後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

相模の吉野山?

2010年04月13日 | 写真

甲州街道を八王子、高尾と過ぎ、大垂水峠と過ぎ、相模湖側へ越えて行くと周りの山々に桜が自生していて、吉野山のように見えるところがあります。吉野山の桜ほど素晴らしくはありませんが、写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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日本の文化を勉強しているアメリカの高校生達の素晴らしさ

2010年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム

モンタギューさんはアメリカ東部の高校で日本語を教えている先生です。教えている高校生を纏めてバンに乗せて「国連高校での日本の春祭」とニューヨーク見物へ連れて行きました。アメリカの高校生達が日本文化に興味を持ち、活き活きとしている様子を書いた日記を読みました。文化というものはこのようにして伝播して行くものと明快に分かる日記です。大変面白いので、その抜粋を転載します。

原文は、国連、タイムズスクエアー、高校生の忘れられないNY  です。(クリックすると原文が開きます)

内容豊かなNY見物を日本語の延長授業として高校生をバンに一杯のせて行って来た。
NYに暮らした時も、旅行客を案内する時も、昨日ほど充実したNYの一日はなかっただろう。
早朝6時集合。途中コネチカット州の州都も無事ラッシュアワーに引っかからず抜けたあたりから、生徒は一人二人と起きて来、自分たちで、それぞれiPodの音楽を興じている。
やがて、だれのどの音楽を、みんなでスピーカーを接続してカーステレオで聴くか、壮絶な闘いが始まる。日本からの留学生はその様子を我が事と関せずか、もしくは不思議な様子で見ている。
ラップ、ロックと延々と続くから、モンタギューさん(私の事)はNYまでの四時間がもたない。それでうるさい集団は最後列に座らせる。
予想通りのNYのラッシュアワーに今度は日本の高校生が目を輝き始める。これがマンハッタンでっせーという感。
第1目的地、国連高校での日本の春祭。いるいる200名ほどの日本語熱の高校生がNYからNJから集まっている。
目立ちたがり、テクノ、オタク、ぼーっとしたの、自分の世界に入りきったやつ、パンク、皆がいかにもアメリカの高校生って感じ。でもさすがNY、田舎の高校生にはかなり刺激的、先日引率された国連模擬会議にあつまる世界の高校生とはまた様相がちがう。
それぞれの屋台に他校の生徒とグループにありあてられ移動する。やきそば、かき氷はいつも人気集中。なぎなた、少林寺拳法、剣道、三味線、着付け、茶の湯、もちつき、カラオケ、侍じゃんけん、土産屋、などなど。どこのブースも大盛況!そこへいって日本語で質問され、
日頃の日本語授業を披露したあと、また次へ行く。
いろんな子が、いろんな理由で日本語を学んでいるのを実感!
マンガ好きなオタクが多いのかと思っていたら、我が校の生徒のように、
「日本へ とにかく行きたい」
「親が日本語話すから」
「日本人と友達になりたい」
「フランス語に飽きたから、ヨーロッパ言語に失敗したから」
「日本料理が大好き、日本に住みたい」、などなど。
そして日本語スピーチコンテスト。
後で帰りの車内で感想が自発的にでた。頷いて聞いてみる。
「スピーチで自分が何が好きだなんて、延々と話さなくても」とか
「ライフロングフレンドのスピーチ、一等賞をとるだけあって、アクセントもないな」
「あれ位だったら、000君のほうがずっと勝てる、来年はエントリーしてコンテストの優勝商品、航空券をもらおう」
なんて、初級者でなかなか授業について行けてないと思っていた生徒もかなり内容を理解していて驚き!
また逆に留学経験者のほうが内容をあまり分かっていない。
日本からの留学生のホストをしていたからコミュニケーションをとっていると思っていたのに、
日本語はすこし話せるけれども、相手の言っている日本語が耳から頭にすんなり入って来ない。
ブランクの影響を目の当たりにする。日本への留学期間の長短の違いも浮き彫りにされた。
さらに本人の言語の感覚の差もでた。内容を把握出来ていない生徒ほど、完璧主義者が多かったりもした。
さらにまちにまった隠し芸タレントショーだ。本物顔負けのカラオケだったり、チェロ演奏、早口言葉、だったりした。宇多田ヒカルを歌った女子高校生は我が校生徒全員賛成の「うまいの一言」。エキザイルのナンバーを歌った黒人の男子生徒は素晴らしい歌声!、まさにのど自慢大会を見てる感。そしてトトロともものケ姫をチェロ演奏、どこの学校も応援のノリがいい。出演者もミスをミスとも介さず堂々のお披露目だった。
初参加ということもあってか、田舎の高校生そのものになってしまった私の生徒は終止押され気味。車内にもどって、はじめて水を得た魚のように感想をドンドンだしあって、興奮気味。
日本語、日本文化にますます興味をもち勉強するすごい刺激剤になったようだ。(終り)

裏高尾、日影沢の新緑の写真をお送りいたします

2010年04月13日 | 写真

今日は最高気温が21度、初夏のような陽気です。昨日、購入した新車の試乗を兼ねて相模湖までドライブに行きました。透き通るような新緑が美しいので、裏高尾の日影沢に寄り写真を撮りました。ウグイスが鳴き、渓流の音がさわやかでした。老妻の後ろ姿へ新緑を通した光が射していました。山にはまだ桜が咲いていました。下手な写真ですが、お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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家族運に恵まれない人ー実話です!

2010年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム

自分の病気のことをあまり書くのは見苦しいので控えるようにしています。しかし先日のガンの再発検査のPSA数値が悪い方向へ推移していました。そこで3人の孫へ惜別の手紙を書きました。そのことを短い文章にして、このブログへ掲載しました。そうしたら私を慰める手紙をGAKUさんから頂きました。

その心の優しさに打たれ何度も読み返します。

するといろいろな事に気が付きます。この慰めの手紙では自分の家族運の無いことを一切嘆いていません。自然に受け入れています。肉親や他人を一切批難していません。そのことが読んで気持ちの良い手紙にしています。

そこで考えました。世の中には家族運に恵まれない人々が沢山います。GAKUさんの手紙はそのような人々を励ますメッセージとして貴重と思います。家族運が良い人々にはその事に感謝しなさいというメッセージになります。

普遍的に重要な手紙と思いました。そこでこのブログで公開したいとご本人へ相談致しました。ご迷惑なお願いにもかかわらずお許しのメールをすぐに頂きました。GAKUさんという名前をそのまま使っても良いとも書いてありました。

はじめに頂いた慰めの手紙の全文をそのまま以下に掲載致します。

========GAKUさんからのメール========

藤山杜人さま
ますますのご健筆に感じ入っております。
ただPSA数値の件は何と申し上げて良いものか言葉が見当たりません。
数値はあくまで数値でそれが全てで無いことは私などより充分にご存知のことと思います。
どうぞお心落しの無いようお努めくださいませ。
私事ですが、
高校1年の時半年の間を措いて両親を病気で亡くしました。
兄弟も無く親戚の縁も薄かったものですから16歳で天涯孤独となってしまいました。
故郷を離れた私を助け励ましてくださった多くの方々のおかげで多感な時代も道を大きく逸れることなく過すことができました。
25歳で結婚し一児に恵まれましたが、2歳の誕生日を迎えることなく亡くした時にはつくづく自分には肉親の縁が無いものと思ったものでした。
そういった若い頃に肉親を亡くしていった所為でしょうか、自分の生き死にには腹をくくって生きて参りました。
チェンマイにやって来たのもそろそろ今までの生活をリセットしていつ何時の事にも慌てずに済むよう身辺整理もかねての移住でした。
幸か不幸か私には別れの手紙を書き送る肉親がもうこの世にはいませんが、お手紙をしたためられた藤山さまのお心のうちはいかばかりかと拝察いたします。
私にもいずれ訪れることを了として受け入れたいとただただ思うばかりです。
ご笑覧の価値も無く何の脈絡も無い詰まらない私事を書いてしまいましたがどうぞお許しくださいますように。
寒さの残る折ご自愛のほどお願い申し上げます。      GAKU

=========終り=================

さて貴方様はどのように御感じになるでしょうか?

どちらにしてもご健康と平和を今日も御祈り申し上げます。藤山杜人

(GAKUさんのブログは、「WOOたんのチェンマイ通信」(http://gaku404.exblog.jp/ )です。他にチェンマイ観光を動画で紹介したコマーシャライザー、WOOたんのチェンマイ紹介」http://cmizer.com/movie/10276もどうぞ。その中から以前転載許可を頂いたタイの花の写真をお送りします。)

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