今年、2015年は1945年の敗戦後70年です。新聞は戦後70周年の特集記事を、そしてテレビでは太平洋戦争の特別なテレビ番組を組んでいます。
多くは悲惨な戦争の体験者の実話を紹介し、そして戦争中の残酷な写真を報道しています。
しかし現在の若者にとっては、生まれる遥か前の出来事です。関心がないとしたら、それは自然なことです。
戦前生まれ、戦後育ちの私ですらもう忘れたいのです。悲惨な話や写真はもう結構です。そのように思いつつ、やはり戦後70年のことをあれやこれやとつい考えてしまいます。
先の戦争で日本が失ったものは何でしょう?
まず300万余人の人命を失いました。そして大日本帝国の政治、社会体制を失いました。日本の美しい義理人情の伝統を失いました。失ったものは数多くあります。
得たものはアメリカ流の民主主義です。全ての人を大切にしようという基本的人権の考え方です。平和憲法も得たものの一つです。
現在の日本人はそれらをアメリカが日本へ押し付けた占領政策に過ぎないと言います。しかし戦争に敗けた日本にはそれ以外の選択肢は無かったのです。
得たものの一つは日本人の視点や考え方が広がったこともあります。
例えば戦争で命を失った人の国籍に関係なく、その悲しみに心を寄せることが出来るようになりました。
その実例が沖縄にある「平和の礎」です。戦後、50年経過してそれが出来たのです。
その碑に名前の刻んである人々の国籍と人数を下に示します。
日本、沖縄県: 149,329
県外都道府県: 77,380
外国、米国(U.S.A): 14,009
英国(U.K): 82
台湾: 34
朝鮮民主主義人民共和国: 82
大韓民国: 365
合計:241,281
この碑は敵国だったアメリカ兵とイギリス兵の戦死者の名前がもれなく刻んであるのです。その故にアメリカやイギリスでもこの碑のことは有名だそうです。
そして朝鮮人も台湾人も名前が刻んであります。
特に朝鮮人も日本のために特別攻撃隊の戦闘機に乗ってアメリカの艦船へ突っ込んで散華した人もいたのです。特攻隊員として出撃・散華した朝鮮人軍人は光山少尉を含め14名でした。
(大戦中は24万2341 人の朝鮮人青年が軍人・軍属として戦い、2万1千余柱が靖国神社に祀られています。)
この碑の写真をジット眺めていると戦争の悲しさが心に溢れて来ます。
そしてやっぱり戦争はしてはいけないという想いに駆られます。
皆様も写真に刻まれた日本人、アメリカ人、イギリス人の名前をご覧頂けたら嬉しく思います。
上は日本人犠牲者の名前の一部です。
上は14009人アメリカ人の犠牲者の一部です。
上は82人のイギリス人犠牲者の名前です。
この記念碑にはこのような祈りがこめられているそうです:「去る沖縄戦などで亡くなられた国内外の20万人余のすべての人々に追悼の意を表し、御霊を慰めるとともに、今日、平和を享受できる幸せと平和の尊さを再確認し、世界の恒久平和を祈念する。」
この石碑を建てた方々に敬意を表して終わりと致します。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)