後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

趣味としての宗教あれこれ(6)キリスト教が犯した大罪を初めて認め、謝罪したヨハネ・パウロII世

2014年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

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欧米人は間違ったことをしてもなかなか謝ったり、謝罪しない民族です。少なくとも多くの日本人はそのように思いこんでいます。

しかし最近、フランシスコ法王によって聖人として認定されたヨハネ・パウロ2世はキリスト教が犯した大罪を初めて認め、謝罪したのです。それはローマ法王の歴史のなかで非常に珍しい事だったのです。珍しいと言うより空前のことだったのです。

その意味でも彼はカトリックの歴史の中で前例のない巨大な善いことをしたのです。

ヨハネ・パウロ2世のこの謝罪のおかげでイスラム教徒もヒンズー教徒も、そして仏教徒も心がなごみ、そして宗教の奥深さをあらためて感じたに違いありません。

全世界の人々の心が平穏になったのです。これこそ神が人間に与える平和ではなでしょうか。

彼が実行したことを以下に整理しました。

(1)ヨハネ・パウロ2世はキリスト教の全ての宗派を再び融合・統一する努力をしたのです。

例えば聖ピエトロ寺院での祭祀にはイギリス教会(聖公会など)のカンタベリー大主教と東方の正教会のコンスタンティノポリス総主教と一緒に司祭しました。

東方の正教会とはギリシャ正教、そしてロシア正教、日本正教会などを含みます。

2000年前のイエス様のころはこれらの別々の宗派は存在しなかったのです。

そのもとの状態へ戻し、正しいあり方に復帰しようとする運動をエキュメニズム(教会一致促進運動)と言います。

ヨハネ・パウロ2世は、別々の宗派の存在がキリスト教としてあるべき状態でないという強い信念を持っていたのです。

これは仏教にもあてはめられます。日本の仏教にはいろいろな宗派があります。しかしお釈迦様が般若心経を教えたときはそんな宗派など存在していなかったのです。

(2)キリスト教が犯した大罪を認め謝罪し、神に許しの祈りを何度もした。

十字軍のエルサレム奪還の為の遠征とイスラム教徒の大殺戮、しかも同じキリスト教徒の正教徒も殺戮した大罪を認め謝罪したのです。

ガレリオ・ガレリイなどの科学者の裁判の間違いを認め謝罪したのです。

その上、魔女狩りと種々の異端裁判、宗教戦争などなど日本人の常識から見て明らかな大罪をローマ法王として始めて公式に認めたのです。

その大罪を謝罪し、その許しを神へ祈ったのです。

特に2000年(キリスト生誕2000年の大聖年)の3月の許しを求める祈りは壮絶だったそうです。体力が衰え倒れそうな体で長時間、ひざまずいて祈ったそうです。そのような疲労が重なって彼は遂に2005年に亡くなりま

人間はどんな理由でも戦争をする生き物です。

他民族を殺戮する本能を持っているからそうするだけです。

戦争はキリスト教が原因になっていないのですが、戦争の口実にキリスト教の名を利用する場合が多かったのです。

しかしヨハネ・パウロ2世の神に許しを求めた内容は2つに分けられと私は考えています。

一つは、十戒の一つの殺人を大量にした大罪。

二つめは、その殺人の正当性を主張するために、それを禁じていたイエス・キリストの名前を勝手に使った大罪です。

この二つを一緒に神の許しを祈ったのだと、私は理解しています。

ローマ法王のヨハネ・パウロ2世の日本人へのかかわりかた等については次回に書きます。

上の2枚の写真の左は1920年にポーランドで生まれ、12歳の時の写真で、右はローマ法王当時の写真です。(2005年4月2日、84歳で帰天しました)


趣味としての宗教あれこれ(5)ローマ法王の国際関係への深い影響

2014年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

趣味として現在のローマ法王のフランシスコさんを観察してみると実に心が和む人です。人間性あふれる人物です。質素な生活が好きで、常に貧しい人々に寄り添っています。

この性格の故に世界中の多数の人々から慕われているのです。

ですからその発言や行動は世界中の国際関係にも大きな影響を与えています。

勿論、最初に断っておきますが、フランシスコさんは国際関係や政治的なことに一切興味を持っていません。絶対に一切持っていません。

聖職者はそれらとは無関係にあるべきです。毎日神様に熱心に祈っている結果として感じたことを言ったり、行ったりしているだけです。

しかし結果として国際関係や政治的な事件に影響を与えているのです。

今日はその3つの実例を下に示します。

(1)韓国の客船事故の犠牲者のために祈り、韓国人へ苦言を呈しています。

4月24日にフランシスコ法王は韓国のカトリック(天主教)の大田教区のユ・フンシク大司教と会いました。以下はその時の韓国のある新聞社の記事です。

下にフランシスコ法王様の写真を示します。

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24日(現地時間)、ローマ法王庁で天主教大田教区長のユ・フンシク主教(大司教)がフランシスコ法王に会った。ユ主教は、旅客船「セウォル号」の犠牲者を哀悼した法王の祈祷に感謝の意を伝えた。

  法王は「韓国民すべてに深い哀悼を表す。若者に会いに行く訪韓を控え、多くの若い生命の犠牲を非常に残念に思う」と述べた。また「韓国民がこの事件をきっかけに倫理的・霊的に生まれ変わることを望む」と強調した。
  (終わり)

http://japanese.joins.com/article/677/184677.html

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この記事で驚くべきことは、・・・フランシスコ法王が、「韓国民がこの事件をきっかけに倫理的・霊的に生まれ変わることを望む」と強調した。・・・という部分です。

歴代の権威的なローマ法王なら一つの国の人々だけを取りあげて、非難がましいことは絶対に言いません。あたらずさわらずの高邁な発言をするだけです。

しかし韓国の犠牲者は多数の高校生でした。しかも最後に船を離れるべき船長や乗組員が高校生よりも早く逃げてしまったのです。人間的なフランシスコさんはそのことが残念でした。怒りを感じたに違いありません。つい言ってはいけないことまで言ってしまったのです。こういう人間的なところが良いと思います。

この発言は意図しなかったとしてもこれから行われる韓国内の裁判の結果へ影響を及ぼすのが自然ではないでしょうか。

(2)ローマ法王がウクライナ暫定政権のヤツェニュク首相と会見し、万年筆を上げた。

内戦の危機が続いているウクライナの親欧米の首相と会見し、和平合意書にサインを書くための万年筆を贈ったのです。

対立している勢力の代表による和平交渉が進展し、合意文書が出来るようにという強い祈りが感じられます。

ローマ法王へ貢物を贈るのが普通です。しかし反対に万年筆を下さったのです。こいうところが質素な法王らしくて好感が持てます。

下にその新聞記事のURLを掲載しておきます。

ウクライナは75%が正教会で14%が東方典礼のカトリックだそうです。この14%が東方典礼のカトリックはローマ法王の傘下には入っていない独立宗教組織です。

今回の会見はアメリカやヨーロッパ側へ応援を送ったような影響がでます。ロシアが苦境に追いやられる効果が想像できるのです。これもローマ法王の国際関係への深い影響の一例です。

(3) ヨハネ・パウロ2世(在位1978~2005年)とヨハネ23世(同1958~63年)の列聖

列聖とはカトリック界の偉い人を聖人と認定し、尊敬する制度です。日本人としては長崎で殉教した26聖人が認定されています。

フランシスコ法王はその聖人にヨハネ・パウロ2世とヨハネ23世の2人を認定したのです。

その理由は下に添付した関連の新聞記事のURLに明快に書いてあります。

さてこの列聖は国際関係にどのような影響を与えるでしょうか。

今回列聖されたヨハネ・パウロ2世はポーランド出身です。ポーランドはカトリック国ですから国民は大喜びです。

その結果、ソ連時代から酷い目にあわされたロシアに対する対抗心が燃え上がります。経済も発展しますし、NATO軍の駐留も強化されるでしょうその結果、隣国のウクライナへのロシアによる侵攻を牽制します。

勿論、ヨハネ・パウロ2世の列聖は何年も前から準備されてきたのです。最近のウクライナ情勢とは完全に無関係です。しかし結果的に影響が出るのです。

そしてヨハネ・パウロ2世の列聖はもっと、もっと大きな影響が考えられます。

彼はイスラム教との和解と推進し、過去にカトリック教会が行なった数々の間違った行動を謝罪したのです。キリスト教国とイスラム教国と戦争の回避に努力したのです。このような全世界的な平和を神に祈ったのです。

ヨハネ・パウロII世は1981年に日本にも来ました。

ヨハネ・パウロII世については書くべきことは沢山あります。しかし、今日はこれでお終いにします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

====参考資料========================      

(1)ウクライナ暫定政権のヤツェニュク首相との会見

http://mainichi.jp/select/news/20140427k0000m030071000c.html

  (毎日新聞 2014年04月26日 23時33分(最終更新 04月27日 01時40分))

 (ローマ福島良典)フランシスコ・ローマ法王は26日、バチカンを訪問したウクライナ暫定政権のヤツェニュク首相と会見した。ウクライナ情勢を巡り、「すべての当事者」に、暴力の回避と平和の回復を呼びかけてきた法王は、ヤツェニュク氏にペンをプレゼント。「このペンを使って和平合意が署名されるのを望みます」と語った。

 会見に先立ち、ヤツェニュク首相はイタリア紙とのインタビューで「ロシアは第三次世界大戦を望んでいる。欧州を舞台にした軍事的紛争につながる恐れがある」と述べていた。

(2)ヨハネ・パウロ2世(在位1978~2005年)とヨハネ23世(同1958~63年)の列聖

   (毎日新聞 2014年04月28日 05時30分)

http://mainichi.jp/select/news/20140428k0000m030098000c.html

 (ローマ福島良典)フランシスコ・ローマ法王(77)は27日、先々代のヨハネ・パウロ2世(在位1978~2005年)と第261代のヨハネ23世(同1958~63年)をキリスト教カトリックで最高の崇敬対象である聖人とする列聖式をバチカンのサンピエトロ広場で開いた。元法王が2人同時に聖人となったのは、約2000年のカトリック史上初めて。信徒に広く敬愛されていた元法王2人を聖人と宣言したことでフランシスコ法王は就任から1年余でカトリック界における求心力を一層強め、バチカンでの地歩を固めた。

 聖人は生前、イエス・キリストの教えを模範的に実行した聖職者・信徒に与えられる最高位の称号。式典には昨年2月の退位で「名誉法王」となったベネディクト16世(87)も参列、現職と前任の法王が元法王2人をたたえる前代未聞の場となった。元法王が聖人となるのは1954年の第257代、ピオ10世(在位1903~14年)以来。

 ヨハネ・パウロ2世(ポーランド出身)は在位中に129カ国を歴訪して「空飛ぶ法王」の異名を取り、東欧民主化を後押しして「ベルリンの壁」崩壊と冷戦終結に道を開いたが、教義面では保守派だった。

 一方、ヨハネ23世(イタリア出身)は親しみやすい人柄で「善良な法王」と呼ばれ、カトリック教会を現代社会に合った形に改革するため、第2バチカン公会議(62~65年)を招集し、バチカン中心主義をただすよう提唱した改革派。

 聖人に列せられるには通例、科学的に説明できない病気の回復などの奇跡2件が必要となるが、フランシスコ法王は二つ目の奇跡が認定されていないヨハネ23世について死後50年の昨年、聖人とすることを決めた。ヨハネ・パウロ2世は死後わずか9年の異例の早さで聖人となった。

 聖人となった元法王2人は20世紀を代表し、カトリック教会の2大潮流である改革派と保守派を象徴する聖職者。フランシスコ法王による2人の「同時列聖」にはバチカン内の改革、保守両派を掌握する狙いがありそうだ。近年のスキャンダルで傷ついたカトリック教会の威信を高め、現代社会で進む宗教離れに歯止めをかけたい意向もうかがえる。