後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

高遠の桜、名古屋から荒れる太平洋を仙台へ、花見山の桜、三春の滝桜への旅

2010年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム

高遠の桜、名古屋から荒れる太平洋を仙台へ、花見山の桜、三春の滝桜への旅から帰って来ました。

高遠の桜は圧巻でした。タカトウコヒンガンザクラはピンクが濃く、小ぶりの花が可憐です。盛り上がるように咲き豪華です。城址の山に一面に咲いていてその本数の多さに驚きました。小金井桜や隅田川沿いの都会の桜と違い活き活きしていて自然な輝きに溢れていました。

名古屋港を出て、すぐに海が荒れ出しました。波頭が白く砕け、大波が船を叩きます。乗員もめったにない時化という。歩くのが困難くらいの揺れが夜通し続きました。荒れる太平洋を22時間も航行する経験は初めてです。大変愉快な経験でした。ベットに寝ていると巨大なハンモックに乗って揺れているようで心地良いのです。しかし逆風なので仙台港へは1時間遅れで着岸しました。

その夜は伊達の牛タンの夕食の後、福島のホテルに泊りました。

翌日は福島の郊外の花見山の桜を見ました。個人的な好みですが、私はこの桜の風景に一番感動しました。モモ、コブシ、モクレンなど種々の花が混じり、パステル画のような穏やかな景色です。吉野山の桜よりも感動しました。歴史のある吉野山が好きな人々が居ますが、歴史抜きに純粋に風景として鑑賞すると花見山の方が好きです。

郡山のそばの三春の滝桜は有名で,観光客の多さでは日本三大桜で抜群です。しかしまだ3分咲きでした。過去3回行きましたが何時も2、3分咲です。今回も落胆して帰ってきました。

写真は編集して明日に掲載致します。おやすみなさい。藤山杜人


洗礼を受けたキリスト教徒の「たてまえ」と本音

2010年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム

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この記事は15日に書いています。18日の日曜日の朝に自働的に投稿する設定にしてあります。

日曜日に掲載する記事なので、キリスト教の話を書こうと思います。

私は1971年にカトリック立川教会で塚本金明神父様から家内と共に洗礼を受けました。もう39年も前の事です。

日常の生活ではキリスト教信者として「たてまえ」と本音を使い分けています。周りに不要な摩擦や、いさかいが起きないようにしています。

信者である以上、「たてまえ」としてイエス様の行った奇蹟は全て本当のことと信じています。しかし本音としては科学的に無理な奇蹟は疑う時もあります。それどころかイエス様の処刑後の復活も疑う時もあります。しかしたてまえの上では全て100%真実ですと言い放ちます。

科学的に無理な事を疑っている時間帯は無宗教の人々と同じ気持ちになっているのです。しかし、ここが「肝心かなめ」のことですが、全ての奇蹟とイエス様の復活を信じている時間帯が毎日少しづつあるのです。信じている時間帯は自分も幸福感で満たされます。しかしその幸福感だけが一生持続するわけではなく、いろいろな雑念が湧いて来ます。こういうふうに書くこと、それが本音です。

毎週、日曜日毎にミサへ出席することは億劫です。しかしミサが始まれば楽しいものです。特に、「信仰宣言」や「主の祈り」を唱えている時は本当に楽しいものです。安堵感と解放感がみなぎります。

他の宗教でも、こういう感じを持つことが出来ると思います。無宗教の人々でも何か不思議な運命や神々の力を感じる時が少しあると思います。

私が毎日、「今日も皆様のご健康と平和をお祈りします。藤山杜人」と書いているのは冗談ではありません。神さまへそうなるように1分間だけお祈りしているのです。その1分間が楽しい時間なのです。

洗礼を受けたキリスト教徒は常に唯一の神とイエス様を信じているというのが建前です。しかし、本音では結構疑っている時間帯も長いのです。無宗教の人々と同じ人間なのです。それはどちらにしてもあまり大きな違いはありません。(終り)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人