後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

伊豆半島で縄文人の魚の食べ方を偲ぶ

2015年06月23日 | 旅行記
旅に出ればいろいろなことを考えます。大体、脈略の無い考えなので、その全てを書いても面白可笑しくもありません。
そこで先週の伊豆半島の旅で考えたことを一つだけ取上げてご紹介いたします。
それは魚の食べ方です。縄文時代には魚を生で、そして大雑把に焼いたり、煮たりして食べたに違いないと考えたのです。そのような大雑把な料理を漁師料理とか磯料理と言います。
少し高級な旅館や料亭ではもっと手の込んだ優雅な魚料理を出します。それとはまったく違うのが漁師料理なのです。
泊まった旅館で上品な魚料理を食べて、何故か魚を食べたような気がしません。何となく魚を沢山食べたという充実感がないのです。
帰りにアジの干物を買い、真鶴半島の原忠で漁師料理を食べて、やっと海の魚を充分食べた満足感が得られたのです。
そしてこの食べ方は縄文時代から基本的に変わっていないという考えにとらわれたのです。
伊豆半島や真鶴半島では山が険しく水田は勿論、畑すら作れません。食べるものは魚しかないのです。そんな場所を旅すれば自然と縄文人の食生活を想像したくなります。
古くから住んでいた人々の食生活を偲ぶ旅になってしまったのです。
それでは写真を用いて簡略に説明いたします。

上の写真は旅館の窓から見た相模湾です。稲取温泉の沖はキンメダイの宝庫です。アジやサバのも豊富に取れます。サワラもイサキもメバルもイシダイも、そしてサザエやアワビからヒジキやモズクも取れます。野菜が無くても海藻類でなんとかなりそうです。

上の写真は淡水の一碧湖の写真です。大きな湖なので淡水魚も取れます。従って伊豆半島の山間部でも魚貝類に困らない筈です。

上の写真はアジの干物とキンメダイの味噌漬けで有名な徳造丸本店です。稲取漁港の前にあり新鮮な魚で干物や味噌漬けを作るので味が抜群なのです。
国道沿いに大きな徳造丸の販売店が数カ所あり干物を大量に売っていますが、どうもその味は本店の干物と少し違うような気がします。ですから稲取に行ったら徳造丸本店に行き、アジの干物を買うようにしています。

上の写真は真鶴半島にある漁師料理の原忠の店内にある生簀です。昔はコンクリートは無かったので木桶や土器の大甕を使っていたのではないかと想像しました。
兎に角、干物にしろ生簀にしろ、魚を数日間は保存する必要があったのでしょう。海が毎日、凪(なぎ)なら良いのですが、荒れる日が必ずあります。その間、家族が飢えないようにしなければなりません。原忠の店内にある生簀を見ながら、料理が来るのを待ち、そんなことを考えていました。
そうしたら下にのような感じの料理が出て来ました。

この写真は原忠のHPから借用しましたが、料理の仕方や盛り付けが大雑把な様子がよく表現してあります。
私の取った料理は生の刺身のイカ、コチ、サザエ、アジ、などで遠洋もののマグロやカツオはありません。すべて相模湾で取れるものです。
他にサザエを焼いた壺焼き、サワラの焼いたもの、ヒジキの煮もの、モズクの酢の物、貝の入った茶碗蒸し、ご飯、漬物、味噌汁がつきました。
一方、家内はキンメダイの煮魚定食をとりました。
魚貝類が新鮮なので手の込んだ料理をしなくても非常に美味しいのです。
食べながら縄文時代のことを想像していました。
当時は刺身包丁が無かったので鋭利な黒曜石の刃物で魚を切った筈です。従って上の写真のサシミのようにキチンとした形ではなく小骨も混じっていたことでしょう。
焼いた魚は同じ様だったに違いありません。塩は海水を煮詰めて作っていたので粉末の塩よりも煮詰めた海水を少々かけて食べる方法もあったに違いありません。
魚の煮ものは土器の鍋で煮たのでしょうが砂糖や醤油は無かったのでショウガやワサビ・サンショウと塩で味を調えたのでしょう。
つまらない話で恐縮ですが、私には縄文の血が流れているらしく、旅に出るとつい訪ねた地方の歴史を想い、そして縄文時代まで遡って考える癖があるのです。
そうすると旅が一層楽しくなるのです。まあ趣味と言えば趣味の一つです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)