今日の話を簡単に書きます。先の太平洋戦争では何百人という画学生が戦争に動員され死にました。絵の才能が一顧だにされずに戦死させられたのです。その画学生の一人一人の経歴と残された絵画を見ることを続けています。
そうするとこの世の不条理と人生のむなしさが身に沁みます。悲劇です。これが今日取り上げる人生のむなしさです。
ところがその戦没画学生の代わりのように大活躍している画家の三輪修さんという方と知り合いになりました。名古屋の日動画廊まで彼の個展を見に行きました。そしてどんなおつもりで絵画を描いているかお聞きしたのです。深い思索をもって絵を描き続けている方です。
彼と知り合ったことが私の人生にとって大きな喜びになったのです。
私個人が勝手に考えています。私には三輪さんは戦没学生の生まれ変わりと思えるのです。輪廻転生です。そうすると戦没学生を考えて悲しんでいる自分の心が癒されるのです。
ひょっとすると戦後に生まれた日本の画家たちはみんな戦没学生の生まれ変わりなのかも知れません。そう考えると戦没画学生の遺族の心が少し癒されるのではないでしょうか。
今日の話は戦没画学生と輪廻転生のはなしです。
何年か前に、東京駅の丸の内中央改札口を出て右手にステーション・ギャラャリーが出来ました。時々、絵画の企画展をしていました。
そこで「戦没画学生の遺作展」があったのです。
ポスターには美しい女性の横顔の肖像があります。出征する前に精魂込めて描いた絵。企画展では数十枚の油絵が展示してありました。戦争で死んだ画学生の作品。家族の人物像が多い。征く前に寸暇を惜しんで描いている。時間が無くなり、未完成のものもある。
ここでは興梠 武さんの遺作をご紹介します。東京美術学校卒。現在の東京藝術大学の戦前の卒業生です。昭和20年8月8日ルソン島、ルソド山にて戦死。享年28歳でした。下の絵は一番下の妹の絵です。絵を描いて出征し、妹は間もなく病気で死にます。その報告を戦場で受け取った興梠 武さんは半狂乱になったそうです。 その他の多くの戦没画学生の経歴と遺作絵画は、NHKきんきメディアプラン発行、「無言館 遺された絵画」2005年版、に詳しく掲載されています。
この絵画展の案内パンフレットに遺作画を常時展示している、「無言舘」のことが紹介してありました。泊りがけで訪ねて行きました。
無言舘は、長野県上田市、別所温泉近くの山中にあるのです。車で、山の中を探しあぐねた末にやっと辿り着きました。
鎮魂という言葉を連想させる、修道院のようなコンクリート製の建物です。
館長が遺族を訪問し、一枚一枚集めた戦没画学生の作品を常設展示しているのです。下にその展示館の内部の写真を示します。
存在を丁寧に描く。生易しい仕事ではありません。ある色を塗ったら、それが完全に乾くまで何日も待ってから次の色を塗るのです。一枚の油絵を完成するのに何カ月も何年もかかるのです。
彼の絵は何故か淋しい雰囲気を持っています。孤独感が存在の向こうに弱弱しく漂っています。彼が人生のはかなさを感じているのです。しかし時々何故か歓喜の高揚感を感じているに違いありません。写真で示したセーヌ河の橋の下を流れる水面は、その存在を丁寧に何年もかけて描いていって完成したのです。写真のように見えますが油絵です。水の存在感の向こうに何が見えるでしょうか?
画家、三輪修さんの世界とはそういう世界なのです。そんな世界なので、私のインスピレーションでは三輪さんは戦没学生の生まれ変わりと思えるのです。輪廻転生です。そうすると戦没学生の運命を悲しんでいる自分の心が癒されるのです。
ひょっとすると戦後に生まれた日本の画家たちはみんな戦没学生の生まれ変わりなのかも知れません。それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
====戦没画学生に関する参考記事一覧============
戦没画学生の絵画(4)興梠 武さんの「編物をする婦人」