後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「玄奘三蔵法師の遺骨が埼玉県、慈恩寺にあることをご存知ですか?」

2015年06月22日 | うんちく・小ネタ
現在、日本の仏教界で読まれている経典の殆どすべては唐の玄奘三蔵法師が645年にインドから持ち帰り、漢文に訳したものです。
ですから日本の多くのお寺の本堂の脇には、玄奘三蔵法師が経典を大きな箱に入れ、背負ってインドから帰る姿の像が立っています。
私は玄奘三蔵法師が好きで、以前からいろいろ本を読んでいました。
したがって玄奘三蔵法師の像を見ると大変嬉しくなります。
彼は日本の仏教の大恩人なのです。
この玄奘三蔵法師の遺骨の一部が埼玉県の慈恩寺にあるというのです。
数年前に私は車を駆ってこのお寺を訪れ現在の住職さんと、先代の住職さんの奥様の話をお聞きしました。先代の住職さんが遺骨を受け取り、立派な玄奘塔を作り、遺骨をその塔の基部に祀ったのです。その玄奘塔も参拝して来ました。
しかしその玄奘三蔵法師の遺骨は本物でしょうか?
本物でないかも知れませんが、遺骨が中国から渡って来た経緯が面白いのでご紹介いたします。
埼玉県にある玄奘塔は慈恩寺から少し離れた畑の中にありました。
それは西遊記(孫悟空物語)で名高い玄奘三蔵法師の霊骨を埋めた石塔です。十三重で高さは約15mあり、慈恩寺が管理しています。
三蔵法師の遺骨は、宋の時代に長安(現西安)から南京にもたらされた後、太平天国の乱で行方不明になりましたが、第2次大戦中に南京を占領していた日本軍が、偶然にも土木作業中に法師の頭骨を納めた石箱を発見(昭和17年)しました。
頭骨は、当時の南京政府に還付され、昭和19年に南京玄武山に玄奘塔を建立し奉安されるとともに、日本へも分骨されたのです。
日本へ渡った頭骨は、当初芝増上寺に安置されましたが、折しもその頃の東京は空襲の被害が広がり、一時埼玉県蕨市の三学院に移され、さらに三蔵法師の建立した大慈恩寺にちなんで命名された慈恩寺に疎開しました。 第2次大戦後、日本の仏教界が正式な奉安の地を検討した際に、三蔵法師と縁の深い慈恩寺が奉安に最適の地とされ、昭和25年に十三重の花崗岩の石組みによって玄奘塔が築かれました。 その後、慈恩寺から台湾の玄奘寺(昭和30年)や奈良の薬師寺(昭和56年)へも分骨されています。
この遺骨は考古学的にも文献学的にも本物であるという証明は不可能です。しかし関係者の玄奘三蔵法師へ対する尊敬と崇拝の気持ちを考えると、それは本物でないと言うべきではありません。ある人々が信仰の対称としているものに真贋の詮索をしないのが良いと私は考えています。
一番目の写真は西遊記の絵で、出典は、http://4travel.jp/travelogue/10706944 です。
二番目の図面は玄奘が629年から645年までの16年間のインドへの旅の行程を示す図面で、出典は、「中国思想史」http://www42.tok2.com/…/yasu…/chinashisoushi/12tenjikuhe.htm です。
三番目の写真は埼玉県にある玄奘塔の脇にある玄奘の像です。
四番目の写真は玄奘塔の門です。
五番目の写真は玄奘塔で、その基部に現状の遺骨の一部が埋まってあります。
これら3枚の写真の出典は、http://www.ukima.info/feature/jionji/jionji.htm です。
====参考資料===============
玄奘(げんじょう、602年 - 664年3月7日)は、唐代の中国の訳経僧。玄奘は戒名であり、俗名は陳褘(チンイ)。諡は大遍覚[1]で、尊称は法師、三蔵など。鳩摩羅什と共に二大訳聖、あるいは真諦と不空金剛を含めて四大訳経家とも呼ばれる。
629年に陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行って645年に経典657部や仏像などを持って帰還。以後、翻訳作業で従来の誤りを正し、法相宗の開祖となった。また、インドへの旅を地誌『大唐西域記』として著し、これが後に伝奇小説『西遊記』の基ともなった。以下は、https://ja.wikipedia.org/…/%E7%8E%84%E5%A5%98%E4%B8%89%E8%9… に続きます。










ブーゲンビリアの花は葉っぱの集合体です

2015年06月22日 | 写真
何故か昔からブーゲンビリアの花に憧れていました。熱帯の花なので温室でしか咲きません。花を見ると熱帯の森の様子が心に浮かび癒されるのです。
その花のことを、ある時調べていたら花のように見えるのは、実は葉っぱの集合体だと知りました。先週、伊豆半島の城ケ崎の「四季の花公園」で撮って来た写真をお送りします。
以下にこの花の説明をつけます。
ブーゲンビリア(Bougainvillea)は、オシロイバナ科ブーゲンビリア属に属する熱帯性の低木で、和名はイカダカズラ(筏葛)、ココノエカズラ(九重葛)と言うそうです。
原産地は、中央アメリカ及び南アメリカの熱帯雨林で、ブーゲンビリアという名前は1768年にブラジルで木を見つけたフランス人の探検家ブーガンヴィルに由来するそうです。
実際の花は一番目の写真のように花の中央部にある小さな2つの白い部分です。色づいた花びらに見える部分は花を取り巻く葉(包葉)であり、通常3枚もしくは6枚あるそうです。









日本人と宗教とのかかわり(3)仏教とのかかわり、そしてささやかな体験

2015年06月22日 | 日記・エッセイ・コラム
日本には75、000のお寺がると言われています。どんな山里に行ってもお寺があります。
江戸時代、明治、大正、そして昭和時代、そして現在に至るまで、人々は檀家としてお寺ときずながあります。仏教を信じていなくてもお墓詣りをする人は多いものです。
多くの人はお葬式があると仏式で執り行い、僧侶の読経を根気よく聞いています。
その上、日本にある仏像の数は世界一とも言います。地方に行くと巨大な観音像があちこちに立っています。高崎の大観音、大船の大仏、韮崎の観音像、牛久の大仏などなど巨大な像が青空に中に聳え立っています。
最近特に、無宗教の人々が増え、お墓さえ作らずに樹林葬や海に散骨する風習が広がって来ました。
しかし仏教が廃れたわけではありません。何せ日本には13宗56派もあり現在でも信仰を守っているのです。
何と言っても、お釈迦様の教えは深く広大です。その慈悲の心は貧しい人にも富める人にもあまねく平等に注がれるのです。
お寺と人々の絆が弱くなっても、日本では相変わらず仏教に関する本が売れているのです。般若心経の解説をした本も売れるのです。
日本人はみんな諸行無常という言葉を知っています。色即是空(しきそくぜくう)という言葉を知っています。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、・・・という平家物語の冒頭の句を知っています。
ですから日本人はこのような言葉を知っていて、時々思い出し、無意識ながらその言葉にそって行動します。日本人の仏教とのかかわりを書きだせばきりがありません。
ですから、日本の仏教の歴史や宗派の違いは末尾の参考資料にゆずり、ここでは省略します。
そして以下では、私自身の仏教とのかかわりを簡略に書いてみたいと思います。
私の父方の祖父は兵庫県の宝塚から能勢電鉄で入った山の村落のお寺の住職をしていました。それは曹洞宗の正林寺というお寺でした。その祖父は戦前に亡くなり、父の弟が後を継ぎました。その祖父の戒名は高天秀嶽大和尚といいます。
昭和11年生まれの私は毎年、夏になると一家でそのお寺に帰省し、お寺の暮らしを体験しました。
下の写真で、そのお寺の光景を示します。
お寺の暮らしが珍しい上に、お盆には施餓鬼供養という一大イベントを毎年見たのです。近隣のお寺から多くのお坊さんが集まって、本堂でお経を唱和し、そして銅鑼を鳴らしながら輪になって歩き、お経を唱えるのです。
そして叔父の住職さんと一緒に小坊主の法衣を来て、村落の一軒、一軒を回り、お盆のお経を詠んだのです。私はこうした宗教的体験をしたのです。この体験がその後の私の宗教感に深い影響を与えたのです。
現在、私はカトリックの信者です。しかしお葬式や法事で和尚さんのお経を聞くと、70年前の懐かしい光景がよみがえって来て楽しいのです。幼少の頃の楽しかった光景を思い出すのです。
一方、私は大人になってからカトリックのことを知りました。そして洗礼を受けました。この時、小さな頃にした宗教的な体験が非常に役立っていたと感じました。
洗礼を受けた後でよく次のような質問を受けます。
「私だけが洗礼を受けると先祖の魂はどうなるのですか?」
私は確信して答えます。「神様の愛は人間が想像出来ないくらい大きいのです。先祖様のことも子供のこともすべて神様に任せなさい。神様やイエス様は絶対に悪いようにはしない筈です」と。
そして、こんな質問も受けます。「洗礼を受けたら仏式のお葬式や法事には出られなくなりますか?」私の答えは簡単です。「従来通り出て下さい。欠席して親類や友人、知人の心を傷つけてはいけません」と。
私はお釈迦様を尊敬しています。玄奘三蔵法師も尊敬しています。弘法大師も大好きです。お遍路さんを尊敬しています。

今日の挿絵代わりに写真は法隆寺の写真2枚と、私の好きな鎌倉の円覚寺の風景写真を3枚です。そして六番目から九番目の写真は昔の思いで出の曹洞宗、正林寺のその後の写真です。
寺を見上げた写真や、本堂の写真や、施餓鬼供養の写真は60数年前と同じです。
これらの写真は正林寺のHP、http://www15.ocn.ne.jp/~syourin/index.html から転載させて頂きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

















===参考資料========
(1)日本の仏教
:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BB%8F%E6%95%99#.E7.B3.BB.E8.AD.9C.E3.83.BB.E5.AE.97.E6.B4.BE
日本は統計的にみて約8470万人が仏教徒であり 、全世界で3億数千万人程度が仏教徒とされていることを考慮しても、やはり一大仏教国である。約7万5000の寺院、30万体以上あるといわれる仏像は、他の仏教国と比べても桁違いに多い。世界最古の木造寺院法隆寺があり、最古の仏典古文書も日本にある。一方、現代の日本人は特定の信仰宗教、宗教観を持っていないものが大多数であり、自らを仏教徒と強く意識する機会は少ないがブリタニカ国際年鑑の2013年度版では99%の日本人が広義の仏教徒とされている。現在の日本の仏教の概略について解説すると、文化庁が編纂している「宗教年鑑」などの統計によると、現在の日本の仏教徒の大半はいわゆる鎌倉仏教に属している。浄土宗系(浄土真宗)の宗派と日蓮宗系の宗派が特に大きな割合を占めており、大乗仏教が特に多いと言える。
以下省略。
(2)日本の仏教の宗派:一覧表、http://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/bukkyou26-4.htm
以下は、http://www.geocities.jp/yasuragigogo/butsukio6.htm から抜粋しました。
①律宗 奈良時代
開祖   道宣(中国) ⇒ 鑑真(日本)
総本山  唐招提寺
寺院数  115
教え: 三蔵(経蔵、律蔵、論蔵)の中で律蔵tがもっとも大事で、身、口、意の戒律を厳しく実践すること説いている。  
②華厳宗 奈良時代
開祖   杜順(中国) ⇒ 審祥(日本)
総本山  東大寺
本尊   毘盧舎那仏(太陽を意味する)
寺院数  61
教え: 華厳経の大方広仏、時間と空間を超えた仏を説いた。「一微塵(極めて小さなもの)中に全世界が反映し、一瞬のうちに永遠の時間が含まれている。」と説き、又「一の中に他の一切を包含すると同じにその一は、他の一切の中に入る」と無尽縁起を理想としている。即ちあらゆるもの一切は、縁によって起き、宇宙の万物は無限に関係しあって、持ちつ、持たれつして生存し、存在している。
③法相宗 奈良時代
開祖  玄奘(中国) ⇒ 道昭(日本)
総本山 興福寺、薬師寺
寺院数  55
教え:万物唯識を説き、「一切の万法は、私の心から生まれたものであり、私の心を離れては一切の存在はなく、一切の万有が私の心そのものである」と説く。即ち認識を通してのみ一切万物の存在を決定する。認識作用をするものに眼、耳、鼻、舌、身、意の六識のほか未那識(マナシキ)、阿頼耶識(アラヤシキ)が万物認識の基と説き。特に未那識(自我を自我たらしめる意識)と阿頼耶識(無限大のいれもの・すべてを記録するところ・行為が記録され、煩悩の種を作るところ)が基本的な識として、修行によって未那識と阿頼耶識を自覚し、これを空にすることにより悟りを得ようとする教えである。
④真言宗 平安時代:
開祖   空海
総本山  金剛峰寺、高野山東寺を中心に約50派に分かれているといわれる。
本尊   大日如来
経典   大日経、金剛頂経
寺院数  12000
教え:「密教を修める者は、密教の戒律と大乗仏教の戒律を実践しなければならない」と説き、密教ては、仏教は、真実の仏、大日如来の教えであり、この大日如来と心身ともに一体となって修行を実践すれば、この身、このままで仏となることができる(即身成仏)と説いている。
⑤天台宗 平安時代
開祖   最澄
総本山  比叡山延暦寺 約20派に分かれている。
本尊   釈迦如来
経典   法華経
寺院数  4400
教え:すべての衆生は、仏陀になることができる
以下は鎌倉仏教の宗派に続くが、省略します。