後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

都立桜ケ丘公園と明治天皇の記念館

2010年04月28日 | うんちく・小ネタ

いつも良い時代になったと感心します。東京都の公園整備の予算が潤沢で、何処の公園も実に緑豊かに素晴らし整備ぶりです。都立公園は23区内に39、そして多摩地区に27、合計66ケ所もあります。その他、都立庭園や動物園、植物園、海上公園などを合計すると100ケ所以上になります。ついでに言えば公園が良く整備されているのは東京都に限りません。全国何処に旅をしても綺麗に整備された公園が多いものです。敗戦の荒廃から65年。日本もここまで豊かになったのです。感慨無量です。

今日は京王線の府中の先の聖跡桜ケ丘駅からバスで行ける都立桜ケ丘公園を散歩しました。そこにある明治天皇記念館(正式名称は、旧多摩聖跡記念館)も訪問しました。中には明治天皇の騎馬像と幕末から明治にかけての志士や政治家の書や手紙が展示してあります。この公園一帯へは明治天皇がたびたび兎狩りに来られた所で、明治時代の名所のようなものだったそうです。明治天皇を偲ぶ建物は昭和5年、1930年に建てられた西洋館で多摩市の指定有形文化財になっています。この公園には川崎街道から連光寺方面に入ってすぐの交差点を曲がると広い無料駐車場があります。その駐車場も森に囲まれていて私のお好みの場所です。近所には桜ケ丘ゴルフ場もあり散策に良いところです。晴天の日にお出掛になると良いところです。公園のご案内でした。詳しくは東京都立公園で検索すると出てきます。

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ある共産党員、善良な山村工作員の死を悼む碑文

2010年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム

政治家は悪人だと言う人が居ます。それは大変な間違いです。善い政治家と悪い政治家といるだけです。それと同じように共産主義者は全て悪いというのも間違いです。善い者と悪い者が居るだけです。その判別は簡単です。皆様の直感で決められます。私も直感で判別しています。しかし直感が正しいかったどうか後でよく考えます。

その人は権力が好きか否か?愛国者か否か?他人の心の痛みが分かるか否か?

この3つの事を考えて善い共産主義者か悪い共産主義者か判定しています。先日、山小屋の庭で焚火をしながら話を聞いたある共産主義者は善いと判断しました。そこで、共産主義者として昭和時代を生きたある人の話 という記事を昨日、掲載したのです。

いずれ共産主義の悪口を書くつもりでいます。悪口を信じて貰いたいので、もう一つ善い共産主義者の例を書いて公平を期したいと思います。

それは40年位以前の話です。週末になると、子供をつれて奥多摩に遊びに行っていました。ある日多摩川の支流へ遡って小さな山里のへ行きました。車の入れる道が尽きた所に真鍮製の大きな看板が掲げてあります。高さ50cm、幅70cmくらいの部厚い真鍮の板に達筆な字が彫り込んであります。丁寧に読んでみると次のような事が書いてあったのです。

1人の共産党の若い「山村工作員」がお寺に住みこんで村人の生活が楽になるように献身的に尽くした。しかし突然の病を得て、2年後にお寺の部屋で独りで死んで行った。村人が憐れんでこのような碑文を書いて出すように言うので寺の住職がこの文章を書いた。お寺のある所はこの碑文からさらに山に登ったにある。そんな文章です。当時は共産党がマッカーサーによって非合法化された後で、官権の取り締まりが厳しい時代でした。共産党は全国に武力闘争を展開しながら「山村工作員」を全国の山里へ送り込んだ時代だったのです。従って碑文には死んだ共産党員の名前も住職の名前も無く、ただある寺の住職これを記すとだけ文末に彫り込んでありました。

私は感動したものです。数年後また其処へ行った時、その立派な真鍮製の碑文を探してみました。影も形もありません。山に棲むキツネが持ち去ったのでしょうか?あるいはキツネではなく右翼団体かも知れません。もっと怖いのは「武装闘争」や「山村工作員」を推進した共産党内部の一派が失脚し、権力を握った一派が目障りな碑文を破壊したのかも分かりません。そいう疑いを持たせるのが共産党の宿命なのです。その悪い宿命はいずれ説明したいと思います。しかし私は善良な共産党員も居たことを決して忘れません。(続く)


現在の日本は史上最も良い時代(1)差別や蔑みの無い社会になった

2010年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム

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(写真は浜離宮から新橋方面の新しいビル街を見た風景です。小生が撮った写真です)

現在の日本の社会に生きる人々の幸福さを客観的に考える時、2つの方法があります。と書くと幸福か不幸かは心の持ち方によるからそんな事を考えるのは無駄と言う人が必ずいます。しかしこの先も少し読んで下さい。世界の人々が一番住んで見たいと思う国々はカナダ、スウェーデン、フィンランド、ニュージーランド、オーストラリアなどと言う人がいるそうです。日本に住んでみたいという外国人の数は少ないそうです。その理由はよく分かりませんが、このように他国と比較して日本という国の幸福さを考えるのも一つの客観的な評価の方法です。

もう一つの比較の方法は現在の社会を江戸時代、明治時代、戦争前の昭和時代、戦後時代、高度成長期、そしてバブル経済の崩壊から現在までの時期と比較すると非常に明快な評価が出来ます。

結論を先に言ってしまうと「現在の日本は史上最も良い時代」という事になります。より多くの日本人が史上で一番幸せな生活を送れる時代という意味です。勿論、何時の時代でも、どこの国でも不幸で悲しい人生を送っている人々は必ず居ます。

問題は幸いな人生を送っている人の数が不幸な人よりもどのくらい多いか?という問題です。ここまで問題を整理すると結論は簡単に出ます。江戸時代は士農工商という身分差別があり武士階級だけが威張っていました。現在の日本には階級制度が無いのです。ですから現在のほうがより多くの人々が幸せな人生を送れるのです。

しかしこのような見方は雑過ぎます。そこでもう少し詳しく書いて行くことにしました。そこのため、「現在の日本は史上最も良い時代」という随筆シリーズを始めることにしました。そして何故そのような結論になるか?という理由を幾つか書いて行きたいと思います。

現在を高度成長期と比較してみます。現在の若者と、中年や老年の人々と比較すると大きな違いを発見します。

若者は職業上の差別感が持っていないのです。大会社の社員が中小企業の社員を蔑まなくなったのです。高度成長期までは、お役人が偉くて民間人を蔑んでいたのです。私は当時の職場の関係上、通産省のお役人とお付き合いがありました。言葉のはしはしに民間人を低く見る雰囲気を何度も感じました。民間人だけでなく県庁の役人を自分の部下のように思っているのです。

土木建築業に従事する人々を蔑む差別用語も多くありました。家庭のゴミ集める人々をも差別して蔑んでいました。当然そういう分野で働いている人々が卑屈になります。

私と家内は、家にゴミ集めに来るトラックの人に必ず「有難う御座います」と言います。するとそれに答える若者の明朗さにこちらまでが明るい気分になります。自分が元気を貰う為に声をかけているのです。

現在の日本は史上稀にみる差別や蔑みの無い最良の社会になっているのです。

そう言うと必ず反論する人が居ます。しかし戦前や戦後の社会と比較すれば明らかです。現在の社会ほど、より多くの人々が幸福になったのです。そんな社会を作ってくれた中年や若い日本人へ深く感謝しています。

今日も皆様のご健康と幸多い日々をお祈り申し上げます。藤山杜人