後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

今日から三輪修さんの名古屋、日動画廊での個展が始まりました!

2010年04月06日 | インポート

美の滴(しずく)~三輪 修 展
会期2010年4月6日(火)~15日(木)  会期中無休
 開廊時間 平日10時~19時 土/日11時~18時
 会場 名古屋日動画廊 名古屋市中区栄2-2-1
 入場 無料
 交通案内 地下鉄・伏見駅 4番出口 徒歩1分              
 名古屋日動画廊
 http://www.meiten-net.com/syousai.php?key=1021
   油彩画100号~小品 35~40点・展示予定
 今回は5.2x10.2cmという手のひらほどの作品を20余点  展示します 。ミニアチュールの凝縮された世界をお楽しみください。
個展で画廊に在廊する日時
 6日・7日・9日・10日・12日・14日・15日
 午前11時~午後5時頃迄 
 8日・13日は午後2時~5時迄
 11日(日)は今のところ未定です
在廊日程は変動することがあるかも知れません。

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何故、私の先住民の友人が忽然と消えたか?63年後の謎解き

2010年04月06日 | インポート

終戦の時、私は9歳、国民学校の3年生でした。その5、6年生のころ北海道の先住民族の一家が仙台の郊外の裏山の開拓地に移住してきました。その場所は私の家の近所で、同じ年頃の男の子がいたので遊びに行くようになりました。その先住民の子供と友達になり、仲よく裏山の開拓地で遊び回りました。その一家がある時、忽然と居なくなりました。小屋も物置も粗末な門柱も一切のものが消えてしまったのです。開けた空き地に、囲炉裏のあった所だけ焚火の跡のように残っています。引越したのなら小屋や物置くらいは残っている筈です。それが一切の家の材料が消えてしまったのです。少年ながら不吉なものを感じたのを63年立った現在でも鮮明に覚えています。そのような記事をブログへ掲載しました。

その謎が63年後に解けたのです。仙台に住んでいた頃からの古い友人がこのブログの記事を見て、教えてくれました。終戦で進駐して来たGHQの命令で北海道の先住民が自由になったそうです。ある革新政党が先住民を助け、自分の政治的権力を大きくしようとしたそうです。その頃、GHQが押し進めていた農地解放運動を上手に利用したのです。地主から農地を取り上げて小作人へ与える農地改革では持ち主の不明な土地が出て来ます。東北地方にもそのような土地が沢山あります。特に山林は所有者と入会権を持っている農民との関係が複雑です。そこで革新系の政党は北海道の先住民へ土地を斡旋したのです。完全に非合法とは断定出来ない事情も背景にあったようです。それはある意味で先住民にとっては助けになりました。しかしマックアーサーは始めは革新政党を支持したのですが一転それを非合法化し弾圧をし始めます。その政党の幹部は地下へ潜ったり、中国へ亡命しました。そうするとその政党の斡旋で移住した先住民はまた北海道へ追い返されたのです。家が無くなったのは、ある人々が建築材料として運び出したのでしょう。酷い話ですね。当時の北海道は石炭ブームで炭鉱住宅へ人々をどんどん受け入れ、増産につぐ増産をしていた時代です。私の友人一家も炭鉱住宅へ行ったのでしょうか?それは分かりませんが、酷い時代でした。北海道の先住民が戦後も政争の具にされ酷い目に会っていたのです。

63年目に謎が解けました。そして人間の悪の深さに暗然たる思いです。二度と会えなかった あの淋しげな顔をした少年の幸多い老後を祈らざるを得ません。ああ。

出典は:http://www.kitakaido.com/daisetsu/asahikawa/asahigawa_26.html#  です。 Frenpowb111 


浦松佐美太郎著、「たった一人の山」について

2010年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム

3_020 日本が好きで8年も在住していたイギリス人のウエストンが、上高地に入り穂高や槍へ登った頃からヨーロッパ流の「登山」が広まったと言われています。

旧制の中学生や高校生のヨーロッパへのロマンチックな憧れもあって、登山が流行になるのです。それは昔からあった修験道者の登山とは違うものです。

浦松佐美太郎も戦前に一ツ橋を卒業し、ヨーロッパに渡り、数々の山を単独登攀をします。独りで山をみつめ、自分の心をみつめ、命をかけて苦しい登攀をするのです。青春の苦悩を山々と語り合いながらいやして行くのです。この本は昭和を通して多くの学生に読まれ、山岳文学不朽の名著と言われています。

私は暇になると本棚のある2階へ上がり、昔読んだいろいろな本を取り出して見ています。その中から現在の若者にも読みやすく理解しやすい本を選んでこのブログで紹介して来ました。今日は浦松佐美太郎著、「たった一人の山」を推薦したいと思います。分かり易く言えば、1901年生まれ1981年死亡の浦松さんがヨーロッパや日本で登った山々の登山記録です。単独で登りながら考えたことが書いてあります。ロマンチックな青春の日々の苦しみと歓びが描いてあります。昭和の若者の青春が活き活きと描いてあります。戦争とは無縁な青春です。昭和という時代へ大きな影響を及ぼしたのです。

話は飛びますが、私は1974年に、上の写真の甲斐駒の7合目の粗末な山小屋の棚の上でボロボロになったこの本に会いました。年老いた主人が言います。「冬場以外は毎週、週末になると夜行列車で来て、登って来る若い技師さんがいました。日本鋼管の技師さんでした。その人が置いて行ったのです」と言うのです。日本鋼管は私が学生のころ工場実習をした製鉄会社です。偶然とは言え、急に親近感が湧き、詳しい話を聞きました。山小屋の主人が目をしばたたきながらボソリボソリと説明してくれました。「その技師さんは50歳の頃病気で死んでしまい、二度と登っては来なかった。2、3年して会社の仲間が登って来て、この本を受け取ってくれと置いていったのです。それが彼の遺言だったそうです」

製鉄所は技師でも昼夜3交代で徹夜の当番があります。そして徹夜明けと週末の休みをつなげれば川崎から甲斐駒へ夜行列車で往復出来たのでしょう。私の知り合いのある重工業の技師も毎週のように夜行列車で上高地へ通っていたそうです。彼も定年の前に病気で亡くなりました。お葬式に行った時、上高地通いのことを聞きました。浦松佐美太郎さんの本は技術系の人にも大きな影響を与えていたのです。

今日、読み返してみて懐かしさで心が一杯になりました。そして現在の若者にも面白い本かもしれないと思い、ここで紹介しました。ネットで検索すると出版社や値段が出て来ます。ネットでも購入出来ます。広く読まれた本なのであちこちの図書館にあると思います。読んで損する本ではありません。若者の皆様へご参考になれば嬉しく思います。(終り)


散る桜、春が足早に過ぎて行く

2010年04月06日 | 写真

桜の頃は天気が不順で強風や雨の日があります。満開になった桜が花吹雪になって散り、春が足早く過ぎて行きます。今日は近くの東京学芸大学の桜の写真を撮ってきました。一面に桜の花びらが散り敷いていました。東京の桜も終わりなので来週は少し寒い奥多摩や山梨へ行って見ようと思います。学芸大学の桜の写真をお送り致します。

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マグロを食べるのを止める人々

2010年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム

地球は 水を湛えた美しい惑星です。そこには太古から 緑豊かな植物やいろいろな動物が棲んでいます。しかし人間が次第に増えて来て、この美しい惑星の自然な営みを壊すようになりました。

農業や牧畜の為に広大な森を切り払い、畑や牧草地にしてしまったのです。産業革命以後は工業が発達し、有害な排ガスや廃水を流し続け、自然環境を壊してきました。

そして人間の欲望のために絶滅しそうなクジラやマグロを食べてきました。そんな事に気がついた一部の欧米人が捕鯨反対やクロマグロの禁輸運動をしています。

この美しい惑星の自然を保護するために、人間の欲望をほんの少しだけ我慢しましょうというのが一部の欧米人の運動の趣旨です。

結構な趣旨です。一見結構な趣旨なのですぐに飛びついて日本へも導入しようとする一群の日本人もいます。

しかし捕鯨反対やクロマグロ保護運動には2つの重大な欠陥があります。一つは暴力的に妨害を続けている事です。これは許せない犯罪です。そしてもう一つはそれぞれの民族文化の重要な一要素である食習慣を破壊しようとしていることです。

しかし最近、「反対運動の感動的な仕方」をテレビで何度か見ました。

アメリカやヨーロッパで繁盛している回転寿司の店や日本食のレストランではマグロを注文する人が居なくなったというテレビ映像です。レストランでは「この店ではマグロを出しません」という看板を出さないとお客が減ってしまうそうです。

このように、美味しいマグロを食べるのを我慢しているのです。こういう草の根的な自然保護運動なら反発を感じません。彼等は美味しいものを食べようという欲望を犠牲にしているのです。その考え方は、「マグロ以上に美味しいものを探そう!」という思想です。ですから日本人もクジラやマグロより美味しいものを探しましょう!という意見を言いたそうにしています。

マグロを食べる、食べないは個人の勝手です。食べる人が居て、食べない人が居るのが自然です。

猫も杓子も高価な大間のマグロやインド洋の本マグロや地中海のクロマグロだけを珍重することに疑問を感じています。マグロの味について大騒ぎをするのは はたして尊敬すべき日本民族の文化でしょうか?

日本列島の沖で獲れるキハダマグロも美味しいし、近海の地魚の刺身も美味しいものです。私はマグロは美味しいと思うし、それを食べるのに反対しません。しかしマグロ以外の魚を軽く評価する軽薄な文化は尊敬出来なのです。

本当にマグロは値段ほど美味なものなのでしょうか?皆様のコメントをお待ちしています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人

下にマグロ遠洋漁船の写真を示します。出典は、http://www4.synapse.ne.jp/kushikinogyo/phort_maguro.htm です。

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