後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

同じ船遊びでもこんなに違う世界

2008年10月10日 | 写真

036 037 038

水上を時速50Kmで疾駆して、あちこちを探索し、バスというアメリカの魚をルアーで攻撃的に釣り上げる趣味が上の写真でです。

下の写真は自然の風と話し合いながら静かに動くだけの趣味の船です。

上と下は余りにも違う世界です。人の趣味は千差万別。だから趣味の世界は奥が深いのかも知れません。それだけのお話ですが。(終わり)

002 017 053

撮影場所:茨城県土浦港にて、撮影日時:10月7日


懐かしい花々の回想(1)大きなユリ園

2008年10月10日 | 写真

もう10月なかば、あと2ケ月半で今年も暮れます。寒いくらいの日々になり、花の季節も終わろうとしています。そんな今日この頃、ブログに掲載した花々や高原の草花が懐かしく思い出されます。

これから数回に分けて、このブログに掲載した花々の写真を再掲載いたします。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

第一回目は宮城県いちはざまユリ園の花々の写真16枚の中から4枚だけ再掲載いたします。詳しくは、7月6日の掲載記事(写真16枚)、題目、「ユリの花の大群落の写真」をどうぞ。

009

018 040 045


外国体験のいろいろ(72)中国の農家の構造に驚く

2008年10月10日 | 旅行記

Dc100531111 Dc100517811

1981年、北京へ始めて行った時、万里の長城、明の13稜、天壇、紫禁城、など色々見物した。しかし中国へ行く前に本や写真集でよく見ていた建造物なので余り感激しない。成る程、紫禁城はベルサイユ宮殿より壮大な規模だな、などとは感心したが。

ある時、案内してくれた北京鋼鉄学院の周教授に、農家を見たいと言った。北京の郊外の農村地帯で。

気軽に訪問した農家に衝撃を受けた。余りにも小さくて、貧しい。下半分は粗末なレンガ積みで、上の方は土壁である。小さなガラス窓が付いている。屋根は木の骨組みに土壁状に塗り、上にトタンで葺いてある。南に向いた入り口の戸を入ると右側が土間の台所兼食堂。粗末な木のテーブルと椅子が5脚ある。左は寝る場所で、一段高くなっている。昼間なので家族は皆農作業へ出ていて老婆が独り居るだけである。

案内の周教授が入り口の左下に据え付けた釜戸を指して、「これさえ有れば天国です!」と言う。よく見ると、カマドには大きな中華鍋がかかり、煙突が無くて、煙は寝る床の下を通って、屋外の煙突へ出ている。全ての料理は中華鍋一つで作ってしまう。

どんなに厳寒の冬でも、釜戸に火を炊くと寝る台がポカポカと暖かく、小さな家中が天国のようになると説明してくれた。家族の楽しそうな冬の夜の団欒が目に見えるようだ。

この熱効率の高い合理的構造は朝鮮半島でも広く用いられて居る。朝鮮では温突(おんどる)といい、中国ではかん)と言う。上の写真は韓国民族村にある農家と温突の構造を示している。写真では農家の裏側へオンドルの煙突と燃料の柴が写っている。

翻って、冬に日本の農家を訪問した時のことを思い出した。「どうぞ、囲炉裏の側へ寄って温まって下さい」と招じられる。囲炉裏によると成る程暖かい。しかし背中が寒い。煙が目に滲みて目が痛い。体の前が熱く後ろが冷たい。体の調子が悪くなるのか気分が良くない。昼でさえこんなに寒いのだから夜は凄く寒いに違いない。聞くと寝ている顔に雪が迷いこんで来ると言う。朝には睫や鼻毛が凍っていることもあるそうだ。

朝鮮半島の南端の釜山まであるオンドルが、何故日本へ入って来なかったのだろうか?

これこそ日本文化の非合理性の象徴を明解に示しているようで、それ以来忘れられない。外国を旅したとき、ほんのチョットした物を見て日本文化の本質が愕然と分かることがある。

誤解を避けるために付記する。非合理的な文化が悪いと主張しているのではない。それぞれの民族文化の優劣を考えることは無駄である。特徴を理解して楽しめば良いだけですね。(終わり)

2枚の写真の出典は;傍(ばい)亜門さんのHPで「アジアの見聞録」です。URLは、http://homepage3.nifty.com/asia-kenbunroku/ です。


心が静かに、透明になる秋の夕暮れ

2008年10月10日 | 写真

029

014 024

公園の広場の芝生に座り、向こうの林に沈む夕日を見ている。この座っている大地がゆっくり廻っている。太陽の光芒が次第に長く延びて行く。木々の梢のシルエットが美しい。仕事を止める前はこうして30分も座って夕日を見るなどという悠長なことをしたことが無い。なにか何時も追い立てられているような人生だった。

座っていると次第に雑念が消えて行き、心が透明になって行くような気分になる。身が軽くなり空気のなかに浮かんでいるようだ。定年後の秋の夕暮れは良いものだと意味も無い幸福感に包まれて暗くなった公園の道を帰ってきた。(終わり)

撮影場所:東京都立小金井公園にて、撮影日時:10月9日午後5時過ぎ。