後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「野生の草花が大地を美しく彩る西オーストラリア」

2023年01月25日 | 写真
西オーストラリア州では、“ワイルドフラワー”と呼ばれる多種多様な野生の草花を楽しむことができます。
さまざまな自然環境で約1万2000種以上ものワイルドフラワーが自生し、多彩な花々が広大な大地を彩ります。

開花シーズンは7月に北部で咲き始め、南下しながら12月中旬まで楽しめます。
写真の出典は、https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000010.000046089.html です。


「有名な梅林の写真です」

2023年01月23日 | 写真
全国には美しい梅林がたくさんあります。全国の2023年 梅の名所・梅まつり開催情報は、https://travel.rakuten.co.jp/mytrip/ に出ています。その中から5ケ所の写真をお送り致します。

1番目の写真は東京都、府中市郷土の森博物館です。広大な敷地内には約60種、約1,100本もの梅の木があり、八重寒紅、新茶青、牡丹枝垂など紅白ピンクのグラデーションを楽しめます。

2番目の写真は埼玉県の越生(おごせ)梅林です。九州太宰府から天満宮を分祀した際、梅の木を植えたのが起源とされる関東屈指の梅林です。樹齢650年以上の古木など1,000本以上の梅が花開き、白加賀、越生野梅、紅梅など種類も豊富です。梅の見ごろは2月下旬~3月下旬です。

3番目の写真は岡山県の津山市神代の梅の里公園です。約4万平米の園内に鹿児島紅梅、八重寒梅、寒紅しだれ梅、甲州小梅など、紅白あわせて14品種の梅の木が植えられている広大な公園です。3月上旬から3月下旬にかけては「梅の里梅まつり」が開催されます。

4番目の写真は徳島県の美郷の梅です。吉野川から少し入った静かな里山、約60万平米の土地ほぼ全域に梅が栽培され、石積みの集落とともに梅を観賞できるのが風情豊かな所です。見ごろの時期には「美郷梅の花まつり」が開催されます。

5番目の写真は福岡県の太宰府天満宮です。菅原道真を祀る神社で、全国の天満宮の総本宮として有名ですが、道真公を慕って京都から飛んできたとされる「ご神木の飛梅」をはじめ、約6,000本の梅が花開く梅の名所です。全国から「献梅」として捧げられた数多くの梅が花開くシーズンは、境内が梅の甘い香りに包まれます。毎年3月上旬には平安時代の宮中行事を再現する「曲水の宴」も情緒満点です。

「小金井公園の梅が今年も咲きました」

2023年01月23日 | 写真
小金井公園の梅林が今年も咲きましたので写真をお送り致します。梅は咲いていましたが風は真冬の寒風でした。凍える手でシャッターを押しました。

梅を詠んだ歌です。
万葉集では萩に次いで多く、119首に詠まれています。雪といっしょに詠んだ歌が目立ちます。また、鶯(うぐいす)が登場する歌も多いです。なお、万葉集に詠まれている梅は、すべて白梅と考えられています。
0815: 正月立ち春の来らばかくしこそ梅を招きつつ楽しき終へめ
0841: 鴬の音聞くなへに梅の花我家の園に咲きて散る見ゆ
1820: 梅の花咲ける岡辺に家居れば乏しくもあらず鴬の声

などなどですが、以下省略します。

「日本の歴史(22)B29の空襲と全国200市町村の焼け野原」

2023年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム
明治維新以来、日本は大きな戦争をしてきました。しかし日清戦争も日露戦争も日中戦争も戦場は外国でした。しかるに最後の太平洋戦争では戦場が日本国内になったのです。アメリカ領が沖縄に上陸して悲惨な地上戦を繰り広げたのです。その上広島と長崎へ原爆投下をし、B29の焼夷弾空襲によってし全国の200市町村が焼け野原になってしまったのです。この太平洋戦争では約100万人の民間人も原爆や焼夷弾空襲により命を落としたのです。
沖縄戦の悲劇については明日書くことにして今日はB29の空襲と全国200市町村の焼け野原になったことを書きたいと思います。
まず東京大空襲の写真をお送りいたします。
東京大空襲は1945年(昭和20年)3月10日のアメリカ空軍による夜間空襲でした。死者数が10万人以上で、罹災者は100万人を超えた大空襲だったのです。その7枚の写真をお送り致します。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2 です。

1番目の写真は富士山を見下ろしながら飛行するB-29です。東京侵入の第一の目印は富士山でした。

2番目の写真は東京を空襲しているB-29爆撃機です。多量の焼夷弾を落としています。

3番目の写真は1945年1月27日の空襲で数寄屋橋上を逃げ惑う親子です。この日の爆撃の主目標は郊外にあった中島飛行機武蔵製作所でしたが、市街地も爆撃されて大きな損害が生じました。焼夷弾でなかったので火の手は上がっていません。

4番目の写真は3月10日未明の大空襲後の浅草松屋屋上から見た仲見世とその周辺です。

5番目の写真は大空襲後の鎮火後の街の風景(石川光陽撮影)です。

6番目の写真は焦土と化した東京です。本所区松坂町、元町(現在の墨田区両国)付近で撮影されたものです。右側にある川は隅田川、手前の丸い屋根の建物は両国国技館です。

7番目の写真は恵比寿で焼け野原のバラック小屋に住む親子です。

尚、写真の出典の、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2 には焼け野原にある多数の死体の写真など目を覆うような写真が掲載されていますが、ここに転載するのは控えました。

終戦当時、私は9歳、国民学校の3年生でした。1945年7月10日の明け方、故郷の仙台市が一面紅蓮の炎を上げて燃えているのを高台から何時までも見ていました。仙台の空には低空でゆっくり飛んでいる B-29が何機も見えます。その機体が下の一面の炎で白く光っています。

8番目の写真はすっかり焼け野原になってしまった仙台市の写真です。
この写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E7%A9%BA%E8%A5%B2 です。
仙台市の南の高台の向山に家があったので防空壕から抜け出して、広瀬川の崖の上に立ちました。足元の広瀬川の北側の市街地が一面に燃えています。
10日の午後に燃え尽きた中心街まで歩いて行きました。まだ荼毘に付していない黒焦げの遺体が道端に数体ありました。

8枚の写真で示したようなアメリカ空軍による徹底的な空襲は東京や仙台だけでなく全国200市町村に対しておこなわれたのです。これに関する資料は末尾にあります。
日本民族の歴史に無かった空前の悲劇でした。

今日は最後に全国のアメリカ空軍の原爆投下と焼夷弾空襲による死者のご冥福を謹んでお祈りいたします。後藤和弘
===参考資料==========================
「アメリカ空軍のB29の編隊による焼夷弾攻撃で焼きつくされた都市、200の一覧」

戦後すぐに吉田首相はその中から115市町村を選び復興事業の予算を交付します。1946年10月に次の内閣告示第30号を発布しました。日本全国のほとんど全ての都市がB29の焼夷弾で焼きつくされたのです。
現在の若い方々にご想像して頂き、日本の過去の苦難の歴史を民族の共通の記憶として子々孫々まで伝承して頂きたいと思います。

内閣告示第30号:特別都市計画方第1条第3項の規定によって次のように市町村を指定する。昭和21年10月9日 内閣総理大臣 吉田茂

根室市,釧路市,函館市,本別町、青森市 、釜石市,宮古市,盛岡市,花巻市、仙台市,塩竈市 、郡山市,平市 、
東京都の23区,八王子市 、横浜市,川崎市,平塚市,小田原市、千葉市,銚子市 、熊谷市 、水戸市,日立市,高萩町,多賀町,豊浦町 、宇都宮市,鹿沼町、前橋市,高崎市,伊勢崎市、長岡市、甲府市。

名古屋市,豊橋市,岡崎市,一宮市 、静岡市,浜松市,清水市,沼津市、岐阜市,大垣市、津市,四日市市,桑名市,宇治山田市 、富山市、
大阪市,堺市,布施市 、神戸市,西宮市,姫路市,明石市,尼崎市,魚崎町,鳴尾村,本山村,住吉村,本庄村、和歌山市,海南市,田辺市,新宮市,勝浦町、福井市,敦賀市 、

広島市,呉市,福山市 、岡山市、下関市,宇根氏,徳山市,岩国市、堺町、
高松市 、 徳島市 、松山市,宇和島市,宇治市 、高知市、
福岡市,門司市,八幡市,大牟田市,久留米市、長崎市,佐世保市 、熊本市,荒尾市,水俣町,宇土町 、大分市 、宮崎市,延岡市,都城市,高鍋町,油津町 、鹿児島市,川内市,串木野町,阿久根町,加治木町、枕崎町、山川町、垂水町、東市来町、西ノ表町
(当時、沖縄は米国領だったので沖縄の市町村は含まれていませんでした。)

「南アフリカの珍しい花々の写真」

2023年01月22日 | 写真
南アフリカの珍しい花々の写真をお送り致します。
南アフリカ国はアフリカの最南端にある国です。
珍しい花々がたく咲いています。その写真をお送り致します。
1番目の写真は右上から時計回りに、アークティックアイス、ビーナス、そしてユーカリ・ポポラスです。
写真の出典は、https://sekainohanaya.com/archives/3134 です。

「カトリック教会、2023年1月22日のミサ動画配信とミサの風景」

2023年01月22日 | 日記
カトリック教会、2023年1月22日の年間第3主日のミサ動画配信は以下の通りです。

2023年  1月22日 10時のミサ

カトリック関口教会、
https://www.youtube.com/watch?v=pBIlolhATxE

聖イグナチオ教会
https://www.youtube.com/watch?v=u0y6Wk45DjI


今日教会に行かない信者の方々はこの動画配信のミサにご参加なられるのも良いと存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


写真はローマのバチカンにあるサンピエトロ寺院です。サン・ピエトロ大聖堂はカトリックの本山です。創建は4世紀。現在の聖堂は2代目にあたり、1626年に完成したものです。

後の4枚の写真は今日の聖イグナチオ教会のミサ風景です。

「光の春の空の写真を撮って来ました」

2023年01月21日 | 写真
「光の春」はロシアの長い、暗い冬が終わりかけて明るい陽が射しはじめる頃の季節です。光だけは明るいのですが気温はまだ冬です。
東京の冬は晴天が続きます。しかし気温はとても低い日が続きます。ガラス窓の外は春のように見えますが気温は冬です。まさしく「光の春」です。空は抜けるような青空です。
今日はそんな「光の春」の空の写真を撮ってきました。
空が大きく見える都立武蔵野公園まで行って広い空の写真を撮ってきました。




「美しい松島の雪景色をお送り致します」

2023年01月21日 | 写真
松島は故郷の仙台から仙石線の電車で1時間くらいです。仙台に住んでいた頃はよく行った曾遊の地です。そこで美しい松島の雪景色の写真をお送り致します。
写真は、「松島の雪景色の写真」を検索して、出て来た多くの写真から美しいものを選びました。

「懐かしい雪の風景、昔の冬は貧しくて寒かった」

2023年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム
雪国の人にとっては降雪ほど嫌のものが無いかも知れません。特に高齢者は屋根や家の周りの雪掻きもままならず、暗い家の中に閉じ込められる日々が続きます。しかし東京は毎日晴天つづきで寒い風だけが吹いています。そうなると人間は勝手なもので雪が恋しくなります。空から白い雪片がヒラヒラ舞い降りてきて全てが銀世界に変わるのです。
戦前、戦後のころに過ごした仙台の冬の日々を思い出していました。雪のある風景を思い出して懐かしいのです。
そこでそんな風景写真を探しました。そうしたら仙台の郊外や市内によく似た風景写真を見つけました。その写真を示します。写真の出典は以下の写真集です。
「豪雪地帯の風景写真」、https://stock.adobe.com/jp/search/images?k=%E8%B1%AA%E9%9B%AA%E5%9C%B0%E5%B8%AF&asset_id=321799242

1番目の写真は仙台市の西の郊外から奥羽山地の方向を見た風景によく似ています。親友の庄司君が住んでいた愛子という所の風景によく似ています。

2番目の写真は私が住んでいた向山の雪に覆われた木のように見えます。

3番目の写真は仙山線の作並の鉄橋の雪景色のようです。

4番目の写真は仙台市の西の郊外に広がる平野の風景に似ています。

5番目の写真は仙台市の夜の雪景色に見えます。

戦前、戦後のころに過ごした仙台の冬の日々はもっと寒々としていました。もっと貧しかったのです。
当時は日本中が貧しくて冬の寒さが一層厳しく感じられたのものです。家の暖房といえば火鉢の小さな炭火と練炭コタツしか無いのです。その上、外と家の中を仕切るガラス戸の立て付けが悪くて隙間風が入って来ました。
吹雪の夜に寝ていると枕もとまで雪片が入ってきたものです。
現在の日本の家はガスストーブや電気ストーブやエアコン暖房で温められていて冬の寒さなど怖くありません。
しかし時々は昔の冬の寒さを思い出した方が良いのではないでしょうか?
その冬の寒さを考えると春の有難味が一層深くなります。四季のあることに感謝したくなります。日本に生まれた幸せをしみじみと感謝します。

そこで今日は小泉八雲作、「鳥取の布団」という寒くて悲しいお話をお送りいたします。
以下は小林幸治さんの翻訳です。出典はhttp://bbs.yakumotatu.com/test/read.cgi/epublish/1407132963/n90-96 です。
全文は長すぎるので部分的に省略しました。
・・・ かなり昔、鳥取の町のとても小さな宿屋に、最初の客として行商人が泊りました。良い評判を立てようと宿の主はそのお客を大変親切に迎えたのです。
新しい宿ではありましたが、主人が貧乏なため大部分の道具─箪笥と調度品─は古物屋から購入したのです。しかし、なにもかもが清潔で快適できれいでした。お客は思う存分食べ、ほど良く暖められた酒を存分に飲んだ後で、柔らかい床に用意された寝床に倒れこみ眠るために体を横たえました。

 さて、寝床がとても心地良ければ、暖かい酒をたらふく飲んだ後は、たいてい人はぐっすり眠るものです。
しかしその客は、部屋の中から声がしたので、ほんの少しの間眠っただけで目を覚ましたのです。
──いつまでも同じ問い掛けでお互い訊ね合う子供の声でした。
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
寝ていた客は子供が何人か座敷へ迷い込んだに違いないと思ったのです。
しばらく沈黙があって、それから優しく、か細い、哀れな声が耳元でまた聞こえたのです。
「あにさん、寒かろう」
別の優しい声がなだめるように答えを返す「おまえ、寒かろう」

客は立ち上がり、行灯の中の蝋燭に再び火を灯し、部屋を見回した。誰も居ない。障子は全て閉まっている。
いぶかりながらも、灯りを燃えるまま残し再び横になると、すぐに枕元から再びぶつぶつと話す声がした。
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
 その時初めて、夜の冷え込みではない、忍び寄る寒気を全身で感じた。声は繰り返し聞こえ、その都度怖れは深まった。
声は布団の中からだと分かったのです。それは寝床の掛け布団が、このような呼び声を出していたのです。
 彼は慌ただしく少ない所持品をかき集めて階段を降り、宿を飛び出します。

・・・宿の主はその布団をある貧しい家族の物で、その家族の小さな家の大家から買ったことを思い出します。
 その小さな家の家賃は、月にたったの六十銭でしたが、これでも貧しい人が払うには大きな負担です。父親が稼げるのは月に二三円だけ、母親は病気で働けず、二人の子供がいた──六歳と八歳の少年です。
ある冬の日、父親が病気になり7日の間苦しんだ後に死んで埋葬されました。
それから長く病んだ母親も後を追い、子供達は身寄りも無く残されました。
彼らは助けを求める者を誰も知らず、家の中に売れる物が有れば生きるために売り始めたのです。
 死んだ父母の着物、それと自分達の物のほとんどと何枚かの木綿の布団、僅かな貧しい家庭の調度品──火鉢、皿やお椀に茶碗、他の些細な物などです。
そうして毎日何かを売って終いには1枚の布団の他は何も残らないまでになりました。
そして食べる物が何も無く、家賃も払っていない日が来ます。
 恐ろしい大寒、最も寒さの厳しい季節の到来、吹き寄せる雪が、小さな家を埋めます。そのため、1枚の布団の下で横になるしかできず、寒さに震え、子供らしいやり方でお互いにいたわり合ったのです──
「あにさん、寒かろう」
「おまえ、寒かろう」
 火は無く、火を焚ける何物も無いまま闇がやって来て、凍える風がヒューヒューと小さな家の中まで吹き抜けます。
 彼らは寒さを怖れたが、家賃の取り立て、乱暴に追い立てる家主がもっと恐ろしかったのです。
何も払えないと分かると、子供達を雪の中へ追い出し、1枚の布団を取り上げ、家に鍵をかけたのです。
 それぞれ薄い着物しか持たず、他の全ての衣類は食べ物を買うため売ってしまったのです。
遠くない所に観音の寺は在るが、たどり着くには雪が激し過ぎます。仕方なく、大家が去ると 彼らはこっそり家の裏へ戻り、そこで寒さによる眠気を感じ、お互いに温まるよう抱き合って眠ったのです。

眠っている間に、神様が彼らへ新しい布団を掛けたのです──霊的な──白くてたいそう美しい物です。
彼らはもはや寒さを感じません。何日もそこで眠り、それから誰かが彼らを見付けたのです。
そして永遠の暖かい寝床が用意されたのです。それは千手観音の寺の墓場の中でした。
 この事を聞いた宿屋の主人は、小さな魂のために経を読み供養して貰うため、その布団を寺の坊さんに渡しました。それから後、その布団は話しをやめたそうです。(終り)

昔の冬の寒さを考えると春の有難味が一層深くなります。四季のあることに感謝したくなります。日本に生まれた幸せをしみじみと感謝します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「寒い日々なので熱帯植物のをを見て暖まろう!」

2023年01月19日 | 日記
 日本列島は一般的には狭いと言われますが、分布する植物は熱帯、亜熱帯、温帯、亜寒帯、高山植物など、世界でも豊富で多様な植物が分布しています。

今日は日本列島付近で観察される熱帯、亜熱帯が原産の植物を熱帯植物花図鑑で紹介いたします。
写真の出典は、http://kamakura.travel.coocan.jp/tropical.html です。

1番目の写真はラン科ヒスイラン属バンダです。アジアが原産の双子葉、多年生、草本です。

2番目の写真はキョウチクトウ科アラマンダ属アリアケカズラです。熱帯ブラジルが原産の双子葉、常緑、つる性植物です。

3番目の写真は青色のバンダ蘭の花です。空中に垂れ下がって咲いています。

4番目の写真はリュウキュウベンケイの花です。

「熱帯のブーゲンビリアは日本にも咲いています」

2023年01月18日 | 写真
熱海市の中心部を流れる「糸川」の御成橋から糸川橋間には、川を覆うようにブーゲンビリアが植えられています。
このブーゲンビリアは、毎年5月から10月にかけて赤・マゼンタ・紫などの南国的な美しい色の花(苞)を咲かせます。
糸川橋付近には川へ降りる階段があり撮影スポットとなっています。
写真の出典は、https://www.ataminews.gr.jp/spot/667/ です。