後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ネット友人とドラマチックな再会をしました」

2009年02月19日 | うんちく・小ネタ

ネットで知り合った人で、種々の国々の人間に対する理解の仕方や民族特有の文化へ対する感じ方が自分と同じ人々は躊躇なく「友人」として心に刻み込みます。実際に会ったことが無くても「心の友人」になります。例えばタイとネパールに住んでいるHikarunoさんはそういう友人です。帰国された折にお会いし、話し合ったこともあります。もう一つの例を上げますとベルリンに住んでいる中村真人さんです。

それにもう2人の名前を終世忘れられません。お会いしたことが無いが、自分のブログの記事へ毎回、内容の深いコメントを2007年11月から2008年8月までの9ケ月間、毎日ご投稿下さいました高山さんとSHANTIANさんのお二人のことは忘れられません。コメンントは2008年の8月16日で止りましたが、それまでの好意溢れる意義深いコメントには非常に勇気付けられました。そのお陰で私はネット世界に対して深い信頼感を持つことが出来たのです。お会い出来ませんでしたが、このお二人は私の宝のような友人です。

ネットはバーチャル世界だから真の友人は出来ないという考えもあります。

しかし私はネットでは、お互いに年齢、性別、職業、服装、容姿に惑わせられず純粋な気持ちの交流が出来るのです。従って実社会では得られない種類の真の友人が出来ると信じています。今日、ここで例として名前を上げた人は4人だけです。しかし私はネットの上で多くの友人を持っています。私の個人的な考えですが、インターネットの世界でも真の友人ができると信じています。(終わり)

この記事は2月18日の午後に掲載しましたところ、すぐに恩人の高山さんから以下のコメントを頂きました。実に6ケ月ぶりにドラマチックな再会をしたような感動を覚えました。

======高山さんからのコメント===========

ご無沙汰しております。いつも拝見はしております

お気遣い戴きありがとうございます。

仕事が忙しくなったのと、一日に三本も記事をアップされるので、対応できず失礼していました。

毎回感服しながら拝読しています。 高山

=====このコメントへ対する私からのコメント========

高山さん

拝啓、

厳寒の季節ですが、お元気なご様子で大変嬉しく思います。

大会社をやめ自立し事業をはじめたとお聞きしていましたので、お仕事が成功して忙しくなったのだろうと想像していました。

それにしても昔の親友に思いかけず再開したようで、こんなに嬉しい思いは久しぶりに体験致しました。

ネットの上で出来た忘れられない友人、いや恩人とこうして再び言葉を交わすことが出来たことは私の人生で一番の貴重な宝物になりました。

SHANTIANさんもお元気と信じています。

9ケ月の長い間、数々の意義深いコメントで励まして頂きまして、本当に有難う御座いました。

高山さんの事業がますます発展するように何時もお祈りいたしております。

敬具、   藤山杜人

この写真は上の記事とは直接関係はありません。船首の向こうに冬鳥の大群がゴミのように写っています。まもなくシベリアへ帰るのです。いろいろな想像力を刺激する風景なので挿絵の代わりにここに掲載します。(終わり)

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フォトアルバム「中古ヨットの見分け方写真集」へ写真を追加しました

2009年02月18日 | 写真

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1982年進水、船齢27年の26Feet艇の冬霧の中のセイリングの写真を3枚追加しました。 2009年2月13日の霞ヶ浦で撮影した写真です。船齢27年の中古艇の真冬のセイリングの記録写真です。このフォトアルバムのアクセス数は何時までも多く、2007年11月に開始以来の総アクセス数は46000件弱になります。

ご覧下さいました方々へ感謝の意を表します。有難う御座いました。

(終わり)


ネットで知り合った忘れ得ぬ友人達

2009年02月18日 | うんちく・小ネタ

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ネットで知り合った人で、種々の国々の人間に対する理解の仕方や民族特有の文化へたいする感じ方が自分と同じ人々は躊躇なく「友人」として心に刻み込みます。実際に会ったことが無くても「心の友人」になります。例えばタイとネパールに住んでいるHikarunoさんはそういう友人です。帰国された折にお会いし、話し合ったこともあります。

もう一つの例を上げますとベルリンに住んでいる中村真人さんです。

上の左の写真は1月29日に八丈島の植物公園の中にある展示館で、急な雨に降り込められてコーヒーを飲みながら窓の外の風景を撮ったものです。その風景をみながら雪のベルリンに住んでいる中村さんのことをあれこれ考えていました。

ドイツが起こしたホロコーストへ対する感じ方に共感を覚え、コメントの交換をした方です。今頃は雪が降りしきるベルリンの古い町を散歩しているのだろう、と考えていました。東京に帰って、彼のブログを見たら、上の右のような寒い川沿いの道を散歩している写真が掲載してありました。この写真の彼の説明文を転載いたします。

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雪が降りしきる今日の午後、U2のシュピッテルマルクト(Spittelmarkt)駅で降りて、ベルリンの古層ともいえる地域を散策してみた。この駅からメルキッシュ岸(Märkisches Ufer)に沿った道は、ガイドブックなどで取り上げられることは普通まずないが、なかなか情緒があって私は好きである。写真の風景を後ろ目に見ながら、東に向かって歩いてみよう。

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お会いしたことが無いが、自分のブログの記事へ毎回、内容の深いコメントを2007年11月から2008年8月まで毎日ご投稿下さいました高山さんとSHANTIANさんのお二人のことは忘れられません。コメンントは2008年の8月に突然無くなりましたが、それまでの好意溢れる意義深いコメントには非常に勇気付けられました。そのお陰で私はネット世界に対して深い信頼感を持つことが出来たのです。お会い出来ませんでしたが、このお二人は私の宝のような友人です。

ネットはバーチャル世界だから真の友人は出来ないという考えもあります。

しかし私はネットでは年齢、性別、職業、服装、容姿に関係なく純粋な気持ちの交流が可能なので実社会では得られない種類の真の友人が出来ると信じています。今日、ここで例として名前を上げた人は4人だけです。しかし私はネットの上で多くの友人を持っています。

私の個人的な考えですが、インターネットの世界でも真の友人ができると信じています。   

(終わり)


ネットの上での友人とは何でしょうか?へ対しての7つのコメント

2009年02月18日 | うんちく・小ネタ

ネットの上での友人とはなんでしょうか?という文章へ対して7つのコメントを頂きました。少し省略してその趣旨を下のご紹介いたします。

個人的な好みを言いますと、(コメント4)と(コメント6)の考え方が好きです。私もそのように考えています。もっと踏み込んで申し上げると、私はネットでコメントを交換したり、メールを交換した方々の全てをかけがえの無い友人と思っています。この点は続報でご説明いたします。

皆様がどのようにお考えでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。--藤山杜人ーー

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(コメント1)ネット上の友人、分析、なるほどなーと感心致しました。私は北海道、十勝生まれの東京育ちの56歳の女性です。2歳の孫が居ますが、今も好奇心旺盛で、街より田舎が大好きです。田舎のほうが心が癒されます。

(コメント2)

改めて、友人とは何だろうかと考えさせられました。
小生が思う友人とは、自分という存在を知ってもらい理解と共感をともにして頂くことができる人と位置づけています。
現在はネットという便利な手段があります。その人たちとの輪を出来る限り広げたいという思いです。これからの残りの人生で新しく何人の方々と友人としてのお付き合いが頂けるのだろうか、と考えてしまいました。

(コメント3)

内容を読みました。有難う御座います。
しかし、ネット上には「友人」は居ないと思います。
(有り得ないと思います)
あくまでも バーチャルの世界でしょうから・・・。
リアル社会でも、本当の「友人」は1人か2人ですね。
藤山さんは仙台の方ですか?(仙台弁を忘れないでね)

(コメント4)

私の心の中で友人と決めた方々は、永遠に嫌いにならないと想う方々です。縁が遠のいても心にいてくれていますね。ネットもリアルも違いは無いです。
PC
の場合でも、向こうには人が居ますのでリアル同様に話します。ただ顔が見えない分、相手の気持ちを察しながら慎重にならざるをえないですね。反面、飾りはゼロからスタート出来る良さもあります。折角貴重な時間を割きPCに向かう以上、たかがで無く、されどネット友と想いお付き合いさせて頂きたいと今迄もこれからも思っております。

(コメント5)
――「自分が今まで随分と狭い世界しか知らなかった」、という事実に気が付きます。 ――中略―
>同じような考えの学生が集まる学校、そして同じ業界の会社の中での知り合いの世界はとかく狭くなりがちです。――中略――――
>インターネットの甚大な効果の一つは学校や業界、職業の壁を崩す効果ではないでしょか?
―――藤山さんの文章の一部でしたーーーーーーーーーー
私も同感です!
ずっと同じ友達と付き合い、友情を大事にすることも大切ですが、 ついつい自分たちだけの世界に閉じこもりがちになりかねません。
ともすれば人間は長くいきていると、自分の考えが固まりがちになりますが、インターネットの世界からは色々な人が有ると言うことを学べます。
それは色々な人を見ることにより、改めて自分と言う人間を再認識できると言う利点も有るように思います。
常に自分の中で見失ってはいけないものはしっかり保ち、流動的に取り入れたり出したりすることも生き方として大切なのではないかと感じています。
藤山杜人さんのように、こうして疑問を投げかけて頂くとまた自分なりに自分の方向を考えざるを得ません。私も焦らずゆっくりと歩んでゆきたいと思っています。

(コメント6)

藤山杜人さま、
「友人」は何人いますか?
答えになっていないかもしれませんが、「友人」に何を求めるのかによって、その数は違ってくるように思います。
多くを求め(物質的なものではなく、精神的なもの。人生の指針や宗教的救済なども)、また多くを与えて悔いのない関係を望むのであれば、その数は限りなくゼロに近くなるでしょう。
さらに、「友人」は「友人関係」とは同義であることから当然のことながら、友人となると同時にそこには新たな人間「関係」が発生することになります。
「関係」の発生は、良いことばかりであるとは限りません。
また逆に、よい関係であろうとする・あるいはよい関係が結ばれれば結ばれるほど、必ずやってくる「離別」は耐えがたいものになるわけで、その理不尽さを自分の中でどのように納得するか・・・という問題もあります。
けれど、人生なにごとも「縁」
「お釈迦様のはからい」とは、三千年の歴史を持つ中国の人たちが好きな言葉ですが、まさにその通りだと思います。私はその「はからい」を素直に頂戴したいとおもいます。
で、なんとなし」に・・・
「友人」も「夫婦」と同じように、片目を閉じてお付き合いするのがいいのかもしれませんね。

(コメント7)

私はネット上で知り合った人は【知人】と考えています。
友人は出会いあり、じかに話をして意気投合する事で【友人】になると考えています。


私の考えは間違っていた・原子力発電(1)天皇の訪問写真

2009年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の原子力発電は総発電量の34%までに成長してしまった。現在に到って、それを停止するのは非現実的なことである。

この発電方法を促進した人々の動機や目的は種々であり、同様に反対運動をして来た人々の反対理由も少しずつ異なっていると理解するのが実態に近いと思う。

原子力発電に関する連載記事を掲載して、色々なコメントを貰った。それらを考えてみると自分の原子力発電へ賛成して来た考え方が間違っていた部分があることに気がついた。少なくとももっと多様な意見があることを重要に考えるべきであった。これこそブログをしていたお陰だ。

どこをどういう風に間違って来たかを理解して頂く為に何回かに分けて順徐良く話して見たいと思う。

今回は「動力核燃料公社」(所謂、動燃)の後進の核燃料サイクル機構の東海村本部を10年前に訪問したとき見た写真について報告したい。

動燃が発足以来、毎年、天皇陛下や皇太子殿下が動燃やサイクル機構を訪問・視察してきた大きな写真が玄関ロビーの壁に飾ってあった。玄関にいつまでも飾ってあるのは動燃やサイクル機構の幹部や職員が皇族の訪問を名誉と思い、自分達の仕事が天皇に守られるほど重要な仕事だと思っていたからに違いない。

私はその毎年の天皇や皇太子の訪問の写真を見たときその意味が分からなかった。それから10年たって、今回ブログで原発反対のコメントを貰い、一瞬にして闇から明るい所に出たように天皇訪問の意味が分かった。

それは原子力発電は日本の威信を高める国家的事業という目的もあった、ということだ。(もちろん安い電力を得たいという実利的目的もあった。)

国威発揚という発想はどうしても軍国主義時代を連想させるのは仕方ないことである。その結果、日本全国は空襲の被害をうけ、敗戦間際には原子爆弾すら2個も落とされたのだ。感情的に反対するのは自然の道理ではなかろうか。

今回は原子力発電の国威発揚の目的と、それに対する自然な反応を取り上げて見た。この側面は原子力発電の技術的安全の問題とは異なる性質を持っている。

賛成派、反対派の種々の複雑な目的については今後、順次取り上げて行くつもりだ。

(続く)


荒れる冬の海ー八丈島

2009年02月17日 | 写真

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写真を撮っている私の顔に冬の烈風が冷たい針のように刺さります。

風の音がヒューッと耳もとで鳴っています。荒れ狂う恐ろしい波音が体に響きます。寒さと豪音で骨まで震えます。

本人は冬の強風に荒れる海の様子を必死で写しているのです。しかし出来上った写真は沸き立つ波の迫力を描きだしていません。怖がっていないでもっと波のそばへ近寄って撮影すべきだったと反省しています。

2月28日から31日にかけて船の欠航の間に八丈島で写した写真7枚をおおくり致します。 (終わり) 


ネットの上での友人とは何でしょうか?

2009年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム

友人は何人いますか? この問いへ貴方は何人と答えますか?答えを便宜的に4種類に分けてみます。

(1)懐疑的な人、「質問の中の友人の定義を示せば答えます」

(2)誠実な人間、「そうですね、本当の友人と言えば数人くらいでしょうか?」

(3)知り合った人全てを友人と考えたい人、「数千人は居ますでしょうか?」

(4)その他、特に友人という言葉に無関心な人、「何人か居るような、全然いないような気もします」、「質問そのものに興味が有りませんね」

どういう人を友人と呼ぶか?人それぞれによって違うので上の4つの分類はあくまでも便宜的なものです。この分類について議論せずに最後までお読み下さい。

さて本題は「ネットの上で何人の友人を作るのが良いのでしょうか?」という問題です。

会員制のネットの上では自分の年齢、性別、略歴や居住地、趣味を簡略に会員へ公開しています。それを見て「友人になってくれませんか?」と申し込むシステムがあります。申し込まれた人は返事をします

上の便宜的な分類に従えば、答えも4種類に想定できます。

(1)懐疑的な人:うーん、と2,3週間考えて、「何もお役に立てませんが、よろしくお願いします」

(2)誠実な人:「私が誠実に友人付き合いが出来る人は30人と考えています。すでに数になっていますので、御断りすることをお許下さい」

(3)全ての人を友人と考えたい人:「有難う御座います。是非、友人になって下さい」

(4)友人という存在へ興味を持たない人:返事などする筈がありません。

次の問題は、「自分が友人関係になって下さい」と申し込んだ場合、皆様はどのような答えを期待しますか?

私は趣味人倶楽部、みんなの足跡、BYOOLという3つの会員制のネットクラブに加入していて総数120人位の友人関係が出来ています。そのうち100人位は友人になって下さい、とこちらからお願いしてOKの返事を貰ったものです。

こちらから申し込んで断られた場合はほんの10回以下でした。その中で、上の(2)のような説明がついている場合もあります。

ブログを書いたり、ネットの上でのクラブに入ったりして色々な経験をしました。

その結果得た一つの教訓は、ネットの上で知り合った人々は全て友人と考え、可能な限り建設的に、そして陽気に付き合うことが鉄則だ。という教訓です。

それと寛容な気持ちでお付き合いしてみると、「自分が今まで随分と狭い世界しか知らなかった」、という事実に気が付きます。

インターネットが無ければ人々は学校や会社で知り合った人々としか友人になったり付き合ったりする機会がありません。同じような考えの学生が集まる学校、そして同じ業界の会社の中での知り合いの世界はとかく狭くなりがちです。

インターネットの甚大な効果の一つは学校や業界、職業の壁を崩す効果ではないでしょか?

その結果、自分の考え方は広く、深くなります。その実例として原子力発電に対する自分の考え方が変化しました。そのことは又別の記事として掲載します。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りします。    藤山杜人


ネパール、カトマンズ風景

2009年02月16日 | 写真

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私の推薦したいブログに「ひかるのさんのインド・ブータンのブログ」(左下)があります。最近のカトマンズの街角で弟を遊ばせながら農産物を商っている少年の写真をご紹介します。

同じカトマンズ風景ですが、私のネットで知り合った友人の先週のカトマンズの写真を掲載してあるURLをご紹介いたします。http://blogs.yahoo.co.jp/thml_3333 です。

カトマンズはマオイストが政権を取り、独裁政府を作り人々の生活が大混乱しているそうです。でも彼らの表情は変わらないようです。ひかるのさんの文章も是非お読みください。同じカトマンズの写真ですが少し視点の違うお二人の写真をご紹介いたします。どちらも良い作品だと思います。両方見て少しカトマンズが理解出来たような気が致しましたので、合わせてご紹介致したいと思いました。(終わり)


水戸の偕楽園の梅祭りがいよいよ始まります

2009年02月16日 | うんちく・小ネタ

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水戸の偕楽園の今年の梅祭りは2月20日から3月30日までです。上の写真はそれに先駆けて行われた植樹祭の様子で、下の写真はその時咲いていた紅梅・白梅の写真です。以前から、このブログで推薦している玲さんのブログから転載致しました。

以前、梅祭りへ行った折に茶席に寄りました。梅大使のお嬢さんがお茶を運んで来てくれ、親切にして貰ったことがありました。梅祭りの間には偕楽園内には色々な食物の店が出て家族連れが楽しそうにしています。祭りの期間中は偕楽園内のJRの駅に列車が臨時停車して便利至極です。今年も盛況となることお祈り致しています。(終わり)


山林の中を一緒に歩いてみませんか?

2009年02月16日 | 写真

山梨県、旧武川村の山林の中をご一緒に歩いてみませんか?

自然に親しむ楽しさと、日本の農村の時代の流れがしみじみと味わえます。

まずはクヌギやコナラの雑木林に分け入りましょう。昨日の午後、孫3人を林の探検に誘ったのです。この雑木林は近隣で武川米を作っている農村の人々が植えたものです。すっかり落葉していますので冬の陽が明るく差し込んでいます。体が雑木と一体になったような気分になり、「ああ、自然に親しめる!」と感じます。

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このような雑木林を300メートル位、西の方角へ歩いて行くと、突然大きな松の木が繁っている森へ着きます。村人が製材して材木を都会へ売るために丹精込めて世話をしてきた松林です。しかし松の大木やモミの大木が倒れたままに放置されています。1980年代の高度成長の前には貴重な材木として即刻運び出し、製材して都市の人々へ売れたものです。

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輸入材木が安く入るようになり国産の材木は売れないのです。農村の人々は山林の中へは一切入らなくなりました。山菜採り以外は。

便利なプロパンガスが普及して、薪も炭も必要なくなりました。ですから山の林や森は荒れる一方です。少年の頃、薪や焚き木を取りに山へ行った経験があります。つらい仕事でした。それを回想しながら時代の流れの大きさをしみじみ感じます。

松林の中をさらに100メートル位西へ歩くと、石空川(いしうとろかわ)の崖の上にでます。左手の上流に小さく見える橋は自動車道路の橋です。この地点で崖を下りるのは危険です。左へ直角に曲がり300メートル位、崖に沿って登ります。するといきなり舗装道路へ上がれます。舗装道路を右方向へ歩くと、さっき見えた橋を渡れます。石空川の西岸には自動車道路が下へ伸びてます。2Km歩くと、巾の広い広域農道にでます。その地点で急に見晴らしが良くなり八ヶ岳、金峰山、そして甲斐駒が見えます。この散策ルートは子供の足で1時間位です。お疲れ様でした。

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奥多摩などの近郊へ車でお出かけになり、自動車通りの脇に車を止めて山林の中に分け入り探検的な散策を楽しむことも出来ます。

林へ入る場合は、山の上から地形をよく観察して探検コースを決めます。磁石を持って行きましょう。500メートル歩けば自動車道路や川に出られる山林を選びましょう。可能な限り平坦な地形を選びましょう。傾斜地の山林は複雑な地形になっていることが多く、迷ってしまう危険があります。

十分注意深く、お楽しみ下さい。(終わり)


愛が楽しい死後の世界をつくる

2009年02月15日 | インポート

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最近、美しい死後の世界を想像して記事として掲載しました。それに対して趣味人倶楽部と、 BYOOLというSNSの会員の方々から温かいコメントを頂きました。

それで分かったことですが、美しい死後の世界は、亡くなった家族を愛していた人々が創りだしたものだということです。そこには亡くなった愛する人が楽しく住んで居ると信じたいのです。その願望が美しい死後の世界の存在を確信させるのです。

老人になってみると、亡くなった家族を思い出しながら、一層強く愛している自分に気が付きます。従って死後の世界の存在を、私も確信します。

以下のコメントをご覧下さい。

三円亭円歌さんより、

私の曾おばぁちゃんは、三途の川を渡ろうとしたら、後ろから声がしたので、渡らないでこちらにもどってきた、と言っていました。子供であった私に冗談を言ったのでしょうか。

今はお花畑にいるのか、地球の土に戻ってしまったのか、分かりませんが・・・ムムム。居なくなってさびしいです。輪廻するのであれば、どこかに生まれかわってもどっているもんでしょうか?===

このコメントを下さった方は曾おばぁちゃんが大好きだったのですね。土にかえったとは思いたくありません。輪廻してどこかで楽しく生きていてもらいたい。そんなニュアンスの文章です。

ですからこそ他人は死後の世界を否定したり、科学的に証明できないので信じてはいけないとか言ってはいけません。これは肉親同士の美しい愛情の問題なのです。

もっとはっきり言えば、亡くなった人を愛するあまり楽しい死後の世界を信じている人々を、私は好きです。科学的に、賢く否定する人は肉親を亡くして悲しんでりる人々への思いやりがあるのでしょうか?

これは感性の問題であって知識の有無の問題ではないのです。豊な感性に助けられて人類は楽しい、豊な文化を育てて来たのだと思います。

例えば、BYOOLというSNSでは心臓の難病で苦しんでいる敬助君を助ける会を広報しています。(http://rescuekeisuke.ifdef.jp/http://rescuekeisuke.ifdef.jp/ 

敬助君の為に何ができるのだろうかと何度も考えました。

昨日、甲斐駒の麓の山林の中の道なきヤブをさまよい歩きながら考えたことです。孫達の歓声を聞きながら歩き回りました。

冬には珍しく、4月のような暖かい一日でした。(終わり)


早春の山林の中の小屋へ行く、そして昔の人の人生観

2009年02月15日 | インポート

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退職して時間は幾らでもある。昨年の自分のブログを見ていたら美しい山々の写真があった。それらに魅せられて、ついフラリと行きたくなった。今日は春のような晴天である。車を駆って行くことにした。

山林の中も散策してこようと思う。

幸い、昨年から中央高速道路の通行料金が100Kmまでなら休日割引で半額になり、1350円になる。往復で2700円の節約です。そのうち全国どこへ行っても1000円という時代が来るらしい。健康であるかぎり、勝手気ままに遊び回れるのが老人の特権ではあるが、お金のことは慎重にしないといけない。それにしても浮かれ過ぎないように自重しよう。

唐突に2000年以上の前の旧約聖書のヨブ記の詩を思い出した。

(ヨブは言った。)

この地上に生きる人間は兵役にあるようなもの。

傭兵のように日々を送らかければならない。

奴隷のように日の暮れるのを待ち焦がれ

傭兵のように報酬を待ち望む。

そうだ、私の「嗣業(しぎょう)」はむなしく過ぎる月日。

労苦の夜夜が定められた報酬。

横たわればいつ起き上がれるのかと思い

夜の長さに倦み、いらだって夜明けを待つ。

私の一生は機の「ひ)」よりも速く

望みのないままに過ぎ去る。

忘れないでください、私の命は風にすぎないことを。

わたしの目は二度と幸いをみないでしょう。

(註:上の詩の中にある「しぎょう」とは神から与えられた賜物のこと。そして「ひ」は横糸を送るためにすばやく往復するシャトルのことです。)

{この詩を受けて、答唱詩篇が言う、「神は失意の人々を支え、その傷をいやされる。

  へりくだる人を支え、逆らう者を地に倒される。」、と}

この詩を作ったのは2000年以上も前に人生を送った人です。しかし現在の日本にもこのように感じて人生を送っている人々も居ると思います。生まれつき難病を抱えて生きて行かねばならない人々。最近では、大会社から解雇され、住む家もない契約社員の人々。そして寒い冬の日々を過ごしているホームレスの人々。何も出来なくともこういう人々への温かい気持ちを持つことが大切だと信じています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。    藤山杜人


静かで楽しい死後の風景

2009年02月14日 | 写真

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老人になると、よく死後の世界を空想いたします。仏教徒ならお釈迦様のもとへ、そしてキリスト教徒ならイエス様のもとに行くと思います。それとともに死後の風景のことも想像します。独りでヨットで沖に出たり、山林の中へ分け入ると、「ああ、これが死後に見る風景だ!」と直観することが度々あります。生まれつき楽天的な性格なので、静かで、安らかで、ゆっくり休めるような風景と想像しています。人間同士の争いも戦争もない、ただひたすら静かで、ゆったり身も心もやすまるような風景です

生前のお金持ちでも貧乏人でも等しくゆっくりと休んでいます。権力者も虐げられてきた人も、宗教の信者も共産主義者も皆な平等に休んでいます。
そこは空腹も寒さも感じない世界です。昨日、湖の上には一日中、春の霧がかかっていました。鏡のように平らでトロリとした湖面の向こうには、連なる森がわずかに見えます。静かです。何時間も沖で風を待っていました。このような風景の中に何時間もジッとしていると本当に死後の世界へ来たような気がします。もう2枚の写真をお送りします。皆さまの心も安らかになれば嬉しく思います。

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死後の世界の静かさを楽しんでいたら午後になり少し北風が吹いてきました。セールを2枚、霧の中に上げて、ゆっくり、ゆっくり水の上を滑ってきました。あまり静かに走るので船体に当たる水音さえ聞こえません。そんなときは空気をゆったり掴んだセイルそのものが死後の世界を暗示しているような気がします。

ヨットの経験がある方には共感して頂けるかも知れないと思い4枚の写真を掲載いたします。本当に遅いクロ-ズホールドで滑っています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。     藤山杜人

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雑木林のお好きな方々へ(11)小金井村、貫井南町の大澤神社の林の夕暮れ風景

2009年02月13日 | インポート

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江戸時代,小金井村の崖の下、野川のあたりを開墾し、水田を広げたのは大澤一族でした。その一帯は現在でも大澤の名前を持った人々が多く住んでいます。現在の小金井市貫井南町の雑木林の窪地に江戸時代初期に出来た大澤神社がひっそりと座っています。

大きな貫井弁天神社の下社という名前を称していた時代もありました。周囲の欅林の夕暮れのシルエットをお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

(撮影日時:2月12日午後4時頃、撮影者:Mrs.藤山)

今日は天気予報によると春のように暖かい晴天なので、5時30分に起き、7時出発で、霞ヶ浦に8時40分着で、久しぶりに冬の独りセイリングンへ行きます。

今日も皆様のご健康と平和を「お祈り致します。  藤山杜人

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原子力発電が好きですか?嫌いですか?(4)高速増殖発電炉「もんじゅ」訴訟の結果の良い影響

2009年02月12日 | うんちく・小ネタ

原子発電炉の「もんじゅ」の1985年から2005年までの20年間の大型訴訟には種々の効果がある。単に1億6000万円の休止中の保守管理費用の浪費だけではない。しかし種々の効果の良し悪の評価は、原子力発電の賛成の立場に立つか、反対の立場に立つかによって分かれる。前記の通り小生はどちらの政治的な立場にも立たないであくまでも技術者の立場から2つの問題を提起したいと思う。

(1)原子力産業分野の情報公開が進んだ。しかし、真に必要な情報公開をしているか?

(2)技術者が倫理的信念にもとずいて内部告発した場合の技術者の社内立場を守る法律や条例が作成されなかった。マスコミはこの問題を少ししか取り上げなかった。

ここで(1)と(2)についてもう少し具体的に補足しておきたいと思います。

(1)については「もんじゅのナトリウーム漏洩事故」を検索すると物凄く詳細な、そして専門的な事故原因と改良工事の情報が豊富に出てくる。「もんじゅ」運転団体側(現在は独立行政法人の日本原子力開発研究機構)からインターネット上の発表したものである。

しかし発表の仕方があまりにも専門的で、詳細なのでその分野の技術者でないと理解できない。事故は簡単に言えば2次冷却用のナトリウーム循環流のための鉄合金のパイプが疲労破壊してナトリウームが流れ出したことである。

流れ出したナトリウームが床材と激しく反応して爆発し、一部は屋外へ排気されたのである。2次冷却用のナトリウームは弱い放射能しか含んでいないので環境の被害は極く限定的なものであった。微弱な放射能は別にすればこの程度の爆発事故は高温の金属融体を取り扱う工業分野ではさして珍しい事故ではない。そんな軽微な事故をも公開しないという動燃の情報隠蔽体質が大問題として糾弾されたのです。

訴訟の結果、現在は必要以上に詳細を極めた事故情報がインターネットへ公開されています。しかしこれは一種の隠蔽的な効果をもたらします。

一般に高温工場での事故は、軽微な事故1000回あるとその1回は人身事故になると言います。従って民間の工場では日常の軽微な事故の記録とその回数の減少が安全管理の目標になります。

従って原子力発電現場が情報公開をするなら日常起きる軽微な事故の内容とその減少のようすを公開すべきです。マスコミが騒ぐ事故だけの技術的情報を詳細に公開することは将来の事故防止には役に立たないと思います。

私の友人がある高温工業の工場長の時、人身事故を起し、その後始末とその後の防止に骨身をけずる努力をしたそうです。その苦労話をしんみり聞いたことがあります。安全管理の努力はマスコミ対策のためにするのでは有りません。人命の尊厳のためにするのです。生産コストを下げるためにするのです。ですから企業秘密以外の安全管理の全てを公開すべきと思います。

(2)原子力発電現場で軽微な事故は数多く出ます。ネジの緩み、配管の振動、装置の異常な振るえ、温度制御の精度低下、工場の一部だけの停電、安全を守るセンサーの故障、などなど数え上げたら多くの小さな事故が起きます。安全管理をしている技術者は日常の軽微な事故防止に努力します。しかし不幸にも人身事故が起きた場合は自分の倫理的信念にもとずいて自由にマスコミへ事故内容を発表するほうが良いと思います。アメリカのプロフェショナル・エンジニアーという職業資格ではこの自分の信念にもとずいた行為を技術者の義務として重要視しています。

日本では文科系役人が情報公開決定の決定を行います。技術者の倫理的公開をしないように抑えると聞いています。「もんじゅ」の長期的な訴訟によって、技術者の内部告発が奨励するような社会的環境になってきました。しかしその風潮はまだ弱いと思います。原子力発電現場の安全管理と周囲の住民の安全のためには技術者による内部告発が非常に有効と思います。日本の技術者にはそのような義務感があるでしょうか?会社の経営者はそれを許す寛大さがあるでしょうか?

以上、要約すると、(1)長期訴訟の結果、一見情報公開が進んだように見えるが、真に安全に繋がる情報の公開は一向にされていない。(2)原子力産業技術者の内部告発が職業的義務として公認されていない。この内部告発こそが原子力発電の安全を保障するには非常に効果的である。

ご興味の無い方々にはつまらない話題とは思いますが、もう少し続けさせて下さい。(続く)