後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

普天間基地の返還は無し、従来通り海兵隊が使い続ける

2010年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

Mcas_futenma1 普天間飛行場が占める土地のうち、およそ90%は私有地です。このため、年間61億円を越える賃借料が地主に支払われ続けています。ですから返還が進行しなければ地主の収入が保証されるのです。一方、鳩山首相が非現実的な移設案をいろいろ提案しています。アメリカ政府にとって一番良い結果は、2800m級の滑走路を持っているこの基地を従来通り使うことです。

アメリカ軍は海兵隊を沖縄に置いておくと、いざ戦争勃発という時に敵前上陸の時期を失しないのです。

ですから鳩山さんの非現実的な提案を交渉のテーブルの上に載せないで、のらりくらり引き延ばしているのです。

その結果、日本国民はいらいらし続けています。精神安定上、大変良くない状態です。それよりも何よりも沖縄本島の住民が島の真ん中に大きな基地があって毎日、危険な思いをしています。交通渋滞の原因になっているのです。

鳩山さんの思いつきで色々な夢のような話が出ますが、今後もそれが続くでしょう。

民社党は衆議院で多数を持っているので総理大臣の交代も、解散もなく4年の任期満了まで普天間基地問題は一切進展しないと想定するのが賢いと思います。

皆様はどのようにお考えでしょうか?(終り)


差別と格差に関する本音と「たてまえ」

2010年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

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(上の鯉は一匹1万円から100万円以上のものが混じっているそうです。これは差別でしょうか?格差でしょうか?  越後、六日町で昨年、家内が撮りました。)

差別用語が消えて行き、差別社会が格差社会へと変容して行きます。それは歓迎すべきことと手放しで称賛する人々が居ます。その一方で「人間の本性は変わらないよ」と片頬で笑う人々もいます。

差別用語を使わない。他人や他民族を蔑視しない。それは人間のたてまえです。本音は違います。と書いたら目を吊り上げて怒る人もいます。うわべだけ綺麗事にして、人間の悪を覆い隠すのが新しい格差社会という一面が見え隠れしませんか?

これは20年位前のことですから現在は違います。東京で電車に乗っていたら黒人の男性が乗ってきました。ラッシュが終わった後なので座席は空いています。黒人が座ると、その隣には誰も座りません。教養があって上品そうな女性達が遠くから黒人をちらちら見ています。明らかに差別の視線です。アメリカの黒人差別を声高に批難する日本人が多かった時代でした。私は何故か怒りを感じて、黒人の隣に座りました。するとそんな私を非難がましく見る視線が来たのです。見回すと男性は無関心な様子です。

そうです。人種差別をするのはどちらかと言うと女性の方です。私が外国で受けた人種差別は女性のほうが多かったものです。まあ、男性としてのルックスが悪いせいもあったのですが。

それ以来、女性の「差別用語撤廃運動」に賛成はしますが、あの電車の中のことをつい思い出してしまいます。

格差社会になれば差別は無くなります。少なくとも差別用語はなくなります。大変結構なことです。しかし差別には2つの意味があるのです。違いや差を見つけること。そしてその理由で他人を蔑むこと。この2つの意味が含まれた言葉です。

他人を蔑む理由として本人の責任でない身体上のことは絶対に蔑んではいけません!このことは人間として絶対にしてはいけないことです。

しかし自分の心がけが悪くて格差が出来てしまったら、その事を蔑むことははたして悪でしょうか?怠けて貧乏になり、他人様から蔑まれる。それは仕方のないことかも知れません。どんな時代や社会になっても努力する人は尊敬されます。格差社会になってもそのような心を失わないようにと祈っています。

皆様は格差社会をどのように理解しているのでしょうか?コメントを頂ければ嬉しく思います。(終り)


ブログに書く私の「うそ」と「ほんと」の違い

2010年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

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(写真の出典:http://www.kitakaido.com/daisetsu/biei/biei_11.html

3年ほど前にブログを書き出しました。それを読んだ家内の妹が、「ブログに書いてあることと貴方は随分とちがいますね」という意味の事を丁寧な言葉で貰いました。

そうです。ブログの上では私は人格者。しかし本物は悪い人間です。何故そうなるのか?それ以来考えています。最近、その原因が自分でも明快に分かりました。簡単な理由です。ブログには決してウソは書きません。自分が体験した事、考えたことを粉飾しないでそのまま書きます。真実だけを書くのが私のブログを書く上での堅い方針です。それを曲げたことはありません。今後もありません。しかし、その方針が大きな「ウソ」の原因になっています。真実は書くのですが、自分の悪い考え方や汚い側面は書きません。善良な側面だけを書きます。悪い性格は書きません。何故書かないかというと無意識に自分を人格者のように見せかけたいからです。格調の高い人間のように見せたいからです。本当はどうしようもない俗物です。

ブログだけを読んで下さる人々へ私は間違った印象を与えて来たのです。それ程はっきりした意識は無かったのですが、結果的にそうなりました。

その結果どうなりましたでしょうか?ブログだけを読んだ人は私をもの分かりの良い、親切な老人と思います。それで時々、相談事をされたり、甘えられたりします。そういう時は良い気分になりますが、少し冷たくします。それが本音ですから仕方がありません。

もう一つの結果は、自分の人間性がほんの少し良くなりました。他人様へ間違った印象を与えて申しわけありません。しかしこの少しばかりの良い結果は自分にとってはかけがえの無い大切なことです。

それにしても今後は「たてまえ」だけを書くのではなく、「ほんね」ももっと書くようにしますので、驚かないで下さい。どうぞ今迄と同じように宜しくお願い申し上げます。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人