっていた。しかし、それこそが、お釈迦様が住職へ期待している生活なのだ。

上の石田寺の墓地は広くて裕福な檀徒が多いように見える。住職一家の生活はそんなには困窮しないと思う。この寺の写真を掲げたのは理由がある。普通のお寺では墓地が本堂の裏にある。しかしこの石田寺では本堂の前の南側にある。

先祖の墓の全てを、いつも本尊様が、本堂の中から見守っているような設計になっている。お釈迦さまの慈悲の心が感じられます。

この石田寺の墓地の配置を考えた昔の住職さんへ敬意をささげたいと思いました。お寺の佇まいで、住職さんの考えが分かります。観光客から入場料をとったり駐車場を経営するのを釈迦様はお喜びでしょうか?非難は出来ませんが、いろいろなお寺があるものだと考えさせられます。

(終わり)


水彩画ふうに宗教のある風景を描く(1)無宗教の方々へ

2008年10月01日 | 日記・エッセイ・コラム

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(小金井市、東京サレジオ学園にて、10月1日午後4時20分、写す)

宗教は他人へ勧めるものでは無い。しかし宗教のある風景を軽い水彩画風に描いて見ようと思う。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

筆者の祖父と叔父は曹同宗のお寺の住職で、父は現役引退後、草深い田舎に、小さな寺を再建し住職になった。

しかし、誰も仏教のことを強要しなかった。

成人するにしたがって、なんとなく仏教のことを考えるようになった。その延長で1972年、36歳の時、カトリックの洗礼を受けた。仏教とカトリックが心の中で自然に繋がってきたと言える。いい加減といえばいい加減である。

南米大陸のカトリック教徒がマヤ文化などの土着信仰とカトリックを合わせて信仰しているように、筆者の宗教は仏教的なカトリックである。

そんな訳で親しい友人、知人と酒を交わすときは宗教の話題をよく出す。親しい人々なので本音を言い合う。そこで分かったが、多くの人が誇らしげに無宗教であると広言する。必要以上の大きな声で。お葬式もお墓もいらないと言う。それもサッパリして良いと思う。

でも、そのような人々は自覚はしていないが、皆な仏教徒のような気がする。お釈迦さまは、人間も全ての物体も空(くう)であると教えている。死は空(くう)に帰ることだから、お葬式やお墓にこだるのはいけない。無宗教だと言う人々は社会生活にも節度があり、善良な人々が多い。つい尊敬してしまう。ついでに三蔵法師は好きですか?弘法大師は好きですか?と聞いてみる。大部分の人は目を輝かして好きだと答える。

外国から日本の風景を想像してみるとお寺や神社のある風景が多く想像できる。人々は何時も墓を綺麗にし、花々を供えている。本人が不要だといっても、死んだら遺族がお寺で葬式をしている。家々には仏壇があり、盆には僧侶が読経に来てくれる。

外国から見れば日本は素晴らしい仏教国である。本人達が、いや日本は無宗教国ですと主張しても、誰も信じない。

水彩画風に描けば、無宗教の青い色も、仏教の赤い色も、キリスト教の黄色の色も抽象画を構成しながらその境界は混じりあって判然としない。水彩画の絵の具のように自然に混じり合っている。

筆者の心の中では、無宗教も仏教もキリスト教も行ったり来たりして、その境界が判然としない時がある。宗教とはそのようなものと理解している。

それでは欧米人ではどうなのか?簡単である。キリスト教と無宗教の間を行ったり来たりしている。時々、悪魔へ魂を売り飛ばしている。人間はそのようなものです。

しかし、欧米人とお酒を一緒に飲むときは「私は無宗教です」と言ってはいけない。油絵の絵の具を塗りつけるようにベタベタしたしつっこい議論になります。そうでない時は相手が急に静かになり、深い軽蔑の念を抱いてしまいます。底深い人間的不信感を持たせてしまいます。

以上のようないい加減なことを描いてから、今後、宗教に関するあれこれを軽いタッチの水彩画風に描いて行きたいと思います。無宗教の方々に読んで頂ければ大変嬉しくおもいます。

最後に重要なことを付記します。筆者はイスラム教は立派な高等宗教と信じていますが、その教義を知らなすぎるので書きません。無視しているのでは有りません。イスラム教徒の方々のご寛容を御願いいたします。その他の宗教についても無知すぎるので触れません。お許し下さい。(続く)