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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「初夏に美しく咲く桐の花の写真と桐にまつわる話」

2023年06月08日 | 日記・エッセイ・コラム
旧甲州街道を甲府から松本の方向へ行くと「台ケ原」という古い宿場町があります。地酒の「七賢」の酒蔵や銘菓信玄餅の「金精軒」がある宿場です。
そこから北にある清春美術館へ行く山道に美しい桐の花が咲いているのです。山の斜面に数本そこだけ清々しい空気に囲まれたように華麗に咲いています。
何度も通った道なのでその桐の花の光景は忘れることはできません。
その桐の花に似た写真をネットで検索して4枚見つけました。その写真をお送り致します。桐の花は初夏に美しく咲きます。花期は5 月から 6月にかけてです。丁度、今頃は美しく咲いているでしょう。




何故山に桐の花が咲いているのでしょうか?不思議に思い調べました。
そうしたら羽根のついた種が風に乗って遠方まで飛んで行くそうです。その上発芽率が高く、しかも生長が早いので山に野生化した桐の木が成長するのです。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA )
ですから桐の自生地はいろいろな所にあります。中国の揚子江流域、韓国の鬱陵島、日本では大分・宮崎県境の山岳地帯に自生地があるのです。したがって原産地は不明です。
日本では特に東北地方、関東北部、新潟県などにおいて桐が植栽されています。中でも福島県の会津桐や岩手県の南部桐などが有名です。
日本各地に野生化した桐の木は全国の野山に生えています。
そして桐は古くから良質の木材として重宝されており、箪笥、箏、神楽面の材料と下駄などに使われてきました。

さて話は変わりますが桐にまつわる話をい書きます。始めは桐の花紋のことです。
桐の花紋は家紋や紋章として使われてきました。有名な家紋は五三の桐です。
上の写真は五七の桐の花紋です。
桐の家紋は嵯峨天皇の頃から天皇の衣類の刺繍や染め抜きに用いられ、「菊の御紋」に次ぐ高貴な紋章となっています。
また現在でも皇宮警察本部や法務省では「五三の桐」が紋章として使われています。
6番目の写真は筑波大学の校章が五三の桐であることを示す標識です。戦前の師範学校時代からのものです。

さて話はまた変わりますが、桐と言えば源氏物語の始めの一帖に「桐壺」があります。家内が源氏物語を愛読していて話すので私も知っています。
桐の花の美しくも儚いイメージと仄かな甘い香りが女主人公にそぐわしいのです。
粗筋は次のようです。
・・・いつの時代のことだったか、帝の寵愛を一身に受けるさして身分の高くない更衣(桐壺更衣)がいた。父である大納言もすでに亡くし、格別の後見もないため、帝の一のきさきである弘徽殿女御をはじめとする後宮の女たちから嫉妬されながら、更衣は玉のような皇子を出産します。
帝はますます更衣を愛しましたが、女たちからの嫌がらせに耐えかねた更衣は病に伏し、やがて亡くなってしまいます。帝は深い悲しみにくれます。
残った若宮は母亡き後養育していた祖母も亡くなります。成長した若宮は学問や音楽の才があり輝いています。
帝はその若宮が政争の種になることを恐れ若宮を臣籍に降し、源氏の姓を与えたのです。同じ頃、桐壺更衣に生き写しの藤壺の宮が入内した。
帝の心は癒され、源氏も藤壺に亡き母の面影を求めました。帝の寵愛を受ける源氏を「光る君」「輝く日の宮」と呼び讃えたのでした。
元服した源氏は左大臣の娘の葵の上と結婚します。しかし源氏は四歳年上の妻になじむことができず、ますます藤壺への思慕を強めていった。・・・こうして源氏物語が展開して行きます。

それにしても桐の木にまつわる話はいろいろあるのです。桐は本当に日本人にはかかわりの深い木なのです。

今日は美しい桐の花の写真を4枚示し、桐にまつわる話として五三の桐の花紋と源氏物語の桐壺の一帖の粗筋をご紹介致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「懐かしい南ドイツの初夏の草原に咲く花々」

2023年06月07日 | 写真
茫々50年前に南ドイツに住んでいました。初夏になると郊外の草原に色とりどりの小さな花々が咲きました。そんな風景写真をお送り致します。
写真の出典は、https://www.istockphoto.com/.../5-%E6%9C%88%E5%8D%97%E3... です。


「6月はやはりアジサイの花」

2023年06月07日 | 写真
6月はやはりアジサイの花の季節です。
何度もアジサイの花の写真を掲載していますが、6月はアジサイが一段と美しくなります。もう一度掲載いたします。
1番目の写真の出典はttps://www.jalan.net/news/article/554195/ です。
その他の写真の出典は、https://chishikiso.net/ajisaipark/ です。


「日本人と仏教、欧米人とキリスト教の関係と人間性の重視」

2023年06月07日 | 日記・エッセイ・コラム
佛教とキリスト教は私の好きなものです。私の考え方に大きな影響を与えています。
今日はに日本人と仏教の関係と欧米人とキリスト教の関係を書いてみたいと思います。そして宗教と関係の無い人間性の共通性、同一性を強調したいと思います。
さて日本人は無意識のうちに仏教や神道の影響を受けています。日本人の考えかたや感じ方は仏教の無常の教えの影響を下敷きにしています。 日本に仏教が伝来したのは日本書記によると552年、欽明天皇の時、百済から伝わったということになっています。それ以来、仏教は日本人の考え方や感性に深い影響を与えてきました。
日本人特有の室町時代に明文化され形造られた『侘び寂び』の感じ方は仏教の無常感とつながっています。お釈迦様のすべては空(くう)ですという教えにつながっています。このような感性は欧米人にはありません。彼等は無意識のうちにイエスさまの教えの影響を受けているのです。キリスト教を信じていない欧米人もその影響から逃れることが出来ません。幼少の頃からキリスト教の水を飲んで育っているのですから考え方や感じ方が聖書の影響を受けているのです。
私は仏教国の日本で生まれ育ち、約50年前の35歳の時、カトリックの洗礼を受けキリシタンになりました。
私のカトリックは当然ながら仏教の影響を受けております。私のキリスト教は欧米のキリスト教とは違いがあります。
しかし共通の部分もあるのです。その共通の部分から、欧米人の考え方や感じ方がほぼ理解出来るのです。理解できれば親しみが湧きます。何故か自分の住んでいる世界が広々として明るくなったのです。

ここで欧米人と日本人の考え方の相違を一つの例で説明したいと思います。
佛教徒の日本人は「欧米人は悪いことをしても謝らない」と非難がましく言います。そうです日本のように気軽に、「すみません。申し訳ありません。悪いことをしてしまいました。心から謝罪します。」とは言いません。
キリスト教の欧米人は悪いことをした場合は神に謝るのです。人間には謝らないのです。教会のミサの冒頭で自分の罪を告白して神に祈るのです。
教会に行かない不信心の西洋人は独りになった時心の中で神に謝っているのです。これは仏教徒の日本人の考え方に無いことです。仏教では神がいないのです。お釈迦さまがいるだけです。
「欧米人は悪いことをしても謝らない」という非難は間違いです。仏教とキリスト教の文化の違いで起きた誤解なのです。
欧米の人々は悪いことをしたらその罪を神に対して個人として懺悔します。そしてその悪行の被害者には深く同情し、被害者の心に寄り添います。
これも欧米人とキリスト教の関係の一つの例です。

このように仏教の日本人とキリスト教の欧米人の間には大きな違いがあるのです。しかし宗教とは関係の無い「人間性」は全く同じなのです。先生を敬う心や家族を愛する心などは全く同じです。郷土を愛する心や祖国愛は同じなのです。
欧米人を深く理解し親近感を持つためには宗教の違いを理解し、その上で「人間性」が全く同じだと固く信じべきです。

今日はイスラム教の国には言及しませんでした。しかし今日書いたようなことはイスラム教の国々にも同じように当てはまるものです。イスラム教の国々の人間性は日本人と同じなのです。

ですから宗教と関係の無い人間性の共通性、同一性を信じることが世界の平和の支えになるのです。

今日の挿し絵代わりの写真はいろいろな宗教の人が仲良く暮らしているニューヨークの風景写真です。写真はインターネットからお借り致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)


「仏教の理解と韓国人の複雑な宗教信仰」

2023年06月06日 | うんちく・小ネタ
今日の主題は韓国人の複雑な宗教信仰の実態を明快に説明することです。すると日本人の信仰生活も簡単に理解出来ます。
さて日本はよく仏教国だと言います。日本の文化は仏教の影響を深く受けていると言います。でも以前の私は仏教とはどんな教えなのか理解していませんでした。
それが突然理解出来たのです。カトリックの洗礼を受けたことによって仏教が理解出来るようになったのです。すると隣りの韓国の宗教の信じ方も明快に分かったのです。
今日はどのようにして私が佛教を理解し韓国の宗教も分ったのかを書きたいと思います。
今から50年以上前の1971年にカトリック立川教会で塚本金明神父様から洗礼を受けました。
洗礼を受けてキリシタンになったお陰で宗教とはどんなことかが分ったのです。すると仏教も理解出来たのです。洗礼を受けると宗教とはどういうものかが理解出来るのです。日本人の心の基本にある仏教が自ずと判然とするのです。少しでも理解出来たので仏教に大変親しみを感じるようにまりました。
宗教というものは教祖様の教えと、後の世のいろいろな優れた人の教えから成り立っているのが普通です。
佛教も例外ではありません。特に日本の大乗仏教では、お釈迦様の教えと後の世のインドの人々の教えから成り立っています。
お釈迦様の教えは般若心経に過不足なく、そして明快に書いてあります。お釈迦様が弟子のシャーリプトラへ教えた内容が書いてあります。
お釈迦様の教えは一切のものが空なのです。
このように理解すると日本の仏教も明快に分かります。

日本の仏教が理解できる出来ると韓国の仏教やその他の宗教も分ります。
韓国でも日本と同じように仏教にいおいろな宗教が混淆して多神教的な信仰生活をしているのです。韓国は非常にキリスト教が普及していて、信者の割合は日本より圧倒的に多いのです。
それでは韓国の宗教を写真に従って説明いたします。
まず韓国に観光旅行に行くと大きなお寺に案内されることが多いものです。すると「大雄殿」という扁額のある本堂の建物があります。
1番目の写真は慶州の佛国寺の大雄殿です。
大雄殿の中にはお釈迦さまの教えを象徴する 仏像が祀ってあります。
2番目の写真は韓国の慶州の佛国寺の大雄殿の中にある仏像です。大雄殿とは日本のお寺の本堂のことです。
さてあまり日本人は気が付いていませんが、韓国の多くのお寺の本堂の裏の高い場所に三聖閣という建物があります。
3番目の写真は本堂の裏にある三聖閣(七星閣)です。慶州玉竜庵の七星閣です。普通、三聖閣の建物の中には3人の聖人がまつられています。
「山神」、「七星」、そして「独聖」です。(http://www.bbweb-arena.com/users/hajimet/bukkyo_004.htm)
三聖閣には、七星如来、独聖、山神が祭られているのが一般的なのです。これらを別々の法堂に祭る場合には、七星閣、独聖閣、山神閣と呼びます。
「七星」とは、北斗七星を意味します。星に関する民俗信仰を仏教に取り入れたと考えられます。北極星を「熾盛光如来」、北斗七星を「七聖如来」とする信仰が七聖信仰です。これは中国の道教からきた信仰で、日本では妙見信仰と呼ばれています。韓国では子供たちが短命でないように七星様にお参りをするそうです。
独聖は、天台山で濁世の衆生を救うために一人で修行する聖者を意味します。法堂の絵の中で、白い髭と長い眉毛をした仙人のような老人が独聖です。一般的には、那般尊者といいます。

山神は韓国の山々を信仰するものです。特に、山神は農業、健康など、私たちの暮らしを見守ってくれていると考えていました。多くの場合、山神は虎と一緒に描かれています。山神信仰もまた、仏教固有の信仰ではなく韓国の民俗信仰です。山の神を信仰することは日本と似ています。しかし日本では虎の絵は描かれません。

このような韓国の宗教の混淆は日本のお寺の本堂の隣に神社をまつるのとよく似ています。
例えば東京の高尾山には薬王院というお寺がありますが、その本堂の裏には飯綱権現を祀った神道の殿堂があります。
明治維新後、日本では欧米の影響で宗教の混淆は悪いことだと考えられるようになります。そして神仏混淆が禁止されましたが、それ以前のお寺の本堂の横には必ず神道の拝殿と本殿があったのです。
これは韓国のお寺の本堂の裏に三聖閣があるのとよく似ています。
このような韓国の仏教との混淆の様子を知ると韓国人に非常に親しみを感じます。
中国でも人々は仏教と道教や妙見信仰や孟子廟や孔子廟への信仰が重複してなされています。中国も日本と同じ多神教的な宗教生活をしています。親しみを覚えます。

最後に韓国の世界文化遺産の海印寺の写真を3枚お送りいたします。
出典はkamiyaさんのブログです。
URLは、https://blogs.yahoo.co.jp/noa_kamiya/29920617.html です。


海印寺は1200年の歴史を有し、韓国三宝寺刹の一つです。美しい渓流が流れる伽揶山南側の深山の中にあります。
新羅第40代、哀荘王3年(802年)に、順応と利貞の二人の僧によって創建された寺院です。海印寺が「法宝寺刹」とも呼ばれる由縁は、お釈迦様の教えのすべてをまとめた経典を保管していることにあるそうです。韓国のお寺の屋根は中央が窪んだ独特の形です。そのなだらかな佇まいは訪れる人々の心をも鎮める優しさを感じさせます。

以上のように韓国では仏教が原始的な「山の神」や「北杜七星」や「独聖と呼ばれる仙人」へ対する信仰と深く混淆しいるのです。その宗教的風景は日本の神仏習合と同じようです。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「小さくて可憐な秋海棠の花の写真」

2023年06月05日 | 写真
とにかく可憐な花です。中国大陸(山東省以南)、マレー半島に分布しています。
日本では江戸時代初期に園芸用に持ち込まれた帰化植物です。夏から初秋にかけて咲きます。
秋海棠の花の写真をお楽しみ下さい。


「思い出の数々の温泉」

2023年06月05日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日は、「日曜日でのんびりし昔入った露天風呂を思い出した」という記事を書きました。

そして仙台の近くの作並温泉の岩松旅館の露天風呂の写真をお送り致しました。懐かしい露天風呂の写真でした。それで私の旧懐の情に火がつきました。自分が入った数々の温泉を懐かしく思い出したのです。
今日は懐かしい温泉の写真をお送り致します。少し説明をつけます。

昭和11年生まれ、24歳になるまで仙台に住んでいたました。近くには作並温泉や秋保温泉、鳴子温泉などがあります。当時は他にあまり楽しみが無いのでよく温泉へ行ったのです。そして東北地方にある数々の温泉へも行きました。東北の人はよく温泉に行きます。温泉文化の地なのです。

東北地方の温泉では農閑期や冬には湯治が普通で、旅館には湯治客専門の部屋と共同炊事場があり調理器具、食器を貸してくれます。他にすることが無いので朝、昼、夜と数回、温泉につかります。これを数日繰り返すと体の疲れがすっかり取れ、爽快な健康体になるのです。温泉は万病に効くとはこのことです。

東北地方では温泉はつかるものであり、体は洗わないのです。ですから洗い場が無いのです。

自分が入った温泉で印象深いのは酸ケ湯、ふけの湯、乳頭温泉、鬼首温泉などです。どれも草深い人里離れた山にあります。恐ろしいような独特な雰囲気の谷間にあるのです。土俗的な神が住んでいるような山奥です。これが東北の独特な温泉文化なのです。

しかし東北地方に限らず、温泉が好きな人は全国に多いと思います。若い人々も好きです。

特に最近は地方の自治体が立派な温泉センターを建設してい地域の活性化をそています。山梨県にある私の山林の中の小屋の近くにも「武川の湯」と「尾白の湯」という広大な浴槽の温泉があります。色々な野天風呂やサウナやレストランもあり、実に豪華な施設です。お湯は地下1000メートルからの天然温泉です。

最近このような豪華な温泉センターが全国に多くなりました。温泉文化の隆盛です。しかし文化の内容は時代とともに変わって行くものです。


自分が入った数々の温泉を懐かしく思い出しながら時の流れの早さに茫々とします。特に独特な雰囲気の谷間にある土俗的な酸ケ湯、ふけの湯、乳頭温泉、鬼首温泉などを懐かしく思います。


写真に幾つかの温泉を示します。

それはぞれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りします。  後藤和弘(藤山杜人)


1番目の写真は秋保温泉の「ホテル華の湯」です。

2番目の写真は酸ケ湯の温泉旅館です。  
3番目の写真は乳頭温泉の写真です。  
4番目の写真は鳴子温泉街の写真です。  
5番目の写真は鬼首温泉の写真です。
6番目の写真は写真は八丈島、裏見ケ滝温泉です。
7番目の写真は八丈島の裏見ヶ滝温泉 です。裏見ケ滝温泉はなにか東北の温泉文化に共通するものがあります。

「日曜日でのんびりし昔入った露天風呂を思い出した」

2023年06月04日 | 日記
仙台で生まれ育ったので近くの作並温泉によく行きました。岩松旅館の露天風呂は広瀬川の上流に沿った大きな温泉でした。
男女混浴でおおらかな雰囲気でした。広瀬川のせせらぎが美しく響きさわやかな風が吹いています。懐かしい露天風呂の写真をお送り致します。
写真はインターネットからお借り致しました。

「写真で見る世界遺産(5)ロシアの世界遺産と絶対にお薦めの世界遺産の写真」

2023年06月04日 | 日記・エッセイ・コラム
いったいロシアにはいくつの世界遺産が登録されているのでしょうか。 2020年現在、地球上には1121の世界遺産があり、そのうちロシアには29が登録されています。 この数は国別に見たときに第9位と、上位に位置しています。 (ちなみに、日本は第12位で23の登録数です。)

ロシアの世界遺産一覧、https://worldheritagesite.xyz/europe/russia/

サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群 世界文化遺産 1990年
モスクワのクレムリンと赤の広場 世界文化遺産 1990年
キジー・ポゴスト(キジ島の木造教会建築) 世界文化遺産 1990年
ノヴゴロドと周辺の文化財 世界文化遺産 1992年

ソロヴェツキー諸島の文化的・歴史的遺産群 世界文化遺産 1992年
ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群 世界文化遺産 1992年
セルギエフ・パサドの至聖三者聖セルギイ大修道院の建造物群 世界文化遺産 1993年
コローメンスコエの主の昇天教会 世界文化遺産 1994年

コミの原生林 世界自然遺産 1995年
バイカル湖 世界自然遺産 1996年
カムチャツカの火山群 世界自然遺産 1996年
アルタイの黄金山地 世界自然遺産 1998年
西カフカース 世界自然遺産 1999年
クルシュー砂州 世界文化遺産 2000年

フェラポントフ修道院の建造物群 世界文化遺産 2000年
カザン・クレムリンの歴史的・建築的複合体 世界文化遺産 2000年
ビキン川渓谷 世界自然遺産 2001年
ウヴス・ヌール盆地 世界自然遺産 2003年
デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群 世界文化遺産 2003年
ウランゲル島保護区の自然体系 世界自然遺産 2004年
ノヴォデヴィチ女子修道院群 世界文化遺産 2004年

シュトルーヴェの測地弧 世界文化遺産 2005年
ヤロスラヴリの歴史地区 世界文化遺産 2005年
プトラナ台地 世界自然遺産 2010年
レナ石柱自然公園 世界自然遺産 2012年
ボルガルの歴史的考古学的遺産群 世界文化遺産 2014年
ダウリアの景観群 世界自然遺産 2017年
スヴィヤズスク島の被昇天大聖堂と修道院 世界文化遺産 2017年
プスコフ建築派の教会群 世界文化遺産 2019年

次にロシアの世界遺産の7ケ所の写真をお送り致します。
写真の出典は、『ロシアで絶対に見ておきたい世界遺産の写真』、https://www.nta.co.jp/media/tripa/articles/RDILA です。
写真は順に以下の通りです。
    
1番目の写真はスクワのクレムリンと赤の広場,世界遺産です。

2番目の写真はサンクトペテルブルク歴史地区,世界遺産です。

3番目の写真はサンクトペテルブルクの北東約450kmの場所に浮かぶキジ島の木造教会建築,世界遺産です。

4番目の写真はクルシュー砂州です。ロシアの飛び地・カリーニングラードとリトアニアの国境にあり、全長98km、幅400m〜4kmという細長く巨大な砂丘。世界文化遺産 2000年

5番目の写真はカムチャツカの火山です。カムチャッカ半島は、ロシアの極東に位置する世界有数の火山地帯。世界遺産です。

6番目の写真はバイカル湖です。世界遺産です。

7番目の写真はアルタイの黄金山地です。ロシア・モンゴル・中国の3ヵ国にまたがるアルタイ山脈の一部に属する山地。世界自然遺産 1998年

「今日の三位一体の主日ミサの動画配信」

2023年06月04日 | 日記
関口教会の動画配信、
https://www.youtube.com/watch?v=YPOgzyqaUkk

イグナチオ教会のミサ動画配信、
https://www.youtube.com/watch?v=WOq0T26QFlI

広島のカトリック幟町教会
https://www.youtube.com/watch?v=UWO5IAQ8a2A

 カトリック幟町教会、世界平和記念聖堂は,広島市中区幟町に所在し,昭和20年8月6日の原爆犠牲者を弔い,世界平和の実現を祈念する場として企図された教会堂である。設計は村野藤吾で,昭和29年8月6日に献堂された。

写真は広島のカトリック幟町教会です。


「写真で見る世界遺産(4)アメリカの世界遺産と カホキア墳丘の写真」

2023年06月03日 | うんちく・小ネタ
アメリカの世界遺産一覧、24件

メサ・ヴェルデ国立公園文化遺産1978年
イエローストーン国立公園自然遺産1978年
クルアーニー/ランゲル-セント・イライアス/グレーシャー・ベイ/タッチェンシニー-アルセク自然遺産1979、1992、1994年
グランド・キャニオン国立公園自然遺産1979年
エヴァグレーズ国立公園自然遺産1979年
独立記念館文化遺産1979年
レッドウッド国立及び州立公園自然遺産1980年
マンモス・ケーヴ国立公園自然遺産1981年
オリンピック国立公園自然遺産1981年
カホキア墳丘群州立史跡文化遺産1982年
グレート・スモーキー山脈国立公園自然遺産1983年
プエルト・リコのラ・フォルタレサとサン・ファン国定史跡文化遺産1983年
自由の女神像文化遺産1984年
ヨセミテ国立公園自然遺産1984年
チャコ文化文化遺産1987年
ハワイ火山国立公園自然遺産1987年
シャーロットヴィルのモンティセロとヴァージニア大学文化遺産1987年
タオス・プエブロ文化遺産1992年
カールズバッド洞窟群国立公園自然遺産1995年
ウォータートン・グレーシャー国際平和自然公園自然遺産1995年
パパハナウモクアケア複合遺産2010年
ポヴァティ・ポイントの記念碑的土構造物群文化遺産2014年
サン・アントニオ伝道施設群文化遺産2015年
フランク・ロイド・ライトの20世紀建築文化遺産2019年


1番目の写真はカホキア墳丘群の中の一つの墳丘の写真です。
古代都市カホキアの説明:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/21/111600560/
国イリノイ州、ミシシッピ川の東に、先住民が築いた大都市の遺跡がある。カホキアだ。西暦1000年から1200年代の最盛期には、この都市は面積約16平方キロメートルに達し、住民たちは墳墓や公共建造物、さらには「ウッドヘンジ」と呼ばれる天文観測所を建設した。
なかでも大きな存在感を放っていたのは、メキシコ以北最大の土塁であるモンクス・マウンドだ。複数の段からなるこの墳丘は、約30メートルもの高さにそびえていた。
 カホキアの墳丘群は、その昔、メキシコの砂漠と北極圏に挟まれた地域において最大規模をほこった「ミシシッピ文化」の核となる遺跡だ。農業文明であるミシシッピ文化は、西暦800年頃から最盛期の13世紀頃にかけて今の米国中西部と南東部に広がった。アメリカ先住民の最も優れた業績のひとつとも言われるカホキアには、この文化の痕跡が目に見える形で残されている。