戦前、戦後の東北地方、とくに岩手県は夏に三陸沖から吹き付ける冷たい風で農作物が全滅することが度々ありました。
このような冷害が起きる度に、娘の身売りが多くなります。身売りの悲しい話が私の住んでいた宮城県にも伝わって来ました。それは暗い悲しい岩手県の宿命だったのです。
特にお米は冷害に弱く、三陸沖から風で全滅してしまうのです。
これをひどく悲しんで、何とかしようとしたのが宮澤賢治でした。
羅須地人協会を作って農地改良を指導したのです。そして下のように・・・寒さの夏はオロオロ歩き・・・という言葉を詠み込んだ詩を作ったのです。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテ
コハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラ
ヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ
(一番目の写真と詩の出典:http://www2.odn.ne.jp/~nihongodeasobo/karuta/amenimomakezu.htm )
宮澤賢治は岩手県の貧しい農民に寄り添い、すこしでも農作物の収穫を増やそうとして二番目の写真のような羅須地人協会を作って農地改良の普及を進めたのです。
(二番目の写真の出典: http://www.hakusensha.co.jp/moe-blog/2011/09/post_154.php)
彼は後に石灰肥料を作るために鉱山会社に就職もしたのです。
しかし土壌改良だけでは岩手県の冷害がほとんど防止出来なかったのです。
それを一挙に解決したのが東京オリンピックの頃から始まった稲の品種改良でした。
お米の味が良くて、冷害に強くて、一反の田圃からの収穫量が多くて、病虫害にも強い稲の新しい品種がつぎつぎに開発されたのです。
コシヒカリ、ササニシキ、ヒトメボレ、アキタコマチなど有名な品種が200銘柄以上も開発されたのです。
特に驚異的な品種はキララ397です。北海道のような寒冷な土地でも短期間の夏に美味しい米をたわわに実らせるのです。
そうして都道府県別米の生産量は北海道が新潟県についで全国2位になったのです。東北地方の青森、岩手、秋田、山形、宮城、福島の各県は米の生産量のランキングですべて上位に入っているのです。
宮澤賢治が岩手県の冷害に悩み、農業改革運動をしたのは1930年前後の頃です。当時は気候も現在より寒かったのも事実でしたが、土壌改良だけでは冷害をどうすることも出来なかったのです。彼は以下のような祈りの言葉を「雨にも負けず」の詩の下に書いいたという話もあります。
南無無邊行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如來
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼佛
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
1930年頃から現在は80年。彼岸に居る宮沢賢治は深く満足していると私は確しています。三番目の写真は現在の岩手県の収穫の終わった稲むらの写真です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
(三番目の写真の出典:http://blog.goo.ne.jp/tanadameguri/e/a58123426e82878d894e85bc112f0986 )
====参考資料==================
(1)宮沢賢治とは
明治二十九年(1896年)岩手県花巻市出身。盛岡高等農林学校に進む。日蓮宗に帰依し、熱心な信者となる。文芸によって布教活動をすることを考え、童話を書く。大正十年、妹の病気のため帰郷。稗貫(ひえぬき)農学校の教師となる。翌年より作品がが盛んに作られる。大正十五年退職し、農業啓発活動を始める。昭和八年、三十七歳で病死。
主な作品
「月夜のでんしんばしら」「どんぐりと山猫」「無声慟哭」「岩手山」「原体剣舞連」「春と修羅」「注文の多い料理店」「稲作挿話」「銀河鉄道の夜」など
「雨ニモマケズ手帳」とは
賢治は、1933年に亡くなりますが、死後、弟によって、手帳に書かれたこの詩が発見された。賢治研究者の間ではこの手帳 を「雨ニモマケズ手帳」と呼んでいる。
(2)岩手県の米:
あきたこまち、おきにいり、いわてっこ、岩手68号、かけはし、コシヒカリ、ササニシキ、たかねみのり、トヨニシキ、どんぴしゃり、ひとめぼれ、
(3)日本全国で作られているお米の品種:http://www.iy-place.net/nihon-no-kome/
米の品種の作付け
面積別ランキング(2006年)
順位と米の種類(品種)と主な地域
1 コシヒカリ 日本全国
2 ヒノヒカリ 西日本
3 ひとめぼれ 東北
4 あきたこまち 東北
5 キヌヒカリ 東日本
6 はえぬき 山形
7 きらら397 北海道
8 ほしのゆめ 北海道
9 つがるロマン 青森
10 ななつぼし 北海道
日本では、たくさんの品種のお米が作られています。
その地域の気候や風土に合わせて常に品種改良が行なわれており、今では300以上もの品種の米が作られるようになりました。米の品種改良にはこれで終わりというところがなく、更により良いお米を作るための品種改良の研究が続けられています。
米の品種改良は、味を良くすることを目的としているだけでなく、寒さや病気に強いものやもっとたくさんの量のお米ができるものを作ることを目的にして行われています。ですから、これからまた何年後、何十年後には、今食べられているお米とは違う別の新しい品種のお米が出てくる可能性も十分にあるという訳です。
・・・・中略・・・・
特にきらら397(きららさんきゅうなな)は北海道産のイネの品種の1つ。1990年品種登録、登録番号 第2151号。それまでのあまり美味しくない北海道米のイメージを一新した品種である。
(4)お米の家系図:
http://www.tanaka-nc.co.jp/kome/bn/kome43.html より。
米の家系図
ユニークなネーミングのお米をよくみかけるようになりましたが、実は現在作られているお米は、明治時代に作られていたおいしいお米の代表、「旭」と「亀の尾」の2品種から改良されたものです。
最近のお米は、”コシヒカリ”のおいしさをさらにおいしく、また病気にも強いものが開発されているのです!
九州全県で栽培されている「ヒノヒカリ」をはじめ、「はえぬき」や「どまんなか」といった品種は平成になってから開発されたお米です。
これらは、"コシヒカリ"の血を引くものです。「あきたこまち」「ひとめぼれ」などは異母兄弟になり、北海道の「きらら397」などは、ひ孫になります。