後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

また蓮の花の写真を撮って来ました

2015年06月27日 | 写真
先日、行った時はまだ満開ではありませんでした。先程、再度また行って今度は満開の蓮の花の写真を撮りました。もう散ってしまった花も数輪あります。
小金井公園入口の左手にある真蔵院です。
真言宗豊山派寺院の真蔵院は、慈眼山普門寺と号します。真蔵院の創建年代は不詳ながら、御嶽山世尊寺の塔頭だったといいます。関野新田を開発した勘左衛門の父甚五左衛門(享保16年1731年没、法名真蔵院勇寛義鋭)を開基として、延享2年(1745)当地へ移転、秀典(宝暦12年1762年寂)が開山したといいます。多摩八十八ヶ所霊場31番です。詳しくは、「小金井散歩みどころ散歩」(http://koganei-kankou.at.webry.info/201107/article_4.html)をご覧下さい。









鎌倉の楽しみ方いろいろ(2)海水浴、サーフィン、ヨット

2015年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム

(上の写真の出典は、http://orimasa2005.web.fc2.com/km-1.htm です。)
鎌倉の海岸は白い砂浜が続き、はるか西の江の島の向うには上の写真のように雪を戴いた富士山が見える美しい海岸です。
この海岸は東端から材木座、由比ヶ浜、そして稲村ケ崎の西の砂浜は七里ヶ浜と呼ばれています。
材木座と由比ヶ浜の境は滑川です。東側を「材木座海岸」、西側を「由比ヶ浜」と呼びます。
この材木座の砂浜や由比ヶ浜は明治期に海水浴場となり、東京の人々が沢山来るようになりました。特に夏目漱石の『こころ』に描かれて有名になると一層海水浴客が増えたそうです。
しかし近年の海の楽しみ方は海水浴だけでなく、サーフィンやウィンド・サーフィン、そしてヨットなどを楽しむ人々も増えています。海水浴は夏だけですが、これらの遊びは四季を通じていつでも楽しめるのです。特に材木座にはサーフィンや小型ヨットを教えてくれるスクールがあり、気軽に始める人も多いようです。

(上の写真の出典は、http://surf-diary.surf-paradise.net/?eid=136 です。)
上は由比ヶ浜でサーフィンを楽しんでいる人々です。

(上の写真の出典は、http://jmty.jp/kanagawa/com-spo/article-s88r です。)
上は材木座のヨット・スクールの訓練風景です。

(上の写真の出典は、http://homepage3.nifty.com/88yokohama/ksummerfw.htm です。)
上は夕陽の由比ヶ浜を走っているウインド・サーフィンの姿です。
これらの写真のような光景を見て私もヨットを始めました。48歳になってから始めたのです。
最初は材木座のヨット・スクールに行きました。しかし、砂浜をヨットを引きずって海に出したり陸に上げたりする労働が48歳の自分には厳しすぎたので、すぐに止めました。その代わり江の島にあった「レッツ・ゴー・セイリング・クラブ」に入り直してヨットの帆走技術を覚えました。
その後は葉山マリーナで帆走技術の訓練を受けました。2年間ぐらい訓練を受けてからキャビンのついた大きな中古ヨットを購入し、23年間、霞ヶ浦でセイリングを楽しむことを経験しました。しかしその間も鎌倉の沖では何度も友人と帆走を楽しんだのです。
4年前の75歳の時、ヨットを手放し、止めてしまいました。体力が無くなったのです。

上の写真は暴れるヨットを何とかしようとしている私の写真です。霞が浦です。

上はヨットを正しい姿勢にして気持ちよく帆走している様子です。このヨットはキャビンも広く楽しいヨットでした。
このように鎌倉の楽しみ方の一つにその海で遊ぶ楽しみがあるのです。
何故、鎌倉周辺でヨットの趣味を始めたかという理由を簡単に書いておきます。それは家内が昭和12年に鎌倉で生まれ、終戦前には御成小学校に通っていたためです。
家内が懐かしがるので何度も鎌倉に遊びに行きました。昔は自宅から歩いて、松林を抜け、よく海水浴に行ったり地引網もしたそうです。鎌倉に行くと必ずのように材木座や由比ヶ浜の砂浜に出ます。ヨットスクールが目に入ります。
私は戦前の小学校で海洋少年団に入っていたのです。自然にヨットを始めました。少し遅すぎましたが。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)