後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

美味しいが栽培が難しい武川米の栄枯盛衰

2014年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム
昭和24年に武川米(農林48号)は山梨県の旧武川村で栽培されて美味しい米として有名になりました。
しかし冷害弱く、栽培が難しいので次第に栽培されなくなり消え行く運命にあるように見られていました。

種もみ自体も少なく「幻の米」といわれるようになったのです。山梨県内でもこの武川米(農林48号)を知っている米屋はほとんど無くなったそうです。
しかし数年前から状況は一変しました。

自家用に少量流通していた武川米が、都内の高級寿司店によって食味の良さと香ばしさの故に再評価されるようになったのです。
その高級寿司店がテレビ取材を受けて、武川米が都内でも知られるようになり、徐々に市場評価が上がり始まったのです。
以前は,武川米は検査を受けると二等米、三等米ばかりで, 一等米は無かったそうです。しかし、農家の努力と情熱により、品質も向上し、現在では一等米が70%を超えるようになったそうです。

毎年、秋に新米がとれる頃になると、北杜市の武川町が主催する「武川 米米まつり」が私の山林の中の小屋のすぐ下で開催されます。
その時には、都内から大勢の人々が武川米を買い求めてに来て会場周辺の道路が大渋滞になります。
武川米は寿司には最適ですが、私の家ではご飯を4合炊いて冷凍庫に保存しながら少しずつ食べます。すると武川米は高い値段ほど美味ではないというのが私の個人的な感想です。むしろコシヒカリの方が冷凍後も美味しいようです。

しかし米にこだわる方々はネットで注文してご飯の味を試してみるのも一興でしょう。
取り寄せの仕方は、http://www.eps4.comlink.ne.jp/~mukawa48/007-2.html をご覧下さい。
写真に昨日撮った北杜市武川町の田圃の風景を示します。


世界遺産の法隆寺とその仏像群の圧巻

2014年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は日曜日です。アットいう間に一週間が過ぎました。

毎週、日曜日は少しだけ宗教に関連したことを書いてからミサに行きます。


カトリックになってから43年たちましたがあまり熱心な信者ではありません。しかし信者になってからいろいろなことが判るようになりました。

その一つは佛教の素晴らしさです。そして日本はまぎれもない仏教国だということも判りました。

多くの日本人は無宗教ですと言います。しかしその考え方や行いはお釈迦様の教えにしたがっていることが多いのです。

美しいお寺が日本には7万以上もあるのです。欧米人が日本はみな仏教徒だと言うのは正しいと思います。カトリックになってみると、その事実が実感できるのです。

そこで今日は日本の仏教の原点のような法隆寺とその仏像群の写真を見てましょう。

飛鳥時代の仏教は朝鮮の高句麗、新羅、百済という国々から伝わって来ました。隋や唐から伝承された奈良時代より100年位古い仏教です。

奈良の法隆寺は修学旅行で行った方々も多いと思います。私も3度ほど訪ねました。お寺の建物の一つ一つは確かに精巧で美しい均整美をたたえています。

しかし建物の配置が百済式で変わっていて、その上観光客が多くて静かに歩くことが出来ません。3度とも人混みの中を歩きました。あまり静かでありませんでした。

しかし東京の上野の国立博物館の隣の法隆寺宝物館にある飛鳥時代の数百体の金銅仏には圧倒されます。数多くの個性的な金銅仏がある間隔をおいて整然と並び、神秘的な照明をしてあるのです。ああ、これが飛鳥佛なのだと訳も無く感動します。

法隆寺の大部分の宝物は明治初年に皇室へ献納され、現在は国宝や重要文化財として国立博物館は管理し、展示しています。

奈良の法隆寺と東京の法隆寺博物館の両方を見ないと、法隆寺の素晴らしさが判りません。

当時の朝鮮仏教の優れた寺院建築や仏像を偲ぶことも出来るのです。

お釈迦様は死ぬときに佛像や偶像を一切作るなと言ったので、不思議なものだと思いながらも飛鳥佛の群像には見とれてしまいます。

下に法隆寺とと飛鳥佛の写真を示します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

三番目の飛鳥佛の群像の写真の出典:http://ameblo.jp/hirot1976/entry-10527943798.html
他4枚の写真の出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA