ひかるのさんは25年間、タイやネパールなどのアジアに住んでいた日本人です。
手織り布とその天然染色のロマンを求めてアジアを彷徨い、東京で蒐集した布の展覧会を開いていました。
そのことを彼のブログで知り、何度か展覧会に行き彼と親しくなりました。
しかしその後突然、2009年の12月に肺ガンになり2010年5月に東京の厚生年金病院で亡くなりました。
50歳くらいの短い一生でした。櫻が散るように短い一生を終えたのです。彼とは2年間位だけの淡い交際でした。
彼はタイのバンコックで貧しい一人のストリート・チルドレンを引き取り、育て上げ、息子としていました。
肺ガンになり、苦しい中でカトマンズとバンコックの家の整理をし、世話になった家主へ別れを告げました。お世話になったカトマンズの家主へ丁寧な感謝の言葉を残して永遠の別れをしたのです。
そしてタイの息子と永遠の別れをするのです。
その悲しみは彼のブログに書いてあるのです。
そのブログは「インド ブータン アジアの布 染織美術館(http://asiancloth.blog69.fc2.com/)」といい彼の死後3年経ちましたが現在でも見ることが出来ます。
このブログには、インドやネパールに25年以上棲みついた間に撮影した写真が沢山掲載してありました。
アジアの人々の貧しさの中にも見え隠れする優しさや美しい情感が写し出されている写真が多かったがのです。
そんな写真に感動して、このブログで彼の撮った写真を何度もご紹介したものです。下にその一例として彼が最後に撮った写真を示します。
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散った桜の花びらが浮いた水面を鴨が2羽泳いでいる写真です。 まだ若い義理の息子をはるかバンコックに残して旅立つ悲しさが写真に漂っているようです。
何故か悲しみを感じさせる写真です。
私は毎年、毎年、桜の散る頃になるとひかるのさんのことを思い出します。
彼は時々、東京に帰って来てアジアの手織り布の展示会を開催していました。そこの会場を数回、お邪魔し、親しくお話も聞きました。
心やさしい人でした。亡くなる直前に病院へも一度お見舞いに行きました。病院へお見舞いに行ったのは私だけではありませんでした。
彼のブログの愛読者が多数、ひかるのさんを慕い病院へ見舞いに行ったのです。
インターネットの世界は「かりそめの世界」と言います。
しかし、その「かりそめの世界」の中でも、情愛あふれる人間の絆が確実に出来たのです。彼はお見舞いに来てくれた一人一人へタイやネパールの絹織物を宅急便で送ってから亡くなりました。遠方で見舞いに行けない人々は彼の蒐集品をネットで購入し彼の入院費用を支援したのです。
この人間の絆に私は感動しました。温かい日本人のひかるのさんへ対する情愛が忘れられません。
下にひかるのさんが小康を得て、一時退院していた時に撮影した江東区のある公園の風景写真を更にもう2枚追加して掲載します。桜が散るころで淋しげな情景です。
そんな訳で桜の散る頃になると私は毎年、毎年、ひかるのさんを思い出し、彼の冥福を祈っています。さようならひかるのさん!
それはそれとして、皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
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下は子供達の遊ぶ様子です。ご自分の少年時代を思い出していたのでしょうか?
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それにしてもアジア諸国を放浪するようにして転々と住んでいた彼にもタイの男の子の養子が1人いたことに少しばかり心が和みます。以下に最後のこの息子との新年会の彼のブログから記事を転載します。どうぞお一読して上げて下さい。
====息子との最後の外食========================
バンコク 正月2日目は 飲茶を食べて(投稿日:2010-01-06 Wed)
正月2日目は夕方から息子と二人で新年会を行うことにした。約束の時間は夕方の5時である。時間通りに 息子は5時にやってくる。いつもであれば、二人で市場やスーパーに行き、食べたい食材を買ってきて、作って食べるのであるが、今回は私の状態が こんな具合なので外で食べることにした。ペッブリー通りに並んでいる屋台で イサン料理でもと思ったが、私の病気のことを心配しているのか、刺激のある食べ物は避け、大型スーパー ロータスの1階にある飲茶を安く出すチェーン店 カントンハウスで食べることに決めた。最近になって利用するようになった店で、値段が安いわりには そこそこには美味しい店である。いつもは昼間に行っていたが、今回は夕方過ぎに行ってみた。昼間には空いている店も 夕方からは 家族連れで溢れている。いわゆるバンコク庶民というより、バンコクの中産階級の家族連れのようだ。家族4,5人でやって来て、ビールを飲まなければ、4,5百バーツ(千3百円前後)で十分に食事が楽しめる場所である。たまに家族連れでやって来て 外食を楽しむには安心できる予算だ。飲茶だけでなく、野菜料理や魚料理、麺類、チャーハンなども安い。飲茶類は 一皿 15バーツ均一、簡単な野菜中心の中華料理であれば、一人前50バーツ、チャーハン、焼きそばなども50バーツという安さである。体長30cm近いシーバスの揚げ物、煮物、蒸し物も2百バーツである。そんな料理を注文して タイ人の家族連れが 食事を楽しんでいる。 顔つきを見ると 中国系の人たちが多い。
自営業をやっている人たちだろう。一緒にやって来ている年寄りの女性を見ると、服装も顔つきも完全な中国人だ。中国系の人たちは 安くて美味しい店をよく知っている。中華街の中華レストランで食事をすれば、眼が飛び出るような値段の料理もこのカントンハウスでは その半分いかの値段で料理を楽しむことが出来る。
私たちも 17種類の飲茶、焼きそば、ビール2本を注文して 新年会を始めた。タイの有名なシンハービールの大瓶が80バーツ、これも安い。近ごろは 路上の屋台でシンハービールを頼んでも 70,80バーツするようになっている。冷房付きのこの場所では 十分に安い値段である。これだけ注文して 465バーツ 約1300円である。税金もサービス料もつかないところが嬉しい。 ビールを飲まなければ、7,800円で飲茶を楽しむことが出来る。超一流の店の飲茶は それなりに美味しいだろうが、私たちにはこれで十分である。1時間ばかりの息子との新年会、腹を一杯にして 息子は自分のアパートへ帰って行った。お金が無いから 十分にお年玉を与えることは出来ないが、それでも心ばかりのお年玉を持たせた。
彼も1月4日から仕事始めである。
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