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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

趣味としての宗教あれこれ(1)なんとなく神社やお寺を散歩する趣味

2014年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム

私は宗教は嫌いだ。だからこんな「趣味としての宗教あれこれ」などという連載記事は一切読まない。こう言わないで気楽に流し読みして下さい。

ところで家々の立て込んでいる街中で静かに、そして悠悠と散歩出来る場所は何処でしょうか?

私はよく神社の境内やお寺の庭を散歩します。そいう所は広々としていて空気も良いのです。その上、門が開いているかぎり出入り自由です。本当に自由なのです。

そこを散歩していると宗教にまつわるいろいろなものがあります。それを見ながら作った人の気持を勝手に想像しながら散歩するのです。

例えば一昨日も調布市布田の天神さまの境内を散歩していました。そうしたら下の写真のような牛の像があったのです。菅原道真の死を悲しんで牛が座り込んで、動かなくなったという伝説に基いて作った牛の像です。

各地の天神様には必ず牛の像が寝ています。

Img_6362

当時の牛は牛車を引いたり農耕を助けたりしたのです。黒毛和牛が多かった筈です。上の写真の牛は少し獰猛に見えます。作った人がスペインの闘牛の牛の姿を少し取り入れたのでしょう。そんな他愛もないことを想像しながら散歩するのです。

そしてその神社の隣の寺の庭に入って行くと下のような像が立っています。

Img_6366

中心の大きな仏像に6地蔵が 従っているようです。6地蔵の外側にも3体の像があります。このお寺の古い歴史の間にあちこちに埋もれてしまった仏像やお地蔵さんを掘り起こして、このように並ばせたに違いありません。そういうことをした和尚さんの優しさが見えるようです。

そして帰りがけに庭の隅のほうで下の写真のような涅槃像を見つけました。

Img_6380

この寝姿はお釈迦様が亡くなるときの姿勢を像にしたのです。タイやベトナムの東南アジアのお寺には必ずあるそうです。日本のお寺では珍しいので写真を撮りました。

宗教はいろいろありますが、すべて同じように、人々の死に寄り添い、死者へ慈しみをそそぎ、遺族の悲しみを癒してくれるのです。上の写真にあるお釈迦様も必ず全ての死者へ慈悲の心をそそいでくれるのです。

小生はカトリックですが、仏教も同じように大切に思っています。

そこで以下にある神父様の文章をご紹介いたします。

・・・「私は司祭になってからの37年間に188人のお葬式の司式をしました。数多くの人間の死を見てきました。多くは70歳以上で病気で亡くなった方です。けれどまだ働き盛りの人が重い病気で、小さい子供を残して亡くなったことも、交通事故でが突然命を落とした若者もいました。小学生が海の事故で犠牲になったことも、赤ちゃんがインフルエンザで急死したという痛ましいこともありました。また自死の方もいます。

家族、友人に大きなショック、深い悲しみを与える人の死を何度も見てきました。」

(以下略)

神父さまは人々の死に寄り添い、優しい慈しみを注ぎながら死者を見送ったのです。この神父様は札幌教区の今田玄五(こんだげんご)さんという方です。

宗教はすべて同じように、死者へ慈しみをそそそぎます。

上の写真にあるお釈迦様も全ての死者へ慈悲の心を注いでくれるのです。

そんなことを考えながら神社やお寺を散歩するのが私の趣味です。私にとって宗教は趣味の一つなのです。

このように書くと真面目な信者さんから、「宗教が趣味とはけしからん!」と叱られそうです。しかし私は宗教は狂信しないで、おおらかにお付き合いするのが良いと信じています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

 後藤和弘(藤山杜人)