高齢者になると次第に記憶も薄れて行きます。目の前に霞がかかったように、遠い昔の事は記憶のかなたへ消えて行きます。そして全てが許されるような気持ちになります。全ては運命のいたずらだったのかも知れません。
温かい春の日射しの中を散歩しながら、フッと気が付くと、時々追憶の糸をたどっていることがあります。そんな時に思い出す事などを書いてみたいと思います。
広島と長崎への原爆投下は心の底に沈んだ黒い鉛のように一生ついてまわりました。
終戦前後は仙台の北方の農村へ疎開していたので被害の実情を知ったのは随分あとになってからです。農村では「新型電子爆弾」が落とされて日本が降伏したという噂がすぐに広がりました。
終戦後30年、40年と時がたっても「原爆反対運動」が根強く続き、日本の新聞が何時までも大きな記事を出していました。
残虐な原爆へ反対する素朴な動機も大きかったと思います。しかし政治的な動機もあったのです。
冷戦時代のソ連共産党政府が日本の革新政党の原爆反対運動を支援していたのです。
当時、私は大学で研究をしていたので、時々ソ連からの研究者が訪問してきました。彼等は全て共産党員でした。広島や長崎へのアメリカ軍の残虐な原爆投下を良く知っていました。そして広島や長崎を訪問したがります。彼等は原爆投下したアメリカを日本人が深く憎んでいることを知っています。それを利用して日米が離反するように原爆反対運動を支援していたのです。
そんな事情とは関係なく私の心に沈んだ黒い鉛のようなものは、いつまでも消えませんでした。「キリスト教の国のアメリカが、何故浦上天主堂の上に原爆を落としたのか???」。神も仏もありません。キリスト教はそんなにも無力なのでしょうか?
最近、キリスト教はある場合には全く無力だという確信を持つようになりました。悪魔の乗り移ったアメリカ空軍には全く無力だったのです。私は悪魔のような所業をする人間を遠くに見やって、イエス様だけを見つめる決心をしました。原爆を落とした罪は憎みますが人は憎まないという心境になりました。
昨日の新聞記事がこの文章を書せてくれました。長崎のカトリックの高見さんという大司教が原爆で焼け焦げたマリア様の像を持ってバチカンのローマ法王へ見せたのです。ドイツ出身の法王ベネデクト16世はその意味を理解しています。マリア様の像に祈りを捧げてくれました。それだけの短い新聞記事でした。昨日の読売新聞の小さな記事です。小さな写真も出ています。
ローマ法王は悪魔のような人間の罪を、神が マリア様が許してくれるように祈ったの違いありません。この新聞記事で私の心の中の黒い鉛の塊も解けて無くなったような気分になります。これで私も平穏な気持で死んで行けるような気分になりました。
今日は、皆様がいつも平穏はお気持を持っているようにとお祈りいたします。藤山杜人