後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

抗癌剤治療とその副作用の実体験者の記述ブログをご覧下さい

2010年04月23日 | うんちく・小ネタ

抗癌剤治療は効き目があると言います。このブログで何回か紹介したhikarunoさんは肺ガンになり1月と2月に2回抗癌剤投与の治療を受けました。その効果は確かに上がって、3月には身辺整理のためカトマンズとバンコックへ旅をしました。

しかし抗癌剤投与は苦しい治療方法です。その上、副作用が大きいのです。

hikarunoさんは東京厚生年金病院で受けた抗癌剤治療の苦しさを患者の立場から詳細に報告しています。そして副作用はどのようなものか客観的に書いています。

私も何時かは抗癌剤のお世話になる可能性があるので大変参考になりました。そこでこの貴重な体験記をもっと広く知って貰う為にhikarunoさんのブログのURLをご紹介致することにしました。http://blogs.yahoo.co.jp/hikaruno_season です。

また彼は今後も続ける抗癌剤治療の費用に備えるためにアジアの手紡ぎ、手織りの野蚕織物などのネット販売をしています。購入方法もブログに説明してあります。

hikarunoさんをご支援下さい。(終り)


雨にけぶる村山貯水池の写真

2010年04月23日 | 写真

東京都の水道水の水源は利根川、荒川、多摩川の3水系です。このうち多摩川の水は羽村の取水路から山口貯水池(狭山湖)と村山貯水池(多摩湖)に貯蔵し、東村山の浄水場や武蔵境の浄水場で純化し、殺菌し水道水として各家庭へ供給しています。多摩川水系の水は東京都の西部地域へ供給されています。少し硬い味のする美味しい水です。小金井市は浄水場へ近いせいか特に水が美味で、お茶やコーヒーが楽しめます。今日は朝から雨でした。車で30分で行ける村山貯水池の近辺を家内と散歩して来ました。雨にけぶる貯水池の写真をお送りいたします。(写真にある赤レンガで出来た丸い塔は取水塔で、その底から浄水場へ水を送りだしています。)

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追憶の中にあるようなタイの農村風景・・・GAKUさんのブログだより

2010年04月23日 | 写真

GAKUさんのブログにはタイの自然な風景写真が多いです。特に農村地方の写真は私達の育った少年の頃の日本の農村によく似た光景です。決して行ったことのない所の風景ですが、何故か昔訪問したような気分になります。追憶の中にある心象風景なのです。そんな写真を3枚お送りします。出典はhttp://gaku404.exblog.jp/13500729/ です。転載許可を下さいましたGAKUさんへ感謝います。写真をお楽しみ下さい。

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薄れゆく記憶の中によみがえる事・・・広島、長崎の原爆のこと

2010年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム

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高齢者になると次第に記憶も薄れて行きます。目の前に霞がかかったように、遠い昔の事は記憶のかなたへ消えて行きます。そして全てが許されるような気持ちになります。全ては運命のいたずらだったのかも知れません。

温かい春の日射しの中を散歩しながら、フッと気が付くと、時々追憶の糸をたどっていることがあります。そんな時に思い出す事などを書いてみたいと思います。

広島と長崎への原爆投下は心の底に沈んだ黒い鉛のように一生ついてまわりました。

終戦前後は仙台の北方の農村へ疎開していたので被害の実情を知ったのは随分あとになってからです。農村では「新型電子爆弾」が落とされて日本が降伏したという噂がすぐに広がりました。

終戦後30年、40年と時がたっても「原爆反対運動」が根強く続き、日本の新聞が何時までも大きな記事を出していました。

残虐な原爆へ反対する素朴な動機も大きかったと思います。しかし政治的な動機もあったのです。

冷戦時代のソ連共産党政府が日本の革新政党の原爆反対運動を支援していたのです。

当時、私は大学で研究をしていたので、時々ソ連からの研究者が訪問してきました。彼等は全て共産党員でした。広島や長崎へのアメリカ軍の残虐な原爆投下を良く知っていました。そして広島や長崎を訪問したがります。彼等は原爆投下したアメリカを日本人が深く憎んでいることを知っています。それを利用して日米が離反するように原爆反対運動を支援していたのです。

そんな事情とは関係なく私の心に沈んだ黒い鉛のようなものは、いつまでも消えませんでした。「キリスト教の国のアメリカが、何故浦上天主堂の上に原爆を落としたのか???」。神も仏もありません。キリスト教はそんなにも無力なのでしょうか?

最近、キリスト教はある場合には全く無力だという確信を持つようになりました。悪魔の乗り移ったアメリカ空軍には全く無力だったのです。私は悪魔のような所業をする人間を遠くに見やって、イエス様だけを見つめる決心をしました。原爆を落とした罪は憎みますが人は憎まないという心境になりました。

昨日の新聞記事がこの文章を書せてくれました。長崎のカトリックの高見さんという大司教が原爆で焼け焦げたマリア様の像を持ってバチカンのローマ法王へ見せたのです。ドイツ出身の法王ベネデクト16世はその意味を理解しています。マリア様の像に祈りを捧げてくれました。それだけの短い新聞記事でした。昨日の読売新聞の小さな記事です。小さな写真も出ています。

ローマ法王は悪魔のような人間の罪を、神が マリア様が許してくれるように祈ったの違いありません。この新聞記事で私の心の中の黒い鉛の塊も解けて無くなったような気分になります。これで私も平穏な気持で死んで行けるような気分になりました。

今日は、皆様がいつも平穏はお気持を持っているようにとお祈りいたします。藤山杜人