後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

12年前に別れたヨットへ会いに行く楽しさ

2010年04月24日 | インポート

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昔、10年もの長い間、愛用していたヨットです。12年前に手放しました。Yamaha19 という小さなクルーザーです。

このヨットは22年前にはじめてクルーザーを買った時、琵琶湖の西岸の雄琴の藤田マリンという店先に、上の写真のように置いてありました。当時、すでに進水後7年たっていましたが新品のように光り輝いていました。

値段を聞くと100万円というのですぐに買いました。店の若い主人が大型トラックに積んで、自分も一緒に霞ヶ浦まで運んでくれました。

陸送の為に倒して来たマストを立てて、四方から鋼鉄製のワイヤーでしっかり固定してくれました。親切な男でした。その後10年間激しく使いましたがワイヤーは少しも緩みません。何処も故障もしませんでした。

文字通り愛していた艇でしたが人間の慾にはキリがありません。エンジンが船体の中に組み込んであり、キャビンの天井が高く、立って歩ける程のヨットに乗りたくなりました。12年前にそのような中古のヨットをやはり100万円で買いました。この艇が終の棲家になる予定です。

12年前に手放したヨットは何時もお世話になっている近くのマリーナへ贈呈しました。暫くして大切に乗ってくれる人が買い取ってくれたのです。群馬県の人でした。船体を洗い、ペンキを美しく塗りなおして乗ってくれています。

近くのマリーナに陸置きしています。現在の持ち主には数回お会いして大切にしてくれていることへ対して心からお礼を言いました。

また数年が経ちました。時々そのマリーナへ家内と一緒に遊びに行き、昔乗っていたヨットを見上げて何故か嬉しい、楽しい気分になって帰ってきます。

道具や乗り物を大切に手入れをして何十年も使うという事は人間の心を豊かにするものです。幸福感に包まれるものです。

「何でも大切にする心」が現在の日本からどんどん消えて行くことに心を痛めています。

皆様はどのようにお考えでしょうか?(終り)


愛が貴方の周りの世界を変える・・・老年期を楽しく過ごす方法

2010年04月24日 | 日記・エッセイ・コラム

時々、「愛が世界を変える」という調子の良い言葉を聞きます。しかしこんな雑な言葉の使い方では何も起きません。もっと狭い意味の言葉を用いたほうが分かり易く、説得力もあるものです。

他人や家族に愛されたと感じたら、「不幸な境遇」でも生きているのが楽しくなる。これも意味することが広すぎていけません。貴方の不幸な境遇がそんなに簡単に変わったら苦労はありません。貴方というものをもっと狭く設定してみます。70歳台の日本人の男か女で独りで住んでいます。夫か妻の一方が数年前に亡くなりました。孤独に老後を送っている人です。毎日、特に楽しくもありません。むしろ悲しみの日々です。

遠くに息子夫婦が住んで居て、1年に2回くらいしか孫に会えません。特に孝行息子でもなく、孫もその老人になついていません。そのように仮定してみましょう。

ここまで具体的に限定すれば愛の重要さが分かります。いや、まだまだです。愛なんて曖昧模糊とした西洋語を使うから意味不明瞭になるのです。「愛語」などという仏教用語も難しすぎます!

愛の意味を狭く決めましょう!

他人を大切に思う心を愛と表現することにします。そうすると、「大切に思う心」が何故この孤独な老人の周りの世界を簡単に変えるのでしょうか?

「大切に思う心」には2つのことが含まれています。「自分が他人を大切にすること」と「自分が他人に大切にされたと感ずること」です。前者は容易ではありませんが、後者は誰にでも出来ることです。

過去に一度でも息子夫婦に大切にされたと感じたことがあったら、それが愛です。孫が一度でも甘えてくれたらそれが愛です。その思い出を、「かけがえのない大切なもの」として心の中に刻みこんで時々思い出します。そうすると自分の周りの世界が明るく感じられるようになります。

次に自分が他人を大切に思って見ましょう。近所の人へ挨拶をします。少し優しい言葉をかけます。「私は貴方を大切に思っていますよ」というメッセージです。

息子夫婦や孫へたまには電話をして優しい言葉をかけます。

これが他人への愛です。挨拶が自分から出るようになると貴方の周りの世界は本当に変わります。

私は他人を愛する程の境地には至っていません。しかし他人が私を大切にしてくれればその事を感じる心だけは持ちたいと思っています。そういう考えを一旦持ってしまうと病気持ちでも老後の日々が輝くように楽しくなるのです。自分が他人に大切にされていると感じられればそれで良いのです。あとは自然に変わって行くのです。私の周りの世界も最近とても変わってきました。

このブログに毎朝書く下のメッセージは空々しい気持ちで書いていません。縁あってこの文章をお読み下さった方を、私は大切に思っていますというメッセージなのです。でも少し恰好良すぎて恥ずかしい思いをしながら書いています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。藤山杜人

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