後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

人々は花が好き、しかし好きな花は人それぞれ

2015年06月09日 | 日記・エッセイ・コラム
季節のうつろいにしたがって水仙、ロウバイの花、梅の花、桃の花、桜、日本サクラソウ、アヤメ、アジサイなどと多種多様の花々が咲いては散っていきます。このページでも毎日のように季節の花々の写真を掲載しています。写真は決して上手ではありませんが、季節の心地良い風に吹かれて花の写真を撮っている時間が楽しいのです。自然の息吹が感じられます。この季節には、高原ではホトトギスの鳴き声が美しく響いています。山に行くとエゾハルゼミの幻想的な鳴き声も聞こえます。
花の好みは人それぞれです。また時代によっても変わって行きます。
そして民族によっても違うのかも知れません。
私は民族による花の好みの違いを大雑把に考えていました。花の好みは人によって違いますが、大まかに言えば次のようになのではないでしょうか?
日本人は野生のニホンサクラソウやスミレ、ナデシコのように小さくて可憐な花が好きです。西洋人は薔薇やチューリップ、ガーベラのように派手で装飾的な花が好きなのです。
しかしこの言い方は間違だったことを知ったのです。
昔、スウェーデンのある大学の先生の家を訪ねたことがありました。そうしたら家の裏庭一面に高山植物の可憐な花が咲いていたのです。それは1972年の夏のストックホルムのことでした。
イワカガミ、コマクサ、ミヤマウスユキソウ、チングルマに良く似た花々が裏庭一面に咲き乱れていたのです。驚きました。
日本では高山にしか咲かない花々が低地の裏庭に咲くのです。緯度が高いからでしょう。
招んでくれた先生に聞くとこのような可憐な花が大好きなので植えているそうでした。
そして花々は気候と土地の成分の違いによって同じ種類でも違った外見になると教えてくれました。西洋の花も日本へ持って行くと咲き方や色合いが少し変わるはずですと言うのです。
私は西洋人は色鮮やかで派手な花が好きと思い込んでいたことを恥ずかしく思ったものです。
その先生も随分前に亡くなってしまいました。小さくて可憐な花束を送りました。
それから随分時が流れて、1994年の初夏にベトナムのハノイ市に旅したことがありました。1988年に経済発展のためのドイモイ政策を発表しましたが、経済発展が遅く、ベトナムにはまだ食料難が続いていました。街はベトナム戦争の戦渦が残り、荒れていました。
ハノイ郊外に行ってみると、紅河の堤に闇市が並んでいます。農産物を売る農民もそれを買うハノイ市民も栄養失調で土色の顔をしています。敗戦後の日本の闇市と同じような光景です。
しかし、よく見ると彼方此方で純白の花束を売っているのです。トルコキキョウのような形の花を、束にして農民が大量に運び込んでいます。自転車の荷台とハンドルにあふれるように積んでいるのです。全てが貧しい風景のなかで、私はこの純白の花の美しさに息を呑み、立ち尽くしたのです。
ハノイ市を案内してくれている若者のチューさんへ聞くと、米軍のハノイ爆撃が激しかったときもこの花を欠かさなかったそうです。ベトナム人の心の豊かさに感動したことが忘れられません。
 その後、サイゴン市に行った時も市場に花々が並んでいました。ただハノイの白い花ではなく、色彩鮮やかな熱帯の花々です。
旅にまつわる花々の思い出を書いてみました。
今日の写真は昨日、京王フローラル・ガーデンで撮った少し変わったアジサイの写真3枚とユリの花です。最後の5枚目の花は池の中から生えていた水カンナの花です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)