後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本語は韓国の古代語、そして伽耶(加羅)が日本の古墳文化の源

2014年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム

老境になると自分の国の言葉や文化の源が何処なのかが気になりだすものです。

私も素人勉強でその謎に挑戦しています。

大雑把に言えばアイヌと朝鮮と中国と南方系の民族がそれぞれの文化を背負って日本列島にやって来て日本人を作り、日本文化を作ったことは間違いないと思います。

しかしそれぞれの影響は時代、時代によって非常に違う筈です。そんな思いで今日も日本の古墳時代のことを検索しながら読んでいました。

そうしたら3世紀kら6世紀にかけての古墳時代は圧倒的に朝鮮半島の影響を受けていたことが分かりました。

その研究結果は、http://web.joumon.jp.net/blog/2009/01/688.html に掲載されています。

この文献は公平な歴史観にもとずいた明快な説明なので、是非皆様へもお薦めしたいと存じます。

その趣旨は、現在の日本語にも韓国・慶尚道の方言の影響を深く受けているという主張です。

そして3世紀から6世紀ころの日本の古墳文化の源はこの慶尚道にあった伽耶(加羅)であった証拠を並べているのです。

私も埼玉県の巨大古墳群を何度も見学しましが出土品の馬具、剣や装身具があまりにも慶州の古墳と酷似しているので古墳文化の源はこの慶尚道にあったという説明に強く賛同しています。

それでは以下に、http://web.joumon.jp.net/blog/2009/01/688.html からの抜粋文をご紹介いたします。

・・・・私には、日本語と韓国語をかたっぱしから比較していくなかで、漠然とはしているけれどもわかってきたこがあった。それは、まだ確信には至らなかったが、「ああ、日本語というのは韓国・慶尚道の方言なんだ」ということである。ひとつひとつの言葉を対象してみると、「どうも、これは慶尚道の方言だなあ」という思いが強くなったのである。

 慶尚道とは現在の朝鮮半島の東南部一体を指すのだが、この地方の方言は韓国のなかでも非常に特殊なことで有名で、実は、この特徴が日本語の特色に非常に似ていることに気づいたのである。
 たとえば、韓国語のなかでも慶尚道の方言は非常に省略が多いことで有名である。現代の韓国語で「ハンダヘド」という言葉がある。ところが、これを慶尚道では、「ハン」をとってしまって、「タヘド」と言ってしまう。もっと省略するときには「ハンダ」まで省略し、さらに「ヘド」もH→Kの音韻変化をきたして、「ケド」と言う。こういう言い方は慶尚道以外ではしない。韓国広しといえども、「ハンダヘド」を「ケド」などというのは慶尚道だけなのだ。それくらい省略するのである。

ここまで言えば、もうお気づきのことと思う。この「ハンダヘド」の慶尚道方言は、そのまま日本語の「けど、だけど」となるのである。
 もっとわかりやすい例をあげよう。韓国語の命令語に「ハセヨ」、「ハシヨ」、「ハシラ」、「ハセ」というものがある。慶尚道方言の最大の特色は「ハ」音の脱落である、ということをもう一度思い起こしてほしい。これから「ハ」音をはずすとどうなるだろうか。それらは「セヨ」、「シヨ」、「シロ」、「セ」という日本語の命令形語尾になるではないか。

・・・このような事例が他にも重なって、私は「日本語というものは慶尚道の方言だ」という確信をもつようになったのである。

下は現在の韓国の地図です。

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慶尚道とは慶尚北道と慶尚南道を合わせた地域で、とくに慶尚南道を中心とする地域は3世紀~6世紀に「伽耶」と呼ばれていた地域です。その時代は、まさに日本の支配民族が渡来した時期であることを考えると、日本へ渡来した人々や文化の中には「伽耶(加羅)」の要素がその言語とともに色濃く浸透している可能性があるということです。

Three_Kingdoms_of_Korea_Map.bmp(5世紀頃の朝鮮半島)

・・・中略・・・・

澤田洋太郎氏は「伽耶は日本のルーツ」(93年)の中で、考古学的視点から以下の根拠により日本人の原郷を伽耶地方だとしています。
弥生時代の北九州地方と伽耶地方の遺跡や発掘品を比較すると、
双方非常によく似ていて、若干、北九州の方が新しい。
環濠集落や銅剣、鏡、管玉の意匠が、そっくりであること。
双方で、そっくりの馬よろいが発見され、騎馬民族系譜であること。
墓制がそっくりで、石槨はあるが、棺はないという騎馬民族の特徴があること。
この騎馬民族的特長は、百済や新羅にはないこと。・・・・後略

以下の詳細は、http://web.joumon.jp.net/blog/2009/01/688.html ご覧をになって下さい。

このように朝鮮半島南部の文化が日本文化へ大きな影響を与えた時代がまぎれもなく存在していたのです。

しかし大和朝廷が確立し、中国大陸ヘ直接、遣隋使や遣唐使を何度も送るようになると都の道路が長安に習って碁盤の目ように整然とし、租庸調の税制も唐から直輸入するようになったのです。従って藤原京以後の日本文化は中国大陸がその源とするようになったのです。

江戸時代になりオランダの南蛮文化やキリシタン文化は入って来るようになりました。しかし依然として中国大陸の文化が尊重されていたのです。

それが明治維新によって一挙に西洋文化が怒涛のように流れ込んで来たのです。

そなことも考えながら、http://web.joumon.jp.net/blog/2009/01/688.html を読むと歴史の一ページとしても面白さがよく分かると思います。

老境の読み物としてご推薦できる文書を見つけたので、チョットご紹介いたしました。(終わり)


すべての民族文化は絶対に優劣が無い!・・・これが世界平和を保障する思想

2014年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム

小生は戦前生まれの戦後育ちの後期高齢者です。ですから1945年の日本の敗戦には非常に衝撃を受けました。日本民族が劣等民族だったのだと思い、落ち込みました。

しかし大学生のころにアメリカの比較文化人類学のルース・ベネディクトさんの本を読み感動したのです。

太平洋戦争で捕虜になった日本兵の尋問記録を数多く丁寧に調査し、戦前の日本文化を恥の文化と総括したのです。そしてその本には「すべての民族文化は優劣が無い」と強調してあったのです。

彼女の日本文化の研究はマッカーサーの占領政策にも影響を与えたことも有名です。アメリカの国務省が彼女の研究成果を日本兵の捕虜対策と占領政策を作るときに参考にしたのです。

それ以来、私は、「すべての民族文化は絶対に優劣が無い!」という台詞を何度も、何度も唱えています。外国で働くときの私の心の支えになったのです。この言葉のお蔭で私は堂々とした姿勢でいろいろな外国人と話が出来たのです。

ところが最近この言葉の重要性を再確認することが何度もあります。

それは一部の日本人が韓国や中国人を見下げて差別しているからです。その態度の裏には日本民族の文化がより優れているという無意識の心の動きがあるのです。

話は変わりますが、民族に優劣が無いのですから、ましてや日本のいろいろな地方に住む人々にも絶対に優劣が無いのです。

日本のどんな地方文化にも優劣が無いのです。東北弁も鹿児島弁も東京弁にも全く優劣が無いのです。人間は皆完全に平等なのです。

このような考え方を他人に強要する意図は毛頭ありません。

これは私が平穏な幸せな毎日を過ごすための「おまじないの台詞」なのです。

私は原始人的な部分を持っています。ですから「おまじない」が役に立ちます。

それはさておき、下にブータン民族、フィリピンの山岳民族、そして中国の少数民族の写真を示します。必ずしも経済的に恵まれてはいませんが、彼等の幸せそうな顔をよくご覧下さい。心の豊かさが感じられませんか?

彼女等の民族文化とそして日本文化には絶対に優劣が無いのです。そのように私は感じています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

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上のブータン民族の写真の出典: http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=187013&userflg=0

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上のフィリピンの山岳民族の写真の出典: http://photohito.com/photo/2163797/

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上の中國貴州省の少数民族の写真の出典:    http://kubotahironobu.blog53.fc2.com/blog-entry-738.html