宗教が原因になった戦争はおもにイスラム教、キリスト教そしてユダヤ教が関係しています。仏教が戦争の原因になった例は数が多くありません。
イスラム教、キリスト教そしてユダヤ教も中東の砂漠で生まれた一神教で、教義はお互いに似ている部分が多いのです。
聖典も共通の部分が多く、現在のイスラエル国のエルサレムも3つの一神教の聖地になっているのです。キリスト教はもともとユダヤ教の一宗派でした。
キリスト教が西洋に普及したのは強大なローマ帝国の国教になったためです。
この3つの一神教は善と悪の戦いを強調します。聖地奪回と称してお互いに大規模な戦争もします。他の小さな民族の宗教を異教として武力で抹殺して来ました。
キリスト教は愛の宗教で、「汝の隣人を愛せ」と教えます。「汝の敵を愛せ」とも言います。戦争をしなさいとは言いません。しかし「善と悪の精神的な戦い」が出て来るので、その「戦い」の部分にだけ注目し、武力戦争をしてしまいます。
どの民族の人間でも、他民族を支配したいという根源的な欲望を持っています。それが聖戦という概念が合体したとき宗教戦争が起きるものなのです。
しかしよく考えてみると、世の中には正しい戦争も聖戦も存在しません。人間の欲望が裏に潜んでいるのです。
左の頬が打たれたら、右の頬を出しなさいとイエス様は教えました。自衛の為の武力行使も慎重にしなさいという教えです。
さて上のような一神教の宗教が原因の戦争を止めさせるのは日本人に一体何が出来るでしょうか?
一つの方法は親しくなった欧米人へ静かに、「戦争すればイエス様が悲しみますよ」とゆっくり語りかける事です。
もう一つは平和的な教えの仏教の考え方を静かに説明する事です。
人間は国籍、性別、年齢に関係なく死んだら必ず成仏するのです。全ての人々が悟りを開けいばみな仏になるのです。敵も味方も死んでしまえば仏になるのです。これが死者悉皆成仏という考え方です。従って戦争で亡くなった敵への慰霊を日本人は行うのです。
鎌倉時代の元寇の時、北条時宗は戦いが終わった後、鎌倉に敵味方双方一緒のの菩提寺を建て、1000体の仏像を作って、全ての死者の冥福を祈ったのです。
また日露戦争の時、戦死したロシア兵の慰霊塔も建てたのです。
この死者悉皆成仏という考え方は日本古来の自然宗教の神道と仏教が習合して自然に出来あがった考えです。
自然の木々や山々に神が宿り、神様になるのが神道の考えの一部です。山川草木に皆神が宿るなら、それは仏と同じことです。ですから山川草木悉皆成仏という考えになるのです。
一神教は人間中心主義で自然は人間が開墾し、征服する相手です。
仏教では共に存在するもので人間は征服しないものです。
キリスト教やイスラム教は異教の民族を武力で改宗させようとする傾向が強いのです。
佛教では、他の宗教を信じている異民族を改宗させなさいとは教えていません。
キリスト教圏の国々とイスラム教圏の国々がどちらの神が本物か、命を賭けて戦争をします。しかし、どちらの神も戦争を悲しんでいます。
決着をつける事ではなく、仏教の教えるように寛容な気持ちで共に存在すれば良いのです。と、話してみましょう。
このようにゆっくり話すのです。早急な効果を期待してはいけません。
それにしても本来人々を幸福にする筈の宗教が戦争の原因になっているのです。これほど大きな悲劇はありません。私も含めて人間の愚かさは一向に治りません。いくら科学技術が発達しても人間は進歩しません。困ったものです。下の写真は宇治の平等院です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)