後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

新緑の風景を楽しむドライブ・コース

2010年04月14日 | 写真

季節は流れるように移り変わります。桜が散って木々の新緑が美しい季節になりました。昨日と今日は東京の西の山林の中のドライブを楽しみました。

府中から甲州街道を一路西へ、八王子を過ぎて高尾の山々へ入ります。小仏峠へ通じる旧甲州街道の両側の山々の新緑が綺麗です。そして新しい甲州街道を登って大垂水峠を越える七曲がりの道も新緑の香りが漂っています。下って、相模湖の周りの道路も新緑のトンネルです。

今日は新小金井街道を新青梅街道まで行き、左折して村山貯水池、山口貯水池の周遊道路をゆっくりドライブして来ました。数年間、大工事をしていた巨大な堤防も完成し、駐車場も完成しました。東京都民の水道水なので周辺の里山は立ち入り禁止で、下草も丁寧に刈ってあり美しい林の景観が広がっています。車を駐車場に止め、暫く新緑の中を散策してきました。奥多摩も新緑を楽しむには良いドライブ・コースです。この時期は山に遅れて咲いている桜木が雑木林に混じっていて楽しめます。

相模湖と裏高尾の写真をお送り致します。

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熱田神宮の写真をお送りします

2010年04月14日 | 写真

何故か私は神社やお寺や教会を訪問して、ブラブラ歩きまわるのが好きです。そういう場所は静かで空気が新鮮な所です。4月8日、9日と名古屋へ行ったおりに熱田神宮に寄ってきました。社殿は、すがすがしいまでにシンプルな造りです。周りの森が広大で如何にも神様が降りて来たくなるような雰囲気です。

そう言えば鎮守の森という言葉があるように神社は大きな森で囲まれています。

最近、読んだアイヌの叙事詩に、フクロウが神様で、人々の上を飛んで見守っていることが書いてありました。「銀のしずく 降る降るまわりに、金のしずく降る降るまわりに、」と歌いながら飛んでいます。熱田神宮の深い森でフクロウが飛んでいないかと上を見て歩いていました。しかし暗い雲が覆っているだけでした。シンとした気配の中、人々の踏む玉砂利の音が響いていました。

写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。熱田神宮前駅へは名鉄の名古屋駅から20分です。乗り換えなしで静かな森へ到達します。

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明治時代の生活の実態は貧しかった!

2010年04月14日 | 日記・エッセイ・コラム

明治時代に生活していた祖父母の生活態度を考え直して見ると全ての物を大切に使いきっていたのを思い出します。家の外に捨てるゴミの量が非常に少なく、紙類は竈で煮炊きの燃料とし、野菜屑は庭の隅に埋めていたのを思い出します。処理に困る量のゴミが出ないのです。

明治村の建物を見ると明治時代の豊かさが感じられます。しかしそこには2つの原因があるのです。選ばれた立派な建物だけを集めています。建物が景色の良い里山に調和するように散在しています。

しかし当時の大都会では貧しげな建物が圧倒的に多く、その間に立派な西洋館があったのです。下の写真は内閣文庫と焼津にあった魚屋の店です。東京に引っ越した後、小泉八雲が息子をつれて海水浴に来た時、何度もこの店の2階に泊ったそうです。

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これらの写真を見て、私は農家を展示している川崎市立の古民家園を思い浮かべていました。軒の低い藁ぶきの農家や漁村の家が展示してあります。あまりの粗末さに胸がつぶれる思いがします。都会以外の地方ではそのような家々が昭和40年頃まで実際に使われていたのです。都会と地方の生活格差が非常に大きかったのです。

その上、明治時代の市電や汽車に乗ってみると、その乗り心地の悪さに吃驚します。そんな乗り物でも全国へ普及するのには大正時代までかかったのです。

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最近、日清戦争や日露戦争に勝利した明治時代を賛美する文章やマスコミ報道が時々みます。しかし2つの大きな戦争の費用のために農村を犠牲にしたのです。漁村を犠牲にしたのです。特に冷害に苦しむ東北地方の農村は苦しかったのです。宮沢賢治の作品を見れば第二次大戦前までの東北地方の農村の苦しさが理解できます。明治村の美しい建物群を見ながら考えたことです。どんな時代でも単純に賛美する歴史観の間違いを考えながら、晴天の明治村をゆっくり散策して来ました。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人