後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

金木犀の芳香をお届けしたいのですが、、、

2008年10月09日 | 写真

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最近、家の中に居ても金木犀の甘い、ロマンチックな芳香がしている。自宅の庭には無いので、付近を見てまわる。多くの家々で、垣根や庭木として金木犀を植えている。その中で大木を見つけたので写真をお送りします。本当はその芳香をお送りしたいのですが、、、 ご想像なさってお楽しみ下さい。(終わり)


本当は辛い男の隠れ家

2008年10月09日 | 日記・エッセイ・コラム

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ヨットのキャビンを「男の隠れ家」と粋がって泊まる。夕方、デッキに小テーブルを出して夕空の色の変化を見ながら冷えたビールを飲む。至福の時間が流れる。

でもすっかり暗くなり、岸壁には人の気配がなくなる。あたりは真っ暗だ。遥か対岸のホテルやレストランのネオンだけが華やいでいる。ヨットの中はローソク1本で薄暗い。おまけに小雨がシトシト降ってくる。憂鬱な気分が襲う。独りでウイスキーを飲みながら体が震えるような寂寥感に襲われる。

独り、暗夜の航海を想像して元気を出そうと、船尾、船首、マスト中段の3ケ所にある紅緑の航海灯を点灯してしばし眺める。元気が出たのでキャビンに入り、また飲み始める。さて、寝ようと、布団を敷く。ローソクを消してもよいようにトイレも確認する。すっかり暗くして布団をかぶる。雨足が激しくキャビンの屋根を叩いていて眠れない。寝付かれない辛い一夜が明けると、雨が一層激しくなっている。

キャビンの中が薄暗い。コーヒーを淹れ簡単な朝食。午前中は読書で時間を過ごす。中世歴史家の堀米庸三氏の「ヨーロパひとり旅」だ。暗い感じの筆致だ。中世ヨーロッパの暗黒を暗示するような旅日記である。旅行したのが戦後の影響が残る時代だったので厳しい生活が散見する。

キャビンに泊まるのは辛い。なるべくならしたくない。回りのヨットにも泊まっている人を見たことが無い。でも1年に2回は泊まると決めている。安逸な生活をしていると何か大切なことを忘れるような気がする。今回はアジアの子供の活き活きした表情と同じものが嘗ての日本にも有ったことを思い出した。男の隠れ家は楽しく、でも辛いものだ。山梨の山中の小屋をいろいろ考えながら何時しか眠りに着いた。

(終わり)


外国体験のいろいろ(71)アジア諸国が植民地になっていた時代

2008年10月09日 | 旅行記

   @満州へ追いやられた朝鮮族

1981年、中国の北京と瀋陽へ集中講義のために行った。東北工学院のK教授は朝鮮族で日本語が上手である。自宅へ夕食に招んでくれた。聞くともなく聞いていると朝鮮から中国・満州へ移住した経緯を話してくれた。

日本が朝鮮を武力併合した後で、肥沃な農地を買い上げられて満州へ移住させられたという。新農地の開拓が終わってやっと一息ついたときに日本人がまた農地を売れと言う。作物からの収入もまだ十分でなく困窮していたので、二束三文でも現金が欲しい。苦労して開拓した農地を売って、北満州へと移住する。買った日本人は作物が採れるようになった土地を「満蒙開拓団」へ転売したという。満州開拓を朝鮮族から見るとこのようなものだった。その故で現在の中国東北地方には朝鮮族自治区があちこちに散在している。自治区では朝鮮民族の文化もそのままで、日常は朝鮮語を使っている。

   @アジア諸国は1945年まで欧米の植民地だった

日本が朝鮮や満州を植民地にしようとしていた時代は欧米の植民地に取り囲まれていた。インド・パキスタン・バングラデッシュはイギリス植民地、ビルマやマレーシア、ボルネオの一部もイギリス植民地、ラオス、カンボジア、ベトナムはフランス植民地、インドネシアはオランダの植民地、マカオと東チモールはポルトガル植民地、フィリッピンはアメリカ植民地、シンガポールと香港もイギリス植民地であった。下の地図がその様子をしめしている。

独立国は僅かに日本と中国とタイの3国だけである。

このブログで何度も取り上げた話題に、農村の困窮と強大な軍備の関係がある。今にして考えれば狂気の日本であった。でもその狂気の原因の一つはアジアが欧米の手に落ちていた事実を指摘せざるを得ない。下手をすると日本も欧米の植民地になってしまう。考えると物凄い弱肉強食の時代だった。

    @日本の敗戦が植民地独立のきっかけを作ったと言うのは禁句

戦後、香港とマカオ以外の植民地は一斉に独立した。よく見識のない日本人がこれらの国々へ行って自慢する。「君たちは日本のお陰で独立できたのだ」、と。しかしこれは言ってはいけない禁句である。日本が占領した諸国で過酷な植民地政策をしいた。従ってアジア諸国は決して日本の悪行を忘れない。

現在、中国、ベトナム、インドネシア、タイなどに日本の会社が工場を作って利潤をあげている。よほど慎重に、そして礼儀正しい会社運営をしないと日本軍占領時代の悪夢を思い出させてしまう。戦後生まれの日本人がアジアで経済活動をする場合は戦前に日本軍のした色々な圧政を忘れてはいけない。先方は礼儀正しくその話題を避けているのだ。老人の我々も忘れかけている。時々このような文章を書いて忘れないようにしているのです。

(続く)地図の出典:http://homepage3.nifty.com/asia-kenbunroku/

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