後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本人と宗教とのかかわり(1)神社とのかかわり

2015年06月18日 | 日記・エッセイ・コラム
宗教を信じる人、信じない人、どちらでも良いと思います。宗教を信じない人は、宗教的雰囲気や風習にふれるチャンスが無かっただけなのかも知れません。
宗教は所詮、伝承と生活習慣の一部として子々孫々つたわって行くもののようです。
無宗教であろうとなかろうと日本人は神道や仏教の影響を受けて、無意識のうちにその行動規範になっています。そしてキリスト教の教えも知らず知らず取り入れているのです。
無宗教の人は科学や合理性を大切にしますが、その考え方すら神道や仏教の影響をまぬがれることは出来ません。
西洋人が日本を仏教国と呼ぶのは大体において正しい呼び方なのです。
そこで「日本人と宗教とのかかわり」と題する連載を気楽に書き進めて行こうと思います。
難しい宗教学や神学の議論は一切いたしません。土台、私自身それらを理解していないのですから書きようがありません。
むしろ日本人と宗教とのかかわりの風景を、スケッチ風に描いてみたいと思っています。気楽に読み捨てて頂ければ幸いです。
さて第一回目は神道や神社とのかかわりです。
日本人なら誰でも幼少の頃、神社の境内で遊んだ事があると思います。そこはいつ行っても清潔で、子供が遊び回っても叱られない自由な空間です。特に神主さんが住んで居ない神社は蝉取りをしようが、野球をしようが誰にも叱られません。
祭礼の日になると日頃の腕白ぶりをやめ、何事も無かったように楽しく出店を見て楽しみました。その恩返しに元旦にお賽銭を持ってお参りに行ったものです。
老年になった現在でも神社を見ると入って行ってお賽銭を上げます。幼少の頃に遊ばせてくれた恩返しのつもりです。
神社や神道は日本古来の宗教です。山や木や、偉い人がご神体として祀ってあります。家内安全や五穀豊穣を願ってお祈りします。
多くの日本人は神道の神社を遊び場にして育ったと思います。家内安全を祈った場所でした。この様な場所を持っている日本人は幸せだと思います。
このように日本人と神社や神道とのかかわりは軽やかで一見重要でないようにも見えます。
しかし神社や神道は日本民族の基底にある重要な文化の一部なのです。詳しいことは末尾の参考資料に譲って、以下では3つの神社の写真と富士山信仰の宗教的な登山の写真2枚を掲載します。
神社の写真は九州の祐徳稲荷神社と京都の賀茂別雷神社と北海道の札幌稲荷神社の写真です。
賀茂別雷神社の写真の出典は、http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000005602.html です。
また富士山の宗教的登山の写真の出典は、http://www.fusokyo.org/activity.html です。
富士山を神と信じ、富士山へ登れは神のふところに抱かれて、神と自分が一体になるのです。神様が自分の体に乗り移ってくれるのです。自分の人間としての汚さを洗い流してくれるのです。「六根清浄、お山は晴天」と唱えながら杖をつき、白い装束で一列になって登るのです。
それは深い、深い宗教的な境地なのです。キリスト教でもイエス様が自分の身の中に居るという表現を使う時があります。何か勇気がいる事を行う時、自分が行うのではなくイエス様が行ってくれるのだと意識します。そうすると不思議に心配が無くなり正しい事が出来るようになるのです。
このように神と自分の合体感を得る体験はどんな宗教でも重要な事としています。その為の修業の方法がいろいろ決まっているのです。神道と仏教とが習合して修験道が出来あがりました。それも良いものです。
宗教のことをあまり知らない人は、「修業すれば人は誰でも良い人間になれる」と言います。それは半分嘘で、半分しか正しくありません。いくら修業を積んでも偉くなれない多くの人間が居ます。その一方で、修業を積んで偉くなる人もいます。
ここで重要な事は結果でなく、修業中の人間はその間だけでも善人になれる事なのです。
間違いを恐れずに書けば、いかなる悪人でも善人になれるとはこういう意味なのです。
神道にはそのように深い宗教性があるのです。写真からご想像頂けたら嬉しく思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料」==========
(1)日本にある神社の神々による分類
日本の全ての神社で祀られている神によって分類し、数の多いのからランキングを付けてた学問的研究が国学院大学の岡田教授によってなされました。
詳しくは、http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/quiz/gb01-8.htm にあります。一番多い神社は八幡さまで、続いて、伊勢神社系、菅原道真を祀る天満宮系、そして4位がお稲荷さんを祀った稲荷神社系となります。そして熊野神社系、諏訪神社系へと数が少なくなって行きます。
(2)富士山信仰の神社の説明
浅間信仰(富士浅間信仰)の核となる浅間神社は、富士山の神霊として考えられている浅間大神を祀る神社である。静岡県および山梨県を中心として全国に約1300社の(富士神社)が分布する。富士山8合目以上の大半の境内(詳細は富士山本宮浅間大社にて)とする「富士山本宮浅間大社」(静岡県富士宮市)を総本社としているが、東口本宮富士浅間神社(静岡県駿東郡小山町)や、北口本宮富士浅間神社(山梨県富士吉田市)を総本社とする考えもある。
浅間大神は、木花咲耶姫命のことだとされるのが一般的である。浅間神社の祭神がコノハナノサクヤビメとなった経緯としては、コノハナノサクヤビメの出産に関わりがあるとされ、火中出産から「火の神」とされることがある。しかし、富士山本宮浅間大社の社伝では火を鎮める「水の神」とされている。しかし、いつ頃から富士山の神が木花開耶姫命とされるようになったかは明らかではない。多くの浅間神社のなかには、木花咲耶姫命の父神である大山祇神や、姉神である磐長姫命を主祭神とする浅間神社もある。浅間神社の中には、浅間造りと呼ばれる特殊な複合社殿形式を持つものもある。浅間大神は神仏習合によって、浅間大菩薩と呼ばれることもある。詳しくは、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E4%BF%A1%E4%BB%B0をご覧下さい。