後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

私はアイヌ人の友人を持っていました

2010年04月05日 | 日記・エッセイ・コラム

終戦後の小学5、6年のころ、仙台市の郊外に住んでいました。その頃、学校の裏山にある開拓の一軒にアイヌ人家族が住んでいました。同じ年ごろの少年がいたのでよく遊びに行きました。トタン屋根に板壁、天井の無い粗末な家の奥は寝室。前半分には囲炉裏があり、炊事や食事をしています。父親は白い顔に黒い大きな目、豊かな黒髪に黒髭。母親も黒髪で肌の色はあくまでも白いのです。 

少年は学校に来ません。いつ遊びに行っても、1人で家の整理や庭先の畑の仕事をしています。無愛想でしたが歓迎してくれているのが眼で分かります。夕方、町のほうへ、賃仕事に行っていた両親が帰って来ます。父親が息子と仲良くしている私へ微笑んでくれます。それ以来時々遊びに行くようになりました。アイヌの一家はいつも温かく迎えてくれます。いつの間にか、アイヌの少年と一緒に裏山を走り回って遊ぶようになりました。

夏が過ぎて紅葉になり、落ち葉が風に舞う季節になった頃、久しぶりに開拓の彼の家へ行きました。無い。無いのです。忽然と家も物置も消えているのです。白けた広場があるだけです。囲炉裏のあった場所が黒くなっています。黒い燃え残りの雑木が2,3本転がっています。

アイヌ一家に、急に何か大変なことが起きたのでしょう。さよならも言わないで、消えてしまったのです。これが、私がアイヌと直接交まじわった唯一回の出来事でありました。60年近くたった今でもあの一家の顔を鮮明に覚えています。

第二次大戦後まで、純粋なアイヌの家族が日本人に混じって東北地方にもひっそりと生きていたのです。

それから60年後、北海道・日高の平取町二風谷で、町営のアイヌ歴史博物館を見ました。その向かいには、純血のアイヌ人の萱野茂さんの家族が経営しているアイヌ文化の博物館もあります。敗戦後の仙台の郊外で付き合ったアイヌ人一家のことを懐かしく思いながら感慨深く見て回りました。そうして茫々、60年、あの一家の運命はどうなったのでしょうか。(終り)

出典:http://www.kitakaido.com/daisetsu/asahikawa/asahigawa_26.html#   

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参議院における紙 智子議員のアイヌ民族に関する質問書(抜粋)

2010年04月05日 | インポート

アイヌ民族の生活を守り権利を確立する施策の推進に関する質問主意書 右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。   平成二十年十月三十一日 、 紙   智 子

          参議院議長 江 田 五 月 殿   

 アイヌ民族の生活を守り権利を確立する施策の推進に関する質問主意書  

国連総会で二〇〇七年九月に採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」(以下「権利宣言」という。)をふまえ、先の第百六十九回通常国会で衆参両院は「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を全会一致で採択した。これを受け、これまでアイヌを先住民族と認めてこなかった政府も「先住民族であるとの認識」(町村官房長官談話)を表明するとともに、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」(以下「有識者懇談会」という。)を内閣官房に設置し、一年を目途に結論を出す方向で調査検討を開始している。 北海道におけるアイヌ民族の生活実態は、他の道民と比べ、進学率、所得、年金などいずれも低い水準にとどまり、今なおかなりの格差が放置されており、全国的な状況については把握すらされていない。 「権利宣言」は、先住民族の社会的、経済的、文化的権利をはじめ、集団的、個人的人権を保護、尊重することを国家・国際社会に求めており、わが国でもこうした国際的水準の先住民族政策を全国的なアイヌ政策に反映させることが求められる。そこで以下、質問する。 以下、省略。

=====アイヌ人はサケ・シシャモを自由に獲って良い======

五 サケ・シシャモなど漁獲権の確立について  アイヌ民族にとって、サケ・シシャモなどの採捕、シカなどの捕獲は、生存の糧というにとどまらず、民族性保持にとっても欠かせない意味をもっていた。しかしながら今でもサケの試験採捕は、アシリチェップノミ(新しいサケを迎える儀式)の時のみに限られている。「権利宣言」第十一条でも「先住民族は、その文化的な伝統及び慣習を実践し、かつ再活性化させる権利を有する」、同第二項は「国は‥‥効果的な仕組みによる救済を与えなければならない」としている。 カナダやアメリカなどでは、先住民族に対して河川において伝統的な漁法によるサケ等の捕獲を認めていると聞く。1 諸外国で先住民族の伝統的な漁法によるサケ等の捕獲を認めている国の国名、捕獲を認められている先住民族名、その捕獲数量について明らかにされたい。2 アイヌの民族性を確立する上でサケ等の捕獲は非常に重要であり、儀式等での捕獲を北海道全域で行えるようにするため、漁獲権の確立について検討すべきではないか。また、現在行われているアシリチェップノミでの各地域の漁獲内容にはばらつきがあることから、漁獲内容の公開と公平性の原則を確立するよう検討すべきではないか。

=====「アイヌ新法」制定について=========

八 アイヌ民族の生活と権利を保障する「アイヌ新法」制定について  第二回有識者懇談会において、北海道ウタリ協会理事長がアイヌ民族についての新たな立法措置の必要性に言及したと報じられている。アイヌ民族への迫害の歴史的事実、長年にわたる差別の歴史に照らしても、アイヌ民族の生活の安定・向上、民族的文化の保護、教育向上などの諸権利を安定的に保障していくためには、単なる予算措置にとどまるのではなく、明治以来の日本政府の強制同化政策が誤りであったことを謝罪の上、国の責任を明確にした「アイヌ新法」(仮称)の制定が不可欠ではないか。 また全国的施策を行うため、アイヌ民族の全国実態調査をプライバシーに十分配慮して行うべきではないか。

=====以下省略==========

全文は、http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/170/syuh/s170081.htm にあります。

皆様からコメントを頂ければ嬉しく思います。(続く)

http://www.kitakaido.com/daisetsu/asahikawa/asahigawa_26.html# から牛朱別川の写真を引用します。

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ご存知ですか?現在、北海道に23、800人のアイヌ民族が住んでいます!

2010年04月05日 | 日記・エッセイ・コラム

日本人はアイヌ人を差別し、同化し、アイヌ民族の尊厳を著しく傷つけて来ました。その恥ずべき歴史的事実を心ある日本人は反省し、謝罪したいと考えています。それでは謝罪すべき相手の現在の様子はどのようになっているのでしょうか?いろいろ調べてみました。

北海道にはアイヌ人が23800人居住していて、それらの人々が北海道アイヌ協会という社団法人を作っています。その設立は古く、戦前から、アイヌ民族の文化と尊厳を守る為の種々の事業を展開しています。

そのホームページ(http://www.ainu-assn.or.jp/about03.html)を見るとアイヌ人の視点から見た意見や情報が豊富に出ていて、実に興味深い内容です。アイヌ人が現存していることは北海道以外の日本人にはあまり知れていないようなので、ここにご紹介したいと思います。

以下に、社団法人北海道アイヌ協会の活動目的と現在のアイヌ人の人口調査についての部分のみを抜粋して掲載いたします。ご参考になれば嬉しく思います。

===========北海道アイヌ協会の活動目的=========

社団法人北海道アイヌ協会(以下「協会」という)は、北海道に居住しているアイヌ民族で組織し、「アイヌ民族の尊厳を確立するため、その社会的地位の向上と文化の保存・伝承及び発展を図ること」を目的とする団体です。

=======アイヌ人の人口調査、生活実態調査について======

北海道が2006年に実施した「ウタリ生活実態調査」によれば、北海道に住むアイヌ民族の人口(注:1)は、72の市町村に23,782人となっており、日高支庁と胆振支庁管内とで59.5パーセントを占めています(下図参照)。
この調査の制約などから、調査結果で示されるよりもはるかに多くのアイヌ人口が見積られます。
また、調査範囲が北海道居住(注:2)のアイヌに限定され、かつ質問事項も限られていることから、アイヌの生活実態を十分に把握しきっているとは言えませんが、それでもこの調査結果からアイヌ民族の生活や教育などの厳しい状況が明らかです。

:1 道は、地域社会でアイヌの血を受け継いでいると思われる人、また、婚姻・養子縁組等によりそれらの方と同一の生計を営んでいる人と定義し、自らが表明する人のみを調査対象とした。
:2 アイヌ民族の実態調査は、国連人種差別撤廃委員会から日本政府に要請されているが全国的な調査は実施されていない。道外に住むアイヌについては、東京都のみが実態調査を実施。1988年の調査において東京在住のアイヌ推計人口が2700人と見積もられているものが最も新しい。

==============以下省略================

写真は旭川の近辺の就実の丘の風景です。

出典:http://www.kitakaido.com/daisetsu/asahikawa/asahigawa_26.html#   

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アイヌ語地名の復権をしている旭川市

2010年04月05日 | インポート

北海道の旭川市ではアイヌ語原語に近い発音をアルファベット文字で書いた看板を観光スポットに出そうと準備しています。その準備会の議事録と八つの地名の表記方法を下に示します。ご参考になれば嬉しく思います。(続く)

=======旭川市アイヌ語地名表記推進懇談会========

平成21年7月29日、公開会議:

旭川市教育委員会(6条通8丁目ジブラルタ生命旭川ビル)
 5階 会議室
、出席者:小野委員,高橋委員,伊藤委員,川村委員,杉村委員, 計5名  事務局 旭川市社会教育部長ほか3名

提出会議資料:懇話会次第
 ・旭川市アイヌ語地名表示板板設置一覧表
 ・平成21年度アイヌ語地名表示板内容
 ・各委員から提出されたアイヌ語地名表示板の内容)
 ・平成21年度アイヌ語地名表示板設置場所候補一覧 
 ・「アイヌ語地名の平等な併記に向けて-アイヌ語地名研究の目的と意識-」 
  (小野有五;『アイヌ語地名研究11』)

===平成21年度アイヌ語地名表示板内容(案)一覧===

アイヌ語ーアイヌ語日本語訳ー日本語地名

(カタカナ) (ローマ字)

1 ピイェpiye 脂ぎっている(川) びえいがわーーー「 美瑛川」

2 チノミシリci-nomi-sir 我ら・祭る・山あらしやまーーー「嵐山」

3タンネピラtanne-pira、長い・崖ーーー「タネンピラ」

4 ウッペッut-pet 肋骨・川うっぺつがわーーー「ウッペツ川」

5 イヌンペッinun-pet 漁猟仮小屋・川いのがわーーー「伊野川」

6 ペッペチpet-pet-i べべつがわーーー「辺別川」

7 キトウシヌプリkito-us-nupuri ギョウジャニンニク・きとうしやま、群生している・山ーーー「岐登牛山」

8 チカプニcikap-un-i 鳥・いる・所ちかぶみーーー「近文」

下に旭川付近の美瑛川の写真を示します。

(出典:http://www.kitakaido.com/daisetsu/asahikawa/asahigawa_26.html#)

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「差別用語」排除と日本文化の変化(3)差別社会から格差社会への変革

2010年04月05日 | 日記・エッセイ・コラム

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差別用語に関するいろいろな意見を読んで見ると、冷静な客観的な議論ではなく感情論的なものが多い。差別用語の合理的な、そして普遍的な定義が無い以上それは仕方の無いことである。どのような言葉を差別用語と感じるかは個人の主観であり、普遍的な議論のしにくい問題である。議論は不毛であり、建設的な結論にならないのが多い。

しかし、現在日本起きている差別用語撤廃という社会現象をマクロな視点で見るとこの新しい社会現象は日本の社会を、従ってその文化を、差別社会から格差社会へ変革することに気が付く。

人間は自由で平等な存在であるべきだという思想が底にある。いたがって家柄の貴賎、職業の貴賎、あるいはもっと根源的に身体上の差による差別を絶対にしてはいけない。差別を連想させる言葉も廃絶する。この運動は「善」である。あらゆる人々は神の前では完全に平等なのだから。

しかし高度成長期までの日本は差別社会であった。大会社は中小企業を隷属し、中小企業の社員は差別を受けて来た。当然、日雇いの労働者はその下のクラスとして差別されていた。定職を持たぬ人は一人前の人間ではないとも言われて来た。しかしそのような考え方は1990年のバブル経済の崩壊とともに次第に消滅して行った。

その結果として差別を連想させるあらゆる言葉が批難の的になった。無職の人間や日雇いの人間をフリーターと呼んで人間として平等に取り扱うようになった。中小企業は大会社の隷属から離れ、独立して肩を並べるようになった。その上、ベンチャー企業が経済社会の旗手としてもてはやされるようになった。

差別社会が消えた結果、残ったものは経済的な格差社会である。この格差社会では個人の自由競争が奨励され、経済的な格差がますます大きくなる社会なのだ。市場原理にもとずくアメリカ資本主義のルールに従っているかぎり、どんな自由競争も許される。どんな方法で大金持ちになろうとも法律を犯さない限り社会的に称賛されるのだ。その一方で貧乏になっても蔑まれない。貧乏は自分の選んだ道だから誰も干渉しない。人生を自己責任で送れる。これが格差社会というものだ。その善悪を論じても所詮仕方の無い事だ。社会の変化は人類の歴史の上で、何時も起きている。驚くには値しない。しかし社会の変革に順応出来る人と出来ない人が存在する。私はどちらかと言うと順応出来ない組のような気がする。そんな事を考えさせられる日本の社会と文化の変化と理解している。皆様はどのようにお考えでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人