人種差別を受けた体験を書くことは大変難しいものです。書くことで自分の人間性が傷つく恐れがあります。その上、具体的にはっきりした差別行為を受けた訳でない場合は、感じ方だけの問題なので言葉では表現できません。それは不思議な、しかし屈辱的な思い出として残ります。上の写真がその時の私の気分を象徴しています。人間の暗い部分が波間に写っているようです。しかし暗いだけではありません。黒雲の隙間から陽が射しこんで波を輝かせています。人間の救いの可能性を示しているようです。そんな気分を十数回味わいました。
それは1989年から2000年にかけて2年間、オハイオの大学で働いていた時の事です。毎月のように隣の州のピッツバーグへ技術コンサルタントとしてある小さな企業へ出向いていた時のことです。ピッツバーグ空港へは社長が迎えに来てくれました。会社はそこから車で30分位の小さな町にあります。
会社に着くと会議室に技術系の社員、6、7名が集まっています。私は黒板の前に立ちます。技師達が、その会社の製品の製造上で起きた数々の小さな問題を次から次へと説明します。それに対して私が即興的に、しかし科学的論理を使って何故その問題が起きたかという説明をします。数式や化学反応式や図面を黒板の上に書きながら説明するのです。彼等は私の説明を熱心にメモしています。
私を尊敬したように見つめています。しかし会議が終了すると尊敬が一瞬で、なんとも言えない蔑みの感じに変わります。ほとんど生物的な人種差別の感じをうけます。コーヒーを運んできた女性社員は、丁寧にコーヒーを机の上におきますが、見てはいけないような物を見たような表情で部屋を出て行きます。私をコンサルタントとして招んでくれた社長だけが人間として極く自然に接してくれます。私の科学者としての能力は尊敬するが、同じ人間とは思えない。そうは絶対に言いません。しかし雰囲気で明らかに分かります。
何故そうなるのか?会社のある小さな町の様子を注意深く観察して分かりました。完全に白人だけの町です。私の行った会社以外には企業らしいものが無く眠ったような淋しい町です。黒人も一人も見かけません。アメリカの中西部を車で走っているとそういう孤立感の漂う白人だけの小さな町があちこちにあるのです。
アメリカは才能があって良い仕事をすれば人種に関係無くお金を沢山くれます。具体的に、これといった差別はしません。しかしこころの中で差別する人々も居るのです。こころの中で差別する人と、しない人々との違いについては続編で書いていきます。
アメリカやヨーロッパで差別の体験をしました。差別を受けるよりも差別する人々の方に問題があるのだという事も理解しました。現在は全く平静な気持で考え直しています。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人