まだ梅雨が続いていますが、皆様お元気でしょうか?いつも私の拙文を読んで頂きまして有難う御座います。
さて今日は日曜日です。そこでキリスト教に関連した心温まる3つのエピソードをご紹介したいと存じます。つまらない話なのでキリスト教にご関心のない方にはお読み頂くほどのものではありません。
私に会ってくれて、私を大切にしてくれた人の話です。
心に残る3人を選びました。
(1)ドイツのローテンブルグで会ったインド人のフェルナンデス君のこと・・・
それは1969年の夏から秋にかけてたった3ケ月間だけのお付き合いでした。
毎週日曜日に私を誘ってカトリックの教会へ行ってくれました。ドイツ語のミサなので理解出来ません。
ミサ後、一緒に昼食をたべました。メニューは毎回決まっていて、チキンの半分をオーブンで焼いたものとパンとスープでした。
彼は細身で小柄なインド青年でした。英語で会話をしました。
しかしキリスト教のことは一切説明しません。ただニコニコと笑って食事をするだけです。
何も話しませんでしたが彼が私を非常に大切に思ってくれている事が分かります。彼の優しくて穏やかな笑顔を見て私は決心したのです。来年帰国したら日本で洗礼を受ける決心をしたのです。1971年、私は家内と一緒にカトリック立川教会の塚本金明神父さまから洗礼を受けました。
(2)神田、ニコライ堂で会った金田一豊さんのこと・・・
宗教で一番注意しなければいけない事は狂信しないことと思っています。ですから私は仏教も勉強しますし、キリスト教の他の宗派の教会も広く訪問しています。
色々な神父様、牧師様とお会いしましたが、ニコライ堂で偶然お会いした伝道師の金田一豊さんの事が忘れられません。
ロシア正教の影響を深く受けた日本正教会の本部教会はニコライ堂です。
その歌ミサの藝術的美しさに惹かれて見物に行ったのです。2009年の11月の事でした。
そこでお会いした金田一豊が初対面の私を昔からの幼馴染のように大切にしてくれたのです。
彼は聖職者ですからミサの最中は他の聖職者と一緒に祭壇の上に立っています。それが途中で祭壇を下りて、私のそばに来て、「どうですか?違和感を感じませんか?」と聞いてくれたのです。
それも3回もです。カトリックの私が正教会のミサへ自然に溶け込んでいるか気をつかってくれたのです。
正教会もカトリックも同じイエス様を拝んでいるので私は大らかな気分で歌ミサを存分に楽しみました。一緒に御祈りもしました。
そこでニコライ堂の歴史を詳しく調べました。幕末に函館に来たニコライさんが建てた古い教会です。彼は卓越した宣教者でした。終生ロシアに帰らず日本の土になりました。東京の谷中の墓地に眠っています。
(3)ネットで知り合ったオカブさんの事・・・
オカブさんは「昼のガスパール」というブログを書いています。
ヨーロッパ文化を愛し、ウィーンに何度も行っている方です。
ある時、下北沢の喫茶店で会いました。そして彼の行っているプロテスタントの世田谷教会の礼拝へ誘ってくれたのです。
数週間後に三軒茶屋駅のそばの世田谷教会の礼拝に出席しました。彼はその独立採算の教会の運営責任者の一人でした。
牧師さんへも、そしてオルガンを弾いている奥様へも紹介してくれました。
オカブさんは宗派の違う私を非常に大切にして下さったのです。そして他の宗派の教会を訪問することを薦めてくれました。
そのお陰で小金井市内のメノナイト系の貫井南町教会の牧師様や日本キリスト教団の小金井教会の牧師様にもお会いし、親しくお話を聞くことが出来ました。どちらの牧師さんも初対面の私をとても大切に思ってくれたのです。
以上の文章の中に「私を大切にしてくれた」という表現が何度も書きました。そのことで、皆様は下手な文章だとお思いになったことと存じます。
実はこの大切に思われた体験こそが、私にとって「イエス様に愛されている」という体験と同じなのです。
イエス様の愛は神父様を通してだけ感じるのではありません。何気なくお会いした方々を通して感じることが出来るのです。
そういう事を私に感じさせてくれた全ての人々へ感謝しているのです。
ここでは3人の例だけを書いたのです。私の心の中の財産として大切にしている心温まるエピソードです。
今日の挿絵代わりの写真は4月10日から12日の長崎県五島列島に旅で撮った教会の写真です。順々に井持浦天主堂、堂崎天主堂、そして青砂ケ浦天主堂です。明治維新以後に隠れキリシタンの子孫が建てた教会です。現在は長崎大司教区の教会として使われています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)