後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

甲州、韮崎市の王仁(わに)塚の櫻の写真です

2014年04月13日 | 写真

日本全国には各地方で有名な一本櫻の銘木があるものです。

大和には後藤又平衛櫻があり、常陸の国には三春の滝桜があります。甲州で有名なのは山高の神代桜があります。

その他、韮崎には王仁(わに)塚の櫻があります。武田信玄発祥の地にある武田八幡宮の下の田圃の中に一本だけ悠然と花を咲かせているのです。

一昨日撮ってきた写真を下に2枚送り致します。

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自分で撮った写真はあまり鮮明でなかったので、わに塚の櫻のHPから下に鮮明な写真をお送りします。

出典は、http://hanami.walkerplus.com/detail/ar0419e25957/ です。

わに塚の桜

韮崎段丘のほぼ中央、こんもりと盛り上がったわに塚の上にある、樹齢約320年の一本桜。残雪の山々をバックに見る景色は圧巻で、訪れる人々を魅了しています。


今日はイエス様のエルサレムへの入城とピラトの裁判を体験してきました

2014年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム

来週の日曜日、4月20日は復活祭です。

カトリック教会では今日は、信者がイエス様のエルサレムへの入城の体験が出来るように教会の外から棕櫚の葉をかざして行列をして入堂します。

そしてピラトの裁判を再現するような朗読をします。2000年前にイスラエルで起きた出来事を追体験するのです。

イエス様はユダヤ教徒でした。その民族宗教を世界宗教にする改革、改良をしたのです。そのせいで保守的なユダヤ教徒(律法学者たち)に捕まって、ローマ総督のピラトの裁判で十字架の上で死刑になったのです。

そのいきさつを下の2枚の絵で分かりやすく説明いたします。

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上の写真の出典:http://blog.livedoor.jp/fujibap/archives/cat_25602.html

上の絵画はイエス様がロバに乗って人々の歓迎を受けながらエルサレムの城門を入る場面です。新約聖書にロバを調達して乗って行ったこと、人々は棕櫚の細長い葉を手に振りかざしながら歓迎したことが具体的に書かれているのです。そして人々は自分達の衣服を脱いで道路に敷きます。衣服が惜しい人は棕櫚の葉を敷きます。上の絵画ではロバの足元に衣服と棕櫚の葉が交互に描かれています。そしてイエス様の後ろには棕櫚の葉を振って歓迎している人々が描かれています。このように新約聖書は具体的に何が起きたかを記録してある貴重な歴史的文書なのです。

この後、イエス様は弟子の一人のユダの裏切りによってユダヤ教の保守派によって逮捕されてしまうのです。

裁判をして死刑の判決を言い渡すことの出来る権限はその地方のローマ総督、ピラトしか持っていません。そこで保守派は無理やりその裁判をピラトに頼んだのです。

下の絵画にはピラトとその前に立っているイエス様が描かれています。

イエス様を取り囲んでいるのはユダヤ教徒の保守派です。イエスに死刑判決を下すように叫んでいます。槍を持っているのはローマ軍の兵でピラトの警護をしています。2009091212465234e

(上の写真の出典:http://jimfox65.blog38.fc2.com/blog-entry-54.html

ピラトは死刑判決など下したくありません。ピラトの奥さんもこんなイエス様の裁判にかかわらないようにと夫に頼みます。

しかし群衆はますます大声でイエスを死刑にしろと叫び続けるのです。その勢いがますます大きくなり、暴動の引き金になりそうです。

ピラトは政治家です。自分の在任地で暴動や騒乱が起きれば、その後の出世にかかわります。そう考えてイエスへ死刑判決を言い渡したのです。

そしてイエス様は十字架の上で死刑にされるのです。

新約聖書には、その様子も非常に具体的に書かれています。

新約聖書が興味深いのは2000年前に中近東のエルサレムで起きた出来事が昨日のことのように鮮明に、そして誰にでも分かりやすく書いてあるのです。日本人の私にも身に染みて判るのです。

それがキリスト教が世界中に広がった大きな理由の一つなのです。

話は飛びますが仏教の経典はどれも新約聖書ほど分かりやすくありません。はっきり言えば理解困難です。般若心経(知恵のエッセンス)にシャーリーシ(舎利子)という言葉が何度も出てきます。意味不明です。しかしこれがお釈迦様の弟子のシャーリプトラさんだと知れば、あとは分かります。

そんなことを考えながら、今日のミサでお祈りをし、イエス様のご聖体のパンを頂いてきました。そして皆様の平安も祈ってきました。早いもので来週の日曜日は復活祭です。


独り暮らしの喜びと幸せ、そしてその代償

2014年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム

老人の独り暮らしがますます多くなるという報道があります。そしてそれは悲劇というようなニュアンスで報道しています。

しかし私は独り暮らしは楽しくて幸福な状態と思っています。その代償さえはねのけてしまえばという条件つきですが。

実例を一つご紹介します。

下の写真はその一人暮らしをしている木内正夫さんの庭から見た山林の風景です。真ん中に写っている車で一昨日訪問しました。車はここまでしか入れません。

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写真には写っていませんが右手に甲斐駒岳が聳え、左に地蔵岳のオベリスクが見える場所です。

そして下の写真は 春の陽光を浴びて広がっている木内山荘の様子です。右端に 家内が写っています。

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この山荘も2月の大雪のときは下の写真のように雪に覆われています。

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今年の2月16日に撮った写真です。

春が来ると、この雪も すっかり消えて下の写真のようにカタクリやスイセンの花々が 庭一面に咲き出します。

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Img_6163そして左の写真のように春のシイタケが沢山出て来ます。毎日料理に使えるのです。

さて、表題の「独り暮らしの喜びと幸せ、そしてその代償」のことに話題を変えます。

独り暮らしの喜びと幸せは何でしょうか?

自由です。自然を楽しめます。鹿やイノシシや猿が庭先に遊びにくるのです。モリアオガエルが木の枝に産卵にやって来ます。

そして雪に閉じ込められ、備蓄した食料だけで生活し、春を迎えたときの歓喜の大きさは他に比較するものがありません。生の充実感が湧きあがってくるです。

ですからこそ山林の中の一人暮らしは止められないと私は想像しています。

しかしその代償は決して小さくはありません。

持病を持っていて病院へ行かねばならないのです。下の町のスーパーに買い物にも行きたいのです。しかし車の運転を止めてしまいました。頼りは電動自転車ですが、それも雪が降ると使えません。実に不便な生活です。

しかしこの大きな代償も独立心があればかなり克服出来ます。他人への依頼心が無ければ幸せになれるのです。

車で病院へ送って上げますよ、スーパーにも送りますよという申し出をする人々がいます。木内さんは感謝しながら礼儀正しく断るのです。他人へ頼りだしたら本当の幸福が逃げ出して行くのかも知れなのです。そんなふうに私は理解しています。

こうして独り暮らしの代償を克服している木内さんとたまに会うとこちらも幸せになれるのです。ですから時々お寄りして彼の元気な姿をみるのです。

ちなみに彼のブログ、木内正夫(「北杜市・自然のなかで」)はこのブログのサイドバーの推薦したいブログのトップに出ています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)