山梨県韮崎市の桃の産地の新府地区に一区画だけ梨の花が満開になっていました。4月11日に撮った写真を2枚と、最後に、http://plaza.rakuten.co.jp/hiroshima7302/diary/201403250000/ から転載させて頂いた拡大写真をお送りします。
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山梨県韮崎市の桃の産地の新府地区に一区画だけ梨の花が満開になっていました。4月11日に撮った写真を2枚と、最後に、http://plaza.rakuten.co.jp/hiroshima7302/diary/201403250000/ から転載させて頂いた拡大写真をお送りします。
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昨日、神田の学士会館で仙台第一高等学校の東京地区の同期会がありました。集まったのは36名で、その卒業は1954年、昭和29年です。男子だけの高校でした。集まったのは79歳前後の男性だけです。
結論を先に書けば、私はこの同期会に出席するのはこれを最後にしようと決心したのです。未練はすごくありますが、良い商人は早く店じまいをすると言います。
78歳になって足腰も弱り、そろそろこの同期会も卒業することにしたのです。
そこで以下に少しだけ昔の友人たちの思い出を書かせて下さい。
幹事役の大川君、飯塚君は演劇部でよく一緒にコンパをして遊んだものです。彼らは仙台に一時住んでいた女子高生で、のちに女優になった若尾文子に憧れていて、いろいろな話をしていました。そして配られた名簿の物故者の欄にある村木良彦もその仲間でした。テレビマンユニオンの創立メンバーでしたが数年前に亡くなりました。
そして物故者の欄には懐かしい友人たちの名前が並んでいるのです。一人一人の高校生の頃の顔を思い出します。中年で亡くなった安孫子遜(ゆずる)君は声の良い歌上手でした。コンパの度にイタリヤ歌曲を朗々と歌い上げていました。
そして同期会の名簿を見ていると同窓会に一度も出てこない人が沢山いることに気がつきました。その中に高校時代に親しくしていた友人の名前が並んでいるのです。
クラシックギターが上手でよく曲を聞かせてくれた鈴木幟(のぼる)君は一度も同期会で会ったことがありません。そして私にフランスの象徴詩の詩集をくれた皆川君は卒業以来消息がありません。
出席者の中にこのブログを見ている人がいました。葛西曠君と菅野常夫君と佐藤徹君です。その友情に頭が下がります。
とくに中学校時代から親しかった佐藤徹君とは今でもメールの交換があり、いろいろなことを教えてくれます。美術学校を出た芸術家で、昨日も赤いマフラーを首に巻いて出てきました。
その他、大友暁君とは一緒にヨットに乗ったり湘南の海で遊んだものです。葉山に彼の家があります。
そして高橋亮吉君や武田晃幸君は同期会で会うたびにいつも優しくしてくれました。
これに出席するのがこれでお終いにする決心をしたので皆にそれとなく別れの言葉を送り、感謝の気持ちを届けました。それとなく言ったのですが察した人もいました。そうして何人かは同じようなことを言ったようです。
人間、80歳近くなると、なんとなく人生に幕を引きたくなるようです。
さて表題の「良い商人は早く店じまいをする」という言葉は昔、塚本金明神父の説教で何度か聞いた言葉なのです。どういう意味でこれを使ったか知りませんが、「人間は何時までもこの世のことばかりにかかずらわっていては駄目です。早く店じまいをして神のことやイエス様のことを考えなさいという意味だったような気がします。
下に昨日の仙台第一高等学校の昭和29年卒の同期会の様子の写真を示します。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
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