終戦後の小学5、6年のころ、仙台市の郊外に住んでいました。その頃、学校の裏山にある開拓の一軒にアイヌ人家族が住んでいました。同じ年ごろの少年がいたのでよく遊びに行きました。トタン屋根に板壁、天井の無い粗末な家の奥は寝室。前半分には囲炉裏があり、炊事や食事をしています。父親は白い顔に黒い大きな目、豊かな黒髪に黒髭。母親も黒髪で肌の色はあくまでも白いのです。
少年は学校に来ません。いつ遊びに行っても、1人で家の整理や庭先の畑の仕事をしています。無愛想でしたが歓迎してくれているのが眼で分かります。夕方、町のほうへ、賃仕事に行っていた両親が帰って来ます。父親が息子と仲良くしている私へ微笑んでくれます。それ以来時々遊びに行くようになりました。アイヌの一家はいつも温かく迎えてくれます。いつの間にか、アイヌの少年と一緒に裏山を走り回って遊ぶようになりました。
夏が過ぎて紅葉になり、落ち葉が風に舞う季節になった頃、久しぶりに開拓の彼の家へ行きました。無い。無いのです。忽然と家も物置も消えているのです。白けた広場があるだけです。囲炉裏のあった場所が黒くなっています。黒い燃え残りの雑木が2,3本転がっています。
アイヌ一家に、急に何か大変なことが起きたのでしょう。さよならも言わないで、消えてしまったのです。これが、私がアイヌと直接交まじわった唯一回の出来事でありました。60年近くたった今でもあの一家の顔を鮮明に覚えています。
第二次大戦後まで、純粋なアイヌの家族が日本人に混じって東北地方にもひっそりと生きていたのです。
それから60年後、北海道・日高の平取町二風谷で、町営のアイヌ歴史博物館を見ました。その向かいには、純血のアイヌ人の萱野茂さんの家族が経営しているアイヌ文化の博物館もあります。敗戦後の仙台の郊外で付き合ったアイヌ人一家のことを懐かしく思いながら感慨深く見て回りました。そうして茫々、60年、あの一家の運命はどうなったのでしょうか。(終り)
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