後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

現在も役に立っている旧甲州街道、小仏峠道

2008年10月03日 | 日記・エッセイ・コラム

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江戸と甲府を結ぶ旧甲州街道は小仏峠の前後が昔のままに残り、ハイキングコースとして現在も多くの人々の為に役に立っている。現在の甲州街道は八王子の西から旧街道から大きく外れて、大垂水峠(おおたるみとうげ)を通っている。従って、駒野木宿、小仏宿、峠を越えた小原宿までは昔の古い山道がそのまま残っている。明治天皇が甲州へ行幸したときも小仏峠を越えていて、頂上に休憩を記念した石碑がある。また寛政7年(1795年)と刻み込んだ石の案内碑も峠の上にある。昨日は晴天。小仏宿の少し上にある駐車場まで車で行き、小仏峠まで40分で登ってきた。

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上の左の写真は小仏宿のあった付近。現在もなんとなく宿場風の家が少し残っている。

真中の写真は駐車場から旧甲州街道の山道へ入った所。昼なお暗い木立の中である。

右端の写真は、えんえんと続く急坂の様子を示している。

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左端の写真は峠の頂上より八王子方面を望んだ風景です。峠は鬱蒼たる樹海の中にあります。

真中の写真は明治天皇が一休みして抹茶を飲んだところの記念碑です。

最後の写真は旧甲州街道の歴史案内で、駒木野宿、小仏宿、峠、小原宿、与瀬宿、吉野宿の配置が明解に描いてあります。なお、小原宿と吉野宿には記念展示館があり、このブログの6月11日掲載記事で詳しく紹介しました。JR高尾駅から小仏宿付近まではバスがあり、バスを利用した老人が多く散策していました。峠までは最後のバス停から50分ほどなので老人向けに丁度良いハイキングコースです。(終わり)


ヨハネ・パウロ二世の謝罪(補遺)

2008年10月03日 | 日記・エッセイ・コラム

9月30日掲載記事「ローマ法王、ヨハネ・パウロ二世の謝罪」の内容に対してmugiさんから、本格的な評論がコメントとして投稿されました。大変誠実な反論で、考えるべき要素が多々ありますので、是非、コメント覧をお読み頂きたいと思います。

宗教に関することは個人的な自由が重要なので公平にいろいろな意見をご紹介すべきと信じここに再録いたします。書き出し部分のみ、以下に転載します。

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大変申し訳ありませんが、私はあの謝罪への見方は異なっています。
ヨハネ・パウロ2世が十字軍を「謝罪」した後、「天国にいけるのは正しきキリスト教徒のみである」と言っています。要するに天国にいけるのはカトリックだけということであり、これぞローマ法王の本音だったのでしょう。
また、「神の啓示がない仏教は宗教とは言えない」と発言し、スリランカの僧侶が激しい抗議をしています。それに対し法王の側近が弁明めいたことを言ってますが、当人はダンマリ。このニュースを地元紙ではベタ記事で扱いましたが、私は忘れていません。
高山右近も領土の仏教徒を弾圧をしていますが、何故かこの史実は知られていない。

以下省略、、、、、

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反論でなく感想を書きます。ローマ法王は人間ですから100%謝罪の目的のみで行動を起こしたわけではないと理解するのが普通です。どちらか一方のみに行動の動機を決め付けるのは事実から離れると感じます。mugiさんのコメントのなかで筆者自分の感じ方と同じ部分があります。お釈迦さまは神に関してコメントしていませんから、仏教からはキリスト教へ入るのに心理的抵抗感が無いのだと、かねがね考えていました。それを補強するような記述がありました。

それからガンジーの言葉、「私はキリストは好きだが、キリスト教徒は嫌いだ」は同感ですね。ただし、「キリストの教えを自己の利己心に合わせて曲解して平気な、キリスト教徒は」と限定したいですね。

高山右近の仏教徒の弾圧も参考になります。武力や暴力を宗教問題へ持ち込むのはキリストの教えでは有りません。

いろいろ考えさせるコメントをお送り下さいました、mugi さんへ感謝します。(終わり)

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