昨日、アイヌ民族を異民族と表現したら、それは差別用語だから、使ってはいけないというご教示を頂きました。私はアイヌ民族は日本人と同化しないで、異民族として尊重し、その固有の文化を存続すべきだったと思います。そのような趣旨の文章でしたが、文脈とは関係なく言葉だけを拾い出して、「差別用語」と指摘するのです。そして「先住民」と書きかえる方が良いというご意見です。即刻、昨日の記事の題目も文章も「先住民」に訂正しました。それから「差別用語」一覧表や「差別用語」というキーワードで検索し、いろいろな資料を読みました。
意見は大体3つです。1)差別用語を広く定義して、他人が不快感を持つ言葉の全て。2)昔からある種の人々を蔑む目的で使ってきた言葉と定義する。3)「差別用語」という言葉狩りでは、悪意がなくても使っている人々を非難し、差別するから、それ自身が差別運動になっている。従って差別用語を理由に他人を批判する人に惑わされる必要は無い。
そこでこの問題をすこし考え続けて、数回の連載として記事を掲載することにしました。
この「差別用語」という新しい流行はアメリカ国内の黒人差別、人種差別、女性差別撤廃運動のなかで長い間にわたって進化、発展してきた社会現象です。根が深く、人類の文化の内容を変えつつあります。単なる日本だけの一時的な流行ではないと思います。
さて、ここで広い定義にしたがった差別用語の実例を書きます。「老人」、「貴婦人」、「お嬢さん」、「裏日本」、「田舎」などなど沢山あります。「放送用差別用語一覧表」をみると枚挙にいとまがありません。ザトウクジラの座頭はメクラの意味で差別用語ですから、「目の不自由なクジラ」と学名まで変えなければなりません。大体、学名などは高学歴者しか理解できない言葉なので、廃止する方が良いのです。これは大げさな説明ですが、「差別用語廃止」の思想の底には専門家否定の精神もあると思います。この問題はいずれ別の記事で説明したいと思います。
老人は高齢者と言わなければなりません。従ってヘミングウェイの「老人と海」は「高齢者の男と海」と改めます。「ノートルダムのせむし男」は「ノートルダムの背中の不自由な男」です。「貴婦人」とか「お嬢さん」という裕福で、育ちの良さを暗示する呼び名は、経済的に不自由な境遇に育った女性に不快感を与えるので使わないようにします。
名前の後に付ける、00君、00殿、00先生。00教授などの君、殿、先生は身分関係を意味するので、全て00さんと、「さん」だけにします。アメリカでは郵便の宛名には一切Mr.もMs.もDr.も付けなくなりました。以前は、名前の前にDr.とついていましたが、数年前から、いきなり、Morito Fujiyama と書いてきます。日本もそうなる日が来るかも知れません。
われわれ高齢者が育った第二次世界大戦や戦後には差別用語が氾濫していました。日常の会話で無意識に使っていました。それらが全てアウトなのです。
アウトと知りつつ昔の癖でつい言葉が出ます。すると若い人々の「言葉狩り」の攻撃の的になります。使う場所とか、使う目的に関係なく「言葉だけを」差別するのがこの社会現象の特徴なのです。それが間違っているとか、悪いとか言い返しても無駄なことです。これは先進国に広がっている新しい文化現象なのです。
1990年にオハイオ州の歴史博物館に受付で、「ここにはインディアンの資料が展示してありますか?」と聞きました。受付嬢は顔を真っ赤にしてネイテヴ・ピュープルの資料なら沢山ありますと答えます。そして私を凄く睨めつけるのです。彼女はインディアンという「忌まわしい言葉」を使う私を憎んで、怒っていたのです。この文章も「言葉狩り」を崇高な使命と思っている方々に怒られます。そうです、「受付嬢」がいけないのです。「受付け役の女性」ですね。
さて皆様は「差別用語廃止」という社会現象についてどのように思っていらっしゃるでしょうか?コメントを頂ければ嬉しく思います。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人