後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

趣味の「湖畔の小屋」

2009年02月12日 | うんちく・小ネタ

何度も書きましたが「山林の中の小屋」が小生の趣味です。もう35年も続けています。その延長として「湖畔の小屋」も趣味として21年続けています。もっとも、「湖畔の小屋」といっても小屋ではなく湖畔に係留した船のキャビンのことです。船を小屋に見立てて遊びに行く趣味です。そのときは舫い綱を解きません。キャビンの中でクラシック音楽を聴きながらコーヒーを飲んだり、読書をしたりして静かに時を過ごします。読書に飽きたら湖畔の散歩へでます。暖かい季節には夕方からビールを飲み、夕食にして、そのままキャビンに泊まります。朝食にベーコン・エッグなどを作ります。

昨日はこの冬一番の寒さのようです。その上暗い黒雲が覆っています。こういう時に「湖畔の小屋」へ行くと冬の季節感が深く体験出来て、何故か元気になってきます。

1970年の冬、シュツットガルトの郊外の針葉樹の森の中をよく散歩した頃を思い出します。一緒に歩く家族の吐く息が白く見える厳寒の杜の道でした。あの頃はまだ若くて元気だったと思い出すので70歳を越えた今も体が軽く動くようになるのです。

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昨日、小生は掘米庸三の「歴史家のひとり旅」を読み、家内は源氏物語の来週の講義の準備をしていました。1時間ほどの読書のあとキャビンを出て湖畔の散歩に出ました。

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サンスーシー(無憂宮)というフランス語の名前のヨットが強風に揺れています。何年か前に船主に内部を見せて貰いました。内装が綺麗で、煙突の付いたケロシン燃料のヨット専用のストーブが付いていました。外国から取り寄せたそうです。少し歩いて行くと釣り人が岩壁からワカサギを釣り上げています。霞ヶ浦にはワカサギもシラウオも多いのです。北米のブラックバスやブルーギルが繁殖しても、日本の鯉や平鮒やボラなどの魚も仲良く住んでいます。その上中国の大きな蓮魚なども住んでいます。湖の中も国際化しているのです。もっと歩いて行くとシベリアから渡って来た小型のカモ類が立ち騒いでいます。灰色で見かけの悪い野性的な鳥です。人間を警戒して、餌をやっても逃げて行くだけです。自然がそのまま残っているようでかえって気持の良い光景です。餌付けに慣れて日本に住み付いてしまう渡り鳥を見ると不自然な感じがして、決して良い光景ではありません。

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岸辺の散歩道をもっと歩いて行くと大きな葦が鬱蒼と生えています。水の浄化のために植えたものです。芦の向こうに豪華なヨットが見えます。「ああ、いつかお金持ちになったらあのようなヨットを買いたい」、と見果てぬ夢を楽しみながら、岸部の道を歩いて行きます。霞ヶ浦は周りが良く手入れされていて、遊歩道の所々にあずま屋もあります。

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葦の向こうで、デンギーが強風の中を出港していきます。 強風を無理して危ないな、と思ってよく見ると、後ろにコーチの乗ったモーターボートがついて行きます。来年、国体へでも出ようとしている学校のヨット部のようです。

堤防の上の散歩道から葦の側へ下りて、その大きさを写真に撮りました。人間の背丈よりもはるかに大きいのです。

寒くて、でも新鮮な湖の風に吹かれて1時間後、キャビンの中へ帰ってきました。

熱い天ぷら饂飩を作って昼食。午後は27年間動いているジーゼルエンジンの前に座り込んでオイルの交換を丁寧にしました。汚れたオイルをポンプで出来るだけ吸い出して、更に新しいオイルを入れエンジンンの中を洗い、またそのオイルを吸い出すのです。綺麗なオイルを入れてオイル交換完了。エンジンをかけて、しばらくバッテーリーを充電しました。次回は暖かい晴天のに来て、メイン・セールを上げてセイリングするつもりです。

趣味の「湖畔の小屋」の日記でした。つまらない話で失礼致しました。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。    藤山杜人


八丈島の細谷昇司 さんをご紹介いたします

2009年02月11日 | 旅行記

八丈島を訪問される場合は是非、八丈島の歴史民俗資料館の細谷昇司氏をご訪問下さい。

八丈島の歴史や文化についてボランティアでご説明して下さいます。その後もメールでいろいろお教え下さいます。八丈町歴史民族資料館として検索すると連絡方法があります。以下に小生の記事に対して下さいましたコメントを転載しておきます。ながれ というハンドル名でブログを書いていらっしゃいます。

藤山杜人様 
八丈島歴史民俗資料館の者です。先日は、ご来館有難う御座いました。生憎のお天気でしたが、八丈島をお楽しみ戴きましたでしょうか。連絡船は今日も欠航で、4日連続です。写真拝見しました。景色、花共、大変綺麗に撮れているので、写真をご覧になった方が、島に関心を持ってくれると嬉しいのですが。八丈島は絶海の孤島ですが、全国各地と何らかの関係があります。失礼ながら、今御ブログの「推薦したいブログ」の方々のプロフィール欄を拝見しました(仕事柄、来館されたお客様の出身地と八丈島の関係を話さなければならないので、お許し下さい)が、北は宮城県、西の方は滋賀県でしたでしょうか、皆太い糸で結ばれております。今週末の7,8日に芸能文化交流会というのがあり、偶然ですが鬼家雅雄さんのお住みでいらっしゃる北杜市から、根古神社神楽社中の皆さんが、来島され公演しますのでブログに載せたいと思います。長くなりました、失礼します。
投稿
ながれ | 2009/02/02 09:45

また八丈島で水稲を大々的に作っていた昭和初期のころの島の中心部の写真も送って下さいました。この写真の左手前から右奥へ見えます「電柱の列」が続いている山すそに水力発電所がありました。海底電線が出来るずうっと以前から島には電灯がついていたのです。興味深い写真なのでご紹介致します。(終わり)

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原子力発電が好きですか?嫌いですか?(3)高速増殖発電炉「もんじゅ」の建設・運転阻止の訴訟の影響を考

2009年02月11日 | うんちく・小ネタ

「文殊」は発電能力28万Kwの我が国最初の高速増殖炉です。1995年8月運転開始し発電を始めましたが、12月に液体ナトリウーム漏洩・爆発事故を起こして以来13年間運転休止状態で待機中です。この13年間は技術開発が停滞しただけでなく1兆6000万円の無駄な経費が浪費されました。何故このような税金の無駄がおきたのでしょうか?

原因を大雑把に考えると2つになると思います。

1、        1985年建設当初から始まった住民原告団による建設許可無効の国相手の訴訟が紆余曲折をしながら2005年の最高裁判の結審まで続いた。最終的に原告側敗訴になったにもかかわらず現在に至るまで運転再開されていない。その理由は福井県知事を中心にした県議会の慎重な政治的判断のため再開が遅れているためである。

2、        1995年のナトリウーム漏洩・爆発事故のときに管理運営団体の動力炉燃料公社が情報の隠蔽のような不適切極まりない情報開示の順序をとった。そのため官民の間の不信感が一挙に増大した。結果として裁判がより複雑になり2005年に最高裁の判決が出るまで実に20年間を要することになってしまった。

このブログの昨日の掲載記事のように原発反対の人々が多いのも事実です。しかし法治国である我が国で原子力発電を中止させるには建設・運転阻止の訴訟で国側に対して勝訴を得なければならない。

1985年の住民原告団による提訴から紆余曲折を経て実に20年、2005年に最高裁判所は原告敗訴の判決を下した。

「もんじゅ」の建設は動燃が経済産業省へ建設許可を願い出て、建設費も国家予算から支出されたのである。いわゆる国策事業である。

それなのに最高裁判所が原告勝訴の判決を出す筈が無いと言えばそれまでですが。

しかしこの訴訟は「もんじゅ」の運転再開を13年間遅らせた。

しかしその損害は1兆6千万円の税金の無駄使いと高速増殖炉の開発が13年遅れたことと2重の損害をもたらしました。

上記2、の情報隠蔽はナトリウーム漏洩・爆発事故の後のプレスセンターでの動燃幹部の記者会見で起きたことです。

そもそもナトリウーム漏洩・爆破事故とは、漏れたナトリウームが床材の激しく反応して爆発し、放射性物質が工場の屋外へ放出される可能性が大きかった事故です。周りの住民の安全に関係しているのです。

記者会見では最初、事故現場を撮影した1分少々のビデオを公開しました。しかし数日後これが意図的に編集されたビデオであることが発覚し、マスコミの要求に従って動燃はしぶしぶ編集前の生ビデオを公開しました。不適切な対応はこれだけでなく、動燃側から事故発生直後の現場のビデオがあることも発表されたのです。

この動燃の情報公開の仕方は、明らかに事故が軽微のもので大騒ぎするようなものではないと主張しようとしたものです。

これで福井県の住民、全国の住民と動燃や原子力発電所との間の信頼が一挙に崩壊してしまいました。役人はもともと秘密主義で自分たちに都合の悪い情報は一切公開しません。こんな状態では全国に散在している原子力発電所の回りの住民の安全は保障されません。ナトリウーム漏洩・爆発事故は全国的な原発不信感を蔓延させたのです。

これが「もんじゅ訴訟」に付随した事故の重大な影響です。原子力発電所の情報公開へ対して国民的な規模の不信感を植え付けてしまったのです。(続く)


古鎌倉海道の風景ー昔のままの風景を求めて

2009年02月11日 | 写真

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東京都の西の方の郊外の稲城市、府中市、国分寺市、などを車で走っていると彼方此方に「古鎌倉街道」という表示板を見る。車を止めてみるとほんの少しだけ古い道があり回りは新しい住宅に囲まれていて往時の面影が無い。

しかし国分尼寺の西側にある鎌倉街道の跡には、冬枯れの雑木林に囲まれた切り通しの道がさびしく続き、昔の風景が広がっている。

箱根の関所から西にお住まいの人にはあまり興味がないと思うが、鎌倉時代は首都が箱根山を越えて東へ来た歴史的な大転換期であった。室町時代になっても幕府の関東支配の出先機関が鎌倉公方であった。従って、鎌倉街道は江戸幕府が出来るまでの長い間、関東地方の重要な道であった。

関東地方は奈良時代に律令国家が出来たとき国々を結ぶ道路も整備された。鎌倉街道もそれを踏襲している部分が多いという。

この写真の部分も奈良時代の東山道武蔵路(とうさんどう むさしのみち)の上に作られた部分でもあるらしい。このすぐ東を並行してJR武蔵野線が南北へ走っている。奈良時代、鎌倉時代、現代と延々と続く交通路と思うと、ゆえもない懐かしさが体の中に溢れてくる。人々は何代も生まれては死にかわって行く。でもこの雑木林の間の道の風景は1000年以上変わらない。ここは黒鐘公園といい、よく散歩に来るところです。

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。  藤山杜人


原子力発電反対の一つの意見を紹介します

2009年02月10日 | うんちく・小ネタ

簡潔にして明快な反対意見を頂きましたので、ご紹介いたします。

=======annanさんから投稿されたコメントです======

私は原子力発電は否定します。
どのようなシステムも必ず事故は起こします。事故の発生は多くの場合
システム固有の問題よりもそれを扱う人間の問題の方が大きいでしょう。
いずれにせよ全てのシステムは事故が起こることを前提とすべきです。
だからこそ、事故の起こる確率ばかりが問題なのではなく、
事故が起きたときの影響度、致命度が重要です。これを以て安全度と言うのだと思います。この安全度を一定基準に確実に担保できないシステムは、より低い性能でも他の安全度の高い代替システムに置き換えるべきです。まして原子力発電は廃棄物の経時的な問題や自然界への影響の検証もできていません。
便利さのためだけに原子力発電を推進することは、地球を人類のためだけの環境と錯覚している我々の傲慢です。我々は自身の生活の都合に自然や環境を付き合わせている訳ですが、それでも超えてはいけない線があります。それを超える可能性が否定できない時には、我々が変わっていく、時には引き返していく謙虚さが必要です。
・・・と思っております。

投稿 annan | 2009/02/09 21:12

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藤山杜人の感想:

これをご紹介する目的は、次に取り上げる高速増殖炉「もんじゅ」の建設中止訴訟の説明への導入に良いと思ったからです。

ここでは一市民としての感想だけを述べて見たいと思います。人間が進歩させた科学は自然現象のごく一部しか解明していません。科学には大きな限界があると思います。したがって理屈や論理で予測したことも間違うことが多いものです。上の文書を読むと、この直観的な感じ方が案外正しいのではないかと感じます。

それではどうすれば日本から既に存在している原子力発電所を徐去することが出来るのでしょうか?

もんじゅ訴訟は原子力発電へ反対する民間人が国を相手に起こした、「もんじゅ建設許可取り消し」の訴訟です。主に2つの理由があります。従来の水・蒸気冷却材の発電でなく危険な液体ナトリウームの循環技術を用いていて事故の可能性が大きい。更に原告側の主張によると、プルトニューム燃料を増殖する炉なので原子爆弾製造へ道を開く恐れがあります。

裁判は一審原告敗訴、二審原告勝訴、最高栽判決では原告敗訴で「もんじゅ」の運転再開の道が決まりました。しかし最高裁の最終決定が2005年にあったのにも関わらず、もんじゅの運転は再開されていません。

次回の「原子力発電が好きですか?嫌いですか?(4)では「もんじゅ訴訟」の色々な影響を考えtみようと思います。(終わり)


文化遺産保存か、生活の便利さか

2009年02月10日 | 日記・エッセイ・コラム

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何年か前に上田の近くにある信濃の国の国分寺跡を見に行った。広々とした土地に、礎石の配列が美しい。 しかし良く見ると、その配列を情け容赦も無く分断して国鉄の信越本線のレールが黒々と伸びている。レールの向こうにも整然と礎石が並んでいる。

1月27日午後に武蔵のくにの国分寺と国文尼寺の跡を丁寧に見に行ったところ、やはりJR武蔵野線が両方の寺を分断し、尼寺の中を通っていることが分かった。どうして鉄道が国分寺の遺跡をこわしてしまったのだろう?少し考えて見た。

聖武天皇の741年の勅令で国分寺が出来た。場所を決める時、律令国家の重要な街道のそばに配置することを決めている。

明治維新後、鉄道を作る技師はそこに国分寺が有ったことなど意にかいさない。一番水平でレールの敷きやすいところを選んだのだろう。当時は欧米の近代文明の輸入が緊急の国家的目的であった。文化遺産の保存など考える人がいなかったのだろう。

人々が道路や鉄道のために都合の良い場所を決めるとき、741年頃も明治維新後も同じということが興味深い。

そして同時に、人間は生活の便利さのためには何でもするものだ。と、残念にも思う。

危険な原子力発電もその便利さ故に普及しているのかも知れない。そんな反省をしながら冬の陽を楽しみながら散歩をして来た。(撮影者:Mrs.藤山)

今日も皆さまのご健康と平和をお祈りいたします。    藤山杜人


こういうご批判を頂きそうです。

2009年02月09日 | うんちく・小ネタ

この記事のすぐ下に、「女性に読んで貰いたい原子力発電の安全性」という記事を掲載しました。女性の方から下記のよう主旨の批判的なコメントを頂きそうな気が致します。

多くの女性の方々も同じような疑問をお持ちではないかと想像します。そこで筆者の個人的な意見ですが、あらかじめ、お答えして見ようと思います。

=======女性の方から想像される質問===========

(1)チェルノブイリの惨状が起きれば東京も被害が?

チェルノブイリの惨状、東海村の汚染事故など、もし大きな事故があれば千葉、東京にまで及ぶ広範囲な地域に深刻な影響が出る可能性は無いのでしょうか?

(2)原子力発電所の耐震強度保障は限定的では?

発電装置の安全性が確認されたとしても、いったいその全体構造の耐震安全性はどこまで信用性があるのでしょうか?

(3)日本は不必要な電気を浪費していませんか?

(4)原子力発電は核兵器へ転用される恐れがありませんか?

(5)太陽光発電、風力発電、地熱発電を進めれば原子力発電は要らない!

危険性がそんなにあるなら、太陽光発電、風力発電、地熱発電の技術を追求してほしいです。

(6)電力を使わないアーミッシュのような生活へ切り替えるべき!

みんなで電力を使わない生活に切り替える。アーミッシュの人々のように前世紀の暮らしに戻る。そのくらいしないと、こどもたちに無事この美しい星、地球を送り届けることはできないのではないだろうか。

=======筆者からのお答え==================

(1)チェルノブイリの事故はロシアの無責任な安全管理の結果、炉心が蒸気爆発し広範囲に炉心の危険な核物質が撒き散らされたためです。
東海村の放射汚染とは危険度が非常に違います。東京まで被害は及びません。

チェルノブイリのような炉心の蒸発・爆発が起きれば被害は東京までおよぶでしょう。

(2)日本で従来あった地震程度には十分耐えられる安全構造になっています。それでは従来の地震の数十倍の強さの地震が起きたら?
まず原子炉は破壊されるでしょう。チェリノブイリのような炉心の暴走と惨状が起きるでしょう。
ですから誰も100%の保証は出来ません。しかし日本では現実的な必要性があると信じている政治家と官僚によって、すでに34%の電気が原子力で作られています。
ですから、それを無くしてほしいと言うよりも現実にある装置の安全性を大きくする方法を考えるほうが建設的な態度になると思います。

(3)電力の無駄使いを止めるべし!

電力の無駄使いを止めると不景気が一層進み、失業者がまた増えるかも知れません。節約と経済活性とは相反する部分もあります。難しい問題です。

(4)原子爆弾を作る技術は易しいと言います。

そうだからこそ核爆弾を製造しないように監視を厳しくする必要があるのです。いつもその可能性が有るからこそ女性も原子力発電へ強い関心を持ち、間違っても原爆製造をしないように監視したほうが抑止効果が上がると思います。

(5)太陽光発電、風力発電、地熱発電を拡大して原子力発電を止める!

太陽光発電、風力発電、地熱発電は現在の技術レベルでは大電力を得ようとすると莫大なコストがかかりすぎて現実的な解決になりません。あくまでも補助的な発電方法の段階です。しかし環境保護の社会運動推進のためにそれらを増設することは有意義なことと思います。

(6)1億人以上の日本人がこの狭い国土で餓死しないのは、大電力を使って工業製品を作って外国へ売って、食料を外国から買っているからなのです。減反政策で荒廃した水田を元に戻すには数年かかるという話も聞きます。
アーミッシュのように自給自足に戻れば、2、3千万人の日本人が飢餓状態になるでしょう。だから後戻りは不可能では有りませんが、相当な犠牲を伴うのです。
ですからこそ、発電を環境にやさしいしい、水力や風力、太陽光などに限定することは現実的な解決法と考える人が少ないと思います。

最後に一言:私は他人を説得しようとは思いません。ただお互いに虚心坦懐に相手の書いたことを何度も読み返して、ゆっくり考えることが重要だと信じています。

(終わり)


原子力発電が好きですか?嫌いですか?(3)女性に読んで貰いたい原子力発電の安全性

2009年02月09日 | うんちく・小ネタ

原子力発電の記事へ対して、BYOOLというSNSの会員の男性の方々から客観的な、そして素晴らしいコメントを頂きました。ところが何時も励ましのコメントを頂く数人の女性の方々からはコメントが有りません。何か心配になり、今回は女性のための記事を書くことにしました。

女性は子供の安全を本能的に考えます。放射能の危険性がある原子力関連設備を嫌う人が多いのも自然です。しかし子孫の安全の為に原子力設備の安全性を理解した方が良いと思います。不完全な安全管理や不完全な設備へ、女性の立場より客観的に批判を続けることが重要です。女性の説得力のある批判が安全性向上へ大きな貢献をすると筆者は信じています。

まず第一歩は下の図を理解して頂きたいのです。普通の火力発電と原子力発電の比較図です。上が火力発電で下が原子力発電です。

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右のほうに示してある発電機を回すために高圧の蒸気を使うことは同じです。

その蒸気を作る方法がボイラーで作るか、原子核反応熱で作るかの違いだけです。

筆者は1961年に東海村の原子力研究所に我が国で始めて設置されたアメリカ製原子炉の運転研修会に参加しました。その時教えて貰った安全性向上の3つの大切な設備を紹介したいと思います。

(1)核反応停止のための制御棒の黒鉛棒の緊急落下設備。

(2)中心にある「核反応容器」とそれを包む格納庫をぶあつく、堅牢な材料で作り、可能な限り密閉する。大地震でも壊れれないように強い構造にする。

(3)炉心を冷却する水の循環と外部からの冷却水は熱交換器で分離して、炉内の放射性物質が格納庫から外に出ないようにする。

どんな技術者でも専門外の分野は理解出来ないことが多いものです。ですから女性は原子力の安全性確保の技術的な詳細を理解する必要はありません。

しかし、一番重要なことは女性が原子力へ関心を持ち続け、質問を続けることだと思います。避けて関心を持たないとすれば安全性向上の勢いがにぶります。

上の(1)、(2)、(3)について夫や息子へゆっくり聞くことが一番重要なことです。

「原子力発電の安全」を検索すると説明があります。

また発電所見学へ行って安全性について、感情的にならないで根気よく、優しく、質問を続ける事こそが一番重要です。専門家の説明が理解できなかったら、それは説明している人の責任です。素人に説明できない専門家は説明役を止めるべきです。そのようなご意見を発電所の幹部へ言ってあげるのも重要と思います。

女性が熱心に安全性について質問をすれば男性の技術者は深く考える習性を持っています。「何故あんなに繰り返し質問したのだろう?なにか技術的的に不完全なことを直感したのだろうか?」「もう一度考え直して見よう」という順序になります。

女性は直観力に優れています。男性技術者には専門バカになっている人もいます。お互いに協力しあって日本の原子力発電のより一層の安全性向上が実現することを期待したいです。それこそが子孫の為になる方法です。

(火力発電と原子力発電の比較図の出典:

http://www.hepco.co.jp/ato_env_ene/atomic/explanation/plan.html )

(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。     藤山杜人


島全体が熱帯的植物園ー八丈島(続き)

2009年02月08日 | 写真

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八丈島には五つの村がありました。東の三原山の東の麓に末吉村、中之郷村、樫立村、そして島の中央の平野に大賀郷村と三根村です。現在は合併して八丈町となり、総人口は8500人くらいです。1万人以上の時代もありましたが年々高齢化が進み人口が減って行きます。

島全体には幅の広い立派な舗装道路があります。特に末吉地区から三根地区を結ぶ登龍峠を越える自動車道路は観光用の道路です。複雑な地形の中を通っているのでカーブが多く、ゆっくり走らなければなりません。溶岩の上には植物が繁茂していて人間の住めるような所でありません。それだけに自然のままの森が広がっています。

上の3枚の写真はそのような様子を示しています。大きな写真は登龍道路から眺めた西側の八丈富士とその麓にある三根地区の風景です。

これら自然の森の様子と公園内の樹木との違いを楽しんで頂きたいと思い、下に3枚の写真を示します。写真は1月28日から30日にかけて撮りました。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。         藤山杜人

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フォトアルバム「清瀬の金山緑地公園の四季」へ11枚の写真を追加しました

2009年02月07日 | 写真

2009年の春もついに来ました。清瀬の金山緑地公園の水仙が咲き、紅梅も満開になり、水ぬるむ湿地には白鷺や鴨類が活発に餌を取りながら羽ばたき、遊び回りだしました。東京の郊外にも春がめぐってきました。皆様のお住いの所には何時春がが来ますでしょうか?   (終わり)


原子力発電が好きですか?嫌いですか?(2)何故、原子力発電に関するシリーズ記事を書き始めたか?

2009年02月07日 | うんちく・小ネタ

原子力発電に関するシリーズ記事を書く目的は、福井県の敦賀にある「もんじゅ」という試験的原子力発電炉の13年間の休止による税金の無駄を皆様にご理解いただくために書いています。

論理の展開を順を追って簡略に書きます。

(1)原子力発電は他の工業分野に比較してやさしい工業技術です。従って安全性向上のたの技術も困難なものではありません。(もちろん完璧な技術というものは存在しませんから必ず事故は起きます。)

まず始めに、安全性を高めるための3つの技術を説明します。

(2)「もんじゅ」で起きた事故の内容を簡略に説明します。

(3)事故が起きた時の情報隠ぺい体質が、その後の13年間の税金の無駄使いを引き起こしました。

(4)筆者の主張は原子力発電へ賛成する人々も反対する人々も技術者の説明を感情抜きで虚心坦懐に理解するように努力して貰いたいということです。

(5)技術者は素人に分かり安い説明方法を創意工夫して、素人が完全に理解するまで根気良く努力すべきと信じます。

明治維新以後、我が国は欧米の科学技術を輸入して来ましたが、上記の(3)、(4)、そして(5)の部分を輸入する努力に欠けていました。

1998年ころから8年間、旧原子力燃料サイクル技術開発機構のある技術委員会の仕事をしながら、「もんじゅ」の事故現場を見学したり、関係者の話をいろいろ聞いて来ました。その結果、日本の人々の科学技術の取扱方がどうも欧米と違う側面があるようで気になっていました。ブログを始めてから、何時かはこの問題を技術者の立場から明快に論じてみたいと思っていました。

技術者が素人に理解できるような説明をしない。これも反省すべき事実です。

原子炉が制御不能になり暴走したら原子爆弾のように爆発しませんか?

この素人の質問は日本人にとっては重要な質問です。

「原子爆弾には起爆装置がついていますが、原子炉には起爆装置は一切ついて居ません。ですから原子爆弾のような超強力な爆発は起きません」「でも、チェルノブイリのような核反応炉の暴走で爆発が起きましたね?」「そうです。しかしあれは炉心が暴走して、炉内が高温、高圧になり格納容器の外へ大量の放射性物質をまき散らしたのです。」「それでも犠牲者が多数できた爆発に変わりはありません。日本の原子力発電ではそれが起きないという保証があるのですか?」「完全な技術は世の中に存在しなにので保証は出来ません」「それではどの程度安全なのか。説明して下さい」、という風に順に冷静な会話を続けて行くことが出来なかったのが「もんじゅ」の不幸でした。

次回は原子力発電の安全性を高める3つの技術的な装置を説明致します。(続く)


春が来た!水仙・梅が咲き、水ぬるむ風景写真

2009年02月07日 | 写真

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春が来たと実感致しました。毎年訪れる清瀬市の金山緑地公園の水仙が暖かい陽射しを浴びて咲いています。この一面の水仙はある奇特な会社が公園へ寄付したものです。春になると、昔風の白い花びらに黄色い盃の花びらが開きます。

この湿地公園の中を流れる柳瀬川が光の春を映しだします。そして近所の農家の紅梅が満開になります。この紅梅は毎年、水仙が咲くころに開き、春が来たことを告げています。

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もう一つ春が来たと感じさせるのが、「水ぬるむ」という風景です。湿地の池に暖かい陽射しが注ぎ、水温が少し上がり、水鳥たちが活発になります。白鷺が数羽、離ればなれになって、しきりに餌を探して浅瀬を歩き回っています。鴨達は羽を震わせて水浴し、冬の汚れを洗いおとしています。意味もなく素早く泳ぎ回ります。近づくと餌をねだるように泳ぎ寄ってきます。

でも餌はやりません。渡鳥へ餌をやるとシベリアへ帰らなくなるからです。この公園のカモ類は3月末に飛び立って行きます。

ああ、今年もついに春がめぐって来たな、と実感した散歩でした。吹く風は冷めたくても立春です。皆様の住んでいらっしゃる土地には何時頃、春がやって来るのでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。      藤山杜人

撮影日時:2月6日午後3時頃、撮影場所:東京都清瀬市立金山緑地公園、

撮影者:Mrs.藤山

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原子力発電が好きですか?嫌いですか?(1)発電の仕組み

2009年02月06日 | 日記・エッセイ・コラム

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原子力発電が好きですか?嫌いですか?と、聞けば多くの人々は嫌いです。と、答えるでしょう。日本人にとって、広島や長崎の惨状をどうしても連想しますので感情的にとても好きになれないないのです。それが自然な人情ではないでしょぅか?

ところが、それにもかかわらず、原子力発電は広く実用化が進んでいます。

日本の総発電量の約3分の1、すなわち34%位が原子力発電に頼っています。残りの大部分は火力発電です。そして少しの割合の水力発電があります。

原子力発電を推進しているのは保守系の政治家、中央省庁の官僚、大会社の幹部などです。勿論電力会社の幹部は熱心に原子力発電所を建設し、稼働しています。社会の権力を持っている人々が原子力発電を推進すべしという意見なのです。

そこで何故、原子力に頼ろうとしているか?この問題を少し検討して見ましょう。

それにはまず、原子力発電の仕組みを大凡理解する必要があると思います。

この図は日本でよく使われている加圧型の原子力発電の仕組みを簡略に説明しています。

左の部分で原子核反応で発生した熱を冷却剤を循環して取り出します。この高温の冷却材へ左から水を送り蒸気を作り、それを右の方の発電用のタービンへ送っています。タービンで発電機を回転させれば電気が得られのです。

これから、この装置の安全性を少し議論して、原子力発電の信頼性を考えてみましょう。(続く)


「新車の販売数の激減に思う」

2009年02月06日 | 日記・エッセイ・コラム

アメリカの金融危機の影響で新しい車の販売数が激減している。昨年まで隆盛を誇っていた日本のトヨタ、ニッサン、ホンダなどの自動車製造会社では生産量縮小にともない派遣社員を多数辞めさせている。大きな社会問題になっている。弱者切り捨ての風潮を助長しているようで暗い気持ちになる。このような悪い現象がおきていることは忌まわしい事実ではあるが、筆者の感情の片隅に歓迎したい気持ちもある。矛盾しているが、所詮人間は矛盾しているのだ。この矛盾した感じ方へ多少の賛同を得られると思うので、本音を書いて見ることにした。

この感情を理解して頂くために、まず自分の歴史を書く。戦争中に生まれ育ったせいで節約は美徳とつい考えてしまう。新車を買って2、3年すると二束三文で売り、また新車を買う人々が多いのに吃驚する。このような贅沢な車の使い方が嫌いなのだ。大げさに言うと、「神をも恐れぬ所業」に感じる。理屈では説明のつかない感情の問題なのだ。

その上、「使い捨て文化」は何となく自分の心が荒れるような気分になる。これも感情の問題なので合理的な説明が出来ない。

「使い捨て」こそが経済活性の根本だという合理的な説明は知的レベルでは納得する。しかし感情的について行けない。ここまでは戦前生まれの人々にある程度の賛同を得られると思う。

筆者にはもう一つの理由がある。長い間、大学の工学部で働いて来た。工業製品の製造技術の開発の困難なことを知っている。工学部を卒業して技術者になった人々が、どんなに苦労して絶対に故障しない車を作っているか、その実態を知っている。

新しい製造技術の開発では天才的な技術者が必要だ。しかし工場現場では技術者と工場労働者のチームワークが要求される。完璧なチームワークを作らないと工業製品の品質にバラツキが生じてしまう。日本の車は故障しないことで世界を席巻しているが、その原因は完璧な品質管理のお陰なのだ。

従って、新しい車はほぼ10年は使える。修理しながら使えば20年も使えると思う。事実、筆者も新カローラを買って10年間、12万キロ走行した経験を持っている。話しは突然変わるが霞が浦で10年間、使っているヨットは築27年の中古だ。新艇同様に走る。27年も古いヤンマーのジーゼルエンジンが快調に回るのだ。

一般に工業製品というものは大切に修理しながら使えば驚くほど長い年月使えるものなのだ。

必要のない新車を次から次へと買う人々が多いことが経済成長の原因という事実も否定できない。しかし感情のレベルではどうしても賛成できない。新車が売れなければ経済的に悪いことが自分の身の上へも起きる。しかし感情の上では大歓迎したい。

この矛盾はどうした良いのでしょうか?

最後に挿絵かわりに1960年にアメリカで購入した中古車の写真をしめします。1954年製のダッチ・コロネットでした。トランスミッションのオイルが少しずつ漏るのだけが故障でした。(終わり)

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