後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「樹木の美しさに魅了される話と樹木賛歌」

2023年06月15日 | 日記・エッセイ・コラム
戦前、戦後に仙台の郊外に育った私は山林の中で一人遊びをしていました。雑木林を抜けると亭々と聳える赤松の林があり、何故かいつもトンビが舞っていたのです。
その鳴き声が今でも耳に残っています。私は樹木に憧れ、樹木を友にし、樹木を尊敬していたのです。
中年になって少し心の余裕が出来たころ、山林の中に小さな小屋を建てました。
山梨県北杜市の甲斐駒岳の山麓に広がる深い、深い森の中です。
どんなに深い森かを示すために写真にその小屋の窓から撮った森の写真を示します。

1番目の写真は私の山小屋の窓の西側の林の風景です。東側には庭があり小川が流れています。
西側の窓の外の自然林を眺めながらビールをゆっくり飲みます。夕方から次第に暮れて行く山林の呼吸を感じながら時を過ごします。
鬱蒼とした自然林の奥には鹿や猪や猿が静かに棲んでいるのです。
次の日の朝、小屋から東の方へ200mほど歩くと視界が開けその向こうに風に梢を揺らしている大木の群れが見えます。下の写真のような光景です。

2番目の写真は小屋から東へ歩いて行った場所にある森です。
自然に生えている樹木は上の写真のように荒々しいものです。原始の姿です。
しかしそれに人間の手が入ると風景が一変します。下の写真は山梨県の清春美術館の近所にある牧草地に生えている樹木のかたまりです。

3番目の写真は山梨県の清春美術館の近所にある牧草地の向こうに生えている樹林です。
樹木の美しさを牧草地の広がりが引き立てています。
牧草を育てながら樹木の美しさを楽しんでいる牧畜家の心の豊かさに感動します。
こうして樹木の好きな私は自分の家の近所でも大きな木のある所を沢山知っています。よく散歩する場所です。
小金井公園、武蔵野公園、野川公園には巨大な樹木があるのです。下に一例として武蔵野公園の写真を示します。

4番目の写真は武蔵野公園の樹林の写真です。
公園の樹木と言えば何と言っても新宿御苑ほど素晴らしい公園は無いと思っています。プラタナスの大木の林が見事なのです。
このように樹木のことを書き出したら止まりません。北海道大学の植物園の楡の大木、ポプラ並木、そして富良野や美瑛の牧草地の境に立っている白樺林など思い出は尽きません。
そして長野県の八千穂高原の日本一の白樺林の広がりを思い出しています。
最後に秋田県の白神のブナ原生林へ分け入って撮ったブナ林の写真を示します。

5番目の写真は秋田県の白神のブナ原生林の中のブナの木です。

6番目の写真も秋田県の白神のブナ原生林の中のブナの木です。純粋にブナだけの自然林は無いのが自然です。
白神のブナ原生林は屋久島とともに、1993年、日本で最初の世界遺産(自然部門)として登録されました。

さて新潟県に美女林という美しいブナ山があり、観光地になっていますが、そこは植林されたもので他の樹木は切ってしまうのでブナだけの美しい林になっています。

とにかく樹木の事を考えると心が静まり幸せな感じになります。
何もしないで公園の樹木の間を夫婦で歩くだけで満足なのです。

このような幸多い境地があることを若い時は想像も出来ませんでした。

高齢の皆様にはそのような経験がありますでしょうか?
林の中の道を散歩する幸福をお祈り申し上げます。  

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人) 

「山梨県にも30基の古墳があります」

2023年06月14日 | うんちく・小ネタ
この前の記事、「美しい蓮の花の写真と古墳の町への旅」で埼玉県にある巨大な古墳を紹介したので山梨県の古墳をご紹介致します。

石器時代と縄文時代には、現在の山梨県の北杜市の八ヶ岳南麓に人々が沢山住んでいました。特に縄文時代には見事な装飾のついた縄文土器を生産していました。縄文時代の住居跡もあちこちにあります。
しかし同じ北杜市の甲斐駒岳の甲府盆地側は北向きの傾斜地が多く、冬は寒冷で住みにくかったらしく、住居跡はありません。住居跡はありませんが狩に使う石器や、焚火の跡に縄文土器が残っているのです。
そして西暦前300年以後の弥生時代に入ると、田畑農業が普及し、八ヶ岳山麓の縄文人達は現在の韮崎市より東に広がる甲府盆地へと移動してしまいます。釜無川や笛吹川の周囲に水田を作るために甲府盆地の東部分に移住して行ったのでしょう。
弥生時代になると人間の住居跡は韮崎市の東側にしか出て来ません。八ヶ岳山麓や甲斐駒山麓には弥生時代の遺跡が皆無なのです。
時は流れ、西暦後300年以後の古墳時代になると甲府盆地の釜無川と笛吹川の両側の稲作地帯にのみ人々が定住していたようです。
その様子は山梨県にある30基の古墳の分布が甲府盆地の稲作可能な地帯にだけ集中している様子からも明快です。
従って現在の北杜市には、西暦前300年頃から西暦600年頃までの約900年間、人間が殆どいなくなってしまったのです。
この甲府盆地には30基の古墳があるのです。
下には笛吹川の傍にある全長170mの巨大な前方後円墳の甲斐銚子塚古墳の写真を示します。この古墳は西暦350から400年に造営されたと言われています。
そして下にある2枚の写真はこの甲斐銚子塚古墳の現在の光景です。2013年1月17日に撮った写真です。
古墳の上でバンザイそているのが家内です。
以上のような山梨県の古墳や、出土品を詳しく見ていくと、このような山国の内陸地に30基もの古墳が築造されていたことに驚きます。
この数多くの古墳の存在は地方豪族の存在を示しています。そして古墳造営の費用を支えたのは弥生時代から始まった水稲栽培の発達だったのです。

この前の記事、「美しい蓮の花の写真と古墳の町への旅」で埼玉県にある巨大な古墳を紹介したので山梨県の古墳をご紹介致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料:山梨県にある30基の古墳の説明======
下は山梨県にある30基の古墳の一覧表を示します。http://kofun.info/kofunlist/15より。
名前、     形、       紹介文
姥塚古墳 円墳 径約40m、高さ約10mの円墳。 一番の見所は南西に開口す ...
滝坂の往生塚 円墳 径15m、高さ3mの円墳。 埋葬施設は無袖型の横穴式石室で ...
王塚古墳 帆立貝式古墳 全長約65mの帆立貝式古墳。 墳丘各所で円筒埴輪が見つかっ ...
大塚古墳 円墳 径約15mの円墳。 片袖型の横穴式石室が南に開口、全長約8 ...
岡・銚子塚古墳 前方後円墳 全長92mの前方後円墳。 墳丘には段が有り、葺石、埴輪が存 ...
おつき穴古墳 円墳 墳形・規模は不明。公園内に保存されている。 横穴式石室が南 ...
甲斐銚子塚古墳 前方後円墳 全長約170mの前方後円墳。 墳丘は後円部3段、前方部2段 ...
加牟那塚古墳 円墳 径約45mの円墳。 埋葬施設は南に開口する横穴式石室で、全 ...
かんかん塚(茶塚)古墳 円墳 径約26mの円墳。 埋葬施設は全長約7mの竪穴式石室で、武 ...
狐塚古墳 円墳 径約15m、高さ約3mの円墳。 埋葬施設は南東に開口する無 ...
経塚古墳 八角墳 全国でも発見例の少ない八角形墳の1基である。 径約12.5 ...
こうもり塚古墳 円墳 大平1号墳、地元では「こうもり塚」と呼ばれている。 径10 ...
盃塚古墳 円墳 径23m、高さ4.5mの円墳。 墳丘の周囲を幅1.8mの濠 ...
地蔵古墳 円墳 大平2号墳、地元では「地蔵古墳」と呼ばれている。 径10~ ...
地蔵塚古墳 円墳 径約35mの円墳。 片袖型の横穴式石室が南に開口、全長約1 ...
団栗塚古墳 前方後円墳 現在は円形をしているが、前方後円墳だったようだ。 円丘部の ...
千米寺古墳群 群集墳 古墳時代後期の円墳群。 かつては60基以上が存在したようだ ...
塚原上村古墳 円墳 古墳時代後期に築造された円墳。愛称は「大西のおかま」。 墳 ...
天神塚古墳 円墳 径約35m、高さ約4mの円墳。 埋葬施設は南に開口する横穴 ...
中秣塚古墳 円墳 赤坂台古墳群の1基で、径14m、高さ約3mの円墳。 埋葬施 ...
西ノ原古墳 不明 墳形・規模不明。石室が保存されている。 石室は南東に入口を ...
子の神古墳 円墳 古墳時代後期に築造された径約5mの円墳。 横穴式石室が南に ...
八幡塚古墳 帆立貝式古墳 現状は方墳だが、築造当時は帆立貝式古墳だったようだ。 葺石 ...
平林2号墳 円墳 春日居古墳群の1基で、径15mの円墳。 埋葬施設は無袖型の ...
ポンポコ塚 円墳 径15mほどの円墳。 出土品は不明だが、横穴式石室の形態か ...
丸山塚古墳 円墳 径72m、高さ11mの円墳。 墳丘は2段に築かれ、埴輪が存 ...
万寿森古墳 円墳 径約25m、高さ約5mの円墳。 2006(平成18)年の発 ...
六科丘古墳 円墳 径28mの造出し付円墳。 内部構造については不明だが、鉄剣 ...
物見塚古墳 前方後円墳 現存長約45mの前方後円墳。 墳丘全体を葺石が覆っていたと ...
竜塚古墳 方墳 1辺約56m、高さ約7mの方墳。 墳丘は2段に築かれ、上段 ...
・・・以下省略します。

「毎年咲く真蔵院のハスの花の写真」

2023年06月14日 | 写真
小金井市の真蔵院には毎年見事なハスの花が咲きます。写真のような花です。
真蔵院は小金井公園正門近く、江戸の農家道に面した真言宗のお寺です。 初夏から夏にかけて、「古代ハス」が咲く事でも知られています。

ハスの花は仏教誕生の地であるインドの国花です。 悟りを開く前のお釈迦様はハスのツボミを手にしており、悟りを開いた後は開花した状態のハスを手にしているのが特徴です。


「日本民族に誇りを感じる3つの理由と隠れキリシタンのはなし」

2023年06月13日 | 日記・エッセイ・コラム
 梅雨明けが待たれる季節ですが皆様お元気のことと存じます。
さて私は日本民族に誇りを持っています。誇りに思う理由は3つ程あります。
 第一の理由は日本人の真面目な努力による経済の高度成長です。現在、日本のGDPはアメリカ、中国に続いて世界3位です。この小さい島国の経済力が世界の3位なのです。私はこの事を大変誇りに思っています。
 第二の理由は日本人は平和を愛する民族だということです。日本人は優しく外国人と接し世界の平和を力強く守っているのです。
その上私が日本民族に誇りを感じるのはもう一つの理由があるのです。
 その第三の理由は隠れキリシタンの歴史です。それは江戸幕府の禁教政策にもかかわらずキリスト教の信仰を守り続けた歴史です。それは日本人の宗教に対する誠実さの証です。これも私は誇りと感じています。

 今日は第三の理由を少し詳しく書いてみたいと思います。江戸幕府による
キリスト教の禁教と隠れキリシタンにまつわる話です。隠れキリシタンの里、五島列島に行った思い出も少し書きます。
さてキリスト教は1549年にフランシスコ・ザビエルによって日本へ伝えられました。織田信長は外国の宗教を認めていましたが、豊臣秀吉が始めたキリシタンの禁教政策は徳川家康に引き継がれ、三代将軍の家光の時に徹底的に厳しく実行されるのです。その結果、キリシタンとして捕縛された信者が日本全国で多数処刑されたのです。秀吉以来の処刑者は一説によると30万人に及ぶとも言われています。
信者を処刑しただけでなくあらゆる教会や集会所を破壊し尽くしたのです。
残ったのは隠れキリシタンの家の納戸(押し入れや戸棚)の奥に隠した福音書の断片や祈祷書だけになったのです。信者だけが隠れて集まり、聖母像(マリア観音)の絵や彫像を持ちだし、農家の奥の部屋で一緒にミサを立てたのです。
この事実はキリスト教が背負って来たヨーロッパ文化が消し去られた状態を意味します。美しい異国的な教会も、聖歌も、伴奏の楽器も、絢爛豪華な法衣も全て無くなったのです。
福音書や祈祷書だけが残ったのです。もしキリスト教が日本人の心の中に根付いていなければ、これで終りになる筈でした。しかしキリストの教えが根付いていたのです。250年も代々と人々の心の中に信じられてきたのです。
そしてもう一つの伝承と共に。「神父様が必ず帰って来て教会を建ててくれる」という伝承です。
明治維新後にフランスから長崎へ来たプチジャン神父の所へ隠れキリシタンの女性達がやってきます。そして「神父様が帰ってきて教会堂を建ててくれると260年間信じてきました」と言いだしたのです。
あなたは日本人は凄い民族だとお思いになりませんか?
私はカトリックの信者です。本当はキリスト教のことはあまり深く理解していません。信仰も弱いと思っています。しかし何故カトリックか?と問われれば「隠れキリシタン」を尊敬しているからです。それだけの話です。

それはそれとして江戸時代250年の隠れキリシタンの歴史と関連の建物が2018年に正式に世界遺産と認定されています。五島列島は巡礼地のようになっています。
明治時代になって禁教が解けた後に隠れキリシタン達が五島列島に美しい教会をたくさん作ったのです。
数年前、私は家内とともにこれらの美しい教会を巡る旅に行ったのです。それは隠れキリシタン達を偲ぶ巡礼の旅でした。
ここで美しい五島列島の風景写真をお送りしようと思います。
なお2、3番目の写真は私どもが五島列島へ行った時に撮った写真です。1,4,5番目の写真はインターネットからお借り致しました。

1番目の写真は五島列島にある桐教会の風景です。
桐古里郷のガスパル与作が長崎に行きプティジャン神父を訪ねこの教会を建てたのです。
2番目の写真は堂崎教会堂(長崎県五島市/福江島)です。
1873年に禁教令が廃止されたあと、五島列島で初めて建築された聖堂です。

3番目の写真は五島列島を旅した時に撮った教会の内部です。
4番目の写真は江上天主堂(長崎県五島市/奈留島)の祭壇です。

5番目の写真は五島列島のキリシタン墓地です。

今日は私が日本民族に誇りを感じる理由を書きました。特に第三の理由として隠れキリシタンの歴史を少し詳しく書きました。江戸幕府の禁教政策にもかかわらずキリスト教の信仰を守り族けた歴史です。

それは日本人の宗教に対する誠実さの証です。これを私は誇りと感じています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「梅雨の季節に美しく見える風景」

2023年06月12日 | 写真
静かな雨にしっとりと美しく見える風景の写真をお送り致します。
写真の出典は、https://tabizine.jp/2019/08/04/277813/?utm_source=ise... です。

1番目の写真は東山魁夷氏の代表作「緑響く」 のモチーフになったことで知られる「御射鹿池(みしゃかいけ)」です。 
標高1,500mの山中にある静かな池の湖底にはチャツボゴケが繁茂して湖面が青緑に輝き、木々が美しく映えます。

2番目の写真は日本一の面積を誇る「わさび田・大王わさび農場」です。
夏でもひんやりと涼しく、冷たい水がワサビを潤しています。北アルプスの豊富な雪解け水の平均水温は13度で、真夏でも15度を超えることはありません。

3番目の写真は「雲場池」です。
旧軽井沢に位置し、池の周りを20分ほどで回れるお散歩コース。かつては白鳥が飛来したため、スワンレイクというロマンティックな愛称があります。池の水は良質で、水量が豊富なため、江戸時代から武家諸大名・宮公家門跡の御膳に使用された「御膳水」。磨かれた鏡のような水面は、静かな森を映し出します。

4番目の写真は大桑村野尻の阿寺橋を渡った先にある「阿寺渓谷」です。
ヒノキ・サワラ・ネズコ・アスナロ・コウヤマキの木曽五木に囲まれた渓谷。エメラルドグリーンの清流水の美しさは格別で、川の深みが浅瀬に感じられるほどの透明度。


「川瀬巴水と吉田博の詩的な絵を見て静かに時を過ごす」

2023年06月12日 | 日記・エッセイ・コラム
梅雨の季節です。毎日雨がショボショボ降っています。考えようによっては静かでよい季節です。こんな時には静かで詩的な日本画を眺めるのも良いものです。
そこで今日は川瀬巴水の版画と吉田博の絵画をご紹介致します。詩的で美しい版画と日本画です。
川瀬巴水は大正・昭和期の浮世絵師、版画家です。江戸時代の葛飾北斎や歌川広重のように力強くありませんが胸を打つ静かな美しさがあるのです。
一方、吉田 博は1876年(明治9年)生まれ、 1950年(昭和25年)に亡くなりました。画家で版画家でもありました。自然と写実し、詩情を重視した作風で、明治、大正、昭和にかけて風景画家の第一人者として活躍した人です。

それでは川瀬巴水の版画をお送り致します。

1番目の写真は明治期の東京湾の風景です。まだ帆船が運搬船として使われいました。

2番目の写真は芝の増上寺の前の雪の風景です。和服姿の女性が傘を斜めにして歩いている様子に詩情が感じられます。

3番目の写真は雪晴れの富士山の静かな風景です。忍野八海付近から見た風景でしょうか。

4番目の写真は雪晴れの農村風景です。除雪した道を一人の人間が歩いています。それだけの絵ですが郷愁を感じます。

5番目の写真は深川付近の木場の夕暮れ風景です。水に浸けた材木が波の無い水面に横たわっています。

次に吉田博の絵画をご紹介致します。
6番目の写真は吉田博 「瀬戸内海集」の「帆船、夕」です。

7番目の写真は吉田博の「 瀬戸内海集 」の「光る海 」です。大正15年(1926)の作です。

8番目の写真は「瀬戸内海集」の「倉」です。1930年作です。

9番目の写真は「富士拾景 船津」です。 1928年(昭和3年)作です。

吉田博は1899年、中川八郎と共に渡米、ボストン美術館で2人展を開催し成功します。その後渡欧して、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどを巡歴しパリ万博で展示した『高山流水』が褒状を受けました。

川瀬巴水は海外でも評価が高く、浮世絵師の葛飾北斎や歌川広重等と並び称される程であると言われています。
川瀬 巴水は明治16年に生れ昭和32年に没しました。享年74歳。
本名は川瀬 文治郎といい衰退した日本の浮世絵版画を復興すべく吉田博らとともに新しい浮世絵版画である新版画を確立した人物として知られています。

今日は川瀬巴水の版画と吉田博の絵画をご紹介致しました。心に自然に溶け込み心が寛ぐ絵です。梅雨で暗い気持ちになりますが、このような版画や絵を見ると心が晴ればれします。清々しい気持ちになります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「今日のキリストの聖体の主日ミサの動画配信」

2023年06月11日 | 日記
関口教会の動画配信、
https://www.youtube.com/watch?v=aVksaMKY2TM

イグナチオ教会のミサ動画配信、
https://www.ignatius.gr.jp/news/streaming.html

広島のカトリック幟町教会
https://www.youtube.com/watch?v=OYYgtEBE0QE

 カトリック幟町教会、世界平和記念聖堂は,広島市中区幟町に所在し,昭和20年8月6日の原爆犠牲者を弔い,世界平和の実現を祈念する場として企図された教会堂である。設計は村野藤吾で,昭和29年8月6日に献堂された。

写真は広島のカトリック幟町教会です。


「小さな感傷の旅」

2023年06月10日 | 日記
60年前の新婚の頃住んでいた国分寺が懐かしくちょっと行って来ました。当時は東大の助手をしていたので国分寺から茶の水駅まで毎朝、満員電車で通っていました。時々帰りに妻への土産物としてお菓子を買ったものでした。そんな店も探してみました。それは小さな感傷の旅でした。旅と言うと大げさで電動車椅子で片道40分です。
撮って来た写真です。
1番目の写真は国分寺駅の南口です。60年前には寂しい木造の駅舎だけがありました。こんな駅ビルなんて影も形もありませんで
2番目の写真は国分寺駅の南口から駅前広場を見下ろした風家です。ごちゃごちゃ色々なものが見えますが60年前は何も無い広場でした。
3番目の写真も国分寺駅の南口から駅前広場を見下ろした風家ですが中央の右手の斜めの入る道を10分ほど歩くと我々が住んでいたアパートに着きます。
4番目の写真は小林屋という和菓子屋のあった場所です。小林屋は完全に消えて無くなりました。ケーキ屋の「サンモリッツ」も跡形もありません。
60年たつと町はすっかり変わるのです。新婚で若かった妻も白髪になりましたが私が感傷の旅から帰ってみると脚立のてっぺんで庭木の枝下ろしをしていました。
老境の日記でした。


「イギリスの花々の写真をお送り致します」

2023年06月10日 | 写真
今朝、「写真で見る世界遺産(6)イギリスの8つの世界遺産の写真」という記事を掲載しました。そこでイギリスの花々の写真をお送り致します。
写真の出典は、https://www.british-made.jp/staffblog/44858 です。 


「写真で見る世界遺産(6)イギリスの8つの世界遺産の写真」

2023年06月10日 | 写真
イギリス、 歴史が深いこの国には、文化遺産を中心に自然遺産や複合遺産など合計で30もの世界遺産があります。その一覧表は、https://worldheritagesite.xyz/europe/uk/ に掲載されています。
今日は8件の世界遺産を選んでそれぞれの写真を示します。

1番目の写真はストーンヘンジです。
「ストーンヘンジ、エーヴベリーと関連する遺跡群」はイギリス、イングランドのウィルトシャー州にある世界遺産登録物件です。
「物件」と言っても登録の対象となっているのは建造物などの建物自体ではなく、2つの「地域」を指しそれぞれを『ストーンヘンジと関連する記念建造物群』・『 エーヴベリーと関連する記念建造物群』と言う名称で表しています。この2つの建造物群は30Km程離れた距離に位置しています。

2番目の写真はローマ帝国の国境線です。
皇帝ハドリアヌスの命で造られたのが、ハドリアヌスの長城。イングランドとスコットランドの国境線近くにあります。ローマ帝国に従わない北方民族を防ぐために造られ、完成当時は118kmある土塁でした。石垣で補強されたのはその後のようです。

3番ファウンテンズ修道院遺跡です。
ファウンテンズ修道院遺跡群を含むスタッドリー王立公園は、イギリス北部のノースヨークシャ州にある世界遺産です。スタッドリー王立公園内には、修道院跡をはじめ多くの歴史的な建築物があります。

4番目の写真はポントカサステ水路橋です。
イギリスの世界遺産・ポントカサステ水路橋と運河は、イギリスのトレヴァーの村と北西ウェールズのレクサムにあるフロンカサステとの間で、ディー川の上に架かりランゴレン運河を載せる航行可能な水道橋および運河となっています。

5番目の写真はヘンダーソン島です。
イギリスの世界遺産・ヘンダーソン島とは、南太平洋に浮かぶ島で、ピトケアン諸島に属するイギリス領の無人の孤島です。バウンティ号の反乱事件で一躍有名になったピトケアン島から約190Km離れた所にある、面積約37km²の珊瑚礁の島で周囲は岩礁に取り囲まれています。

6番目の写真はジャイアンツ・コーズウェーです。
ジャイアンツ・コーズウェーは、イギリス・北アイルランドにある、火山活動で生まれた4万もの石柱群が連なる地域で、正六角形の石柱が海岸一帯を埋め尽くし、その距離は全長8キロにも及びます。「ジャイアンツ・コーズウェーとコーズウェー海岸」として世界遺産に登録されました。

7番目の写真はイングランドの湖水地方です。
イギリス / イングランド / ヨーロッパ / 世界文化遺産
イングランドの湖水地方は、2017年ポーランド・クラクフで開催された第41回世界遺産委員会において、イギリスの世界文化遺...

8番目の写真はヨーロッパの大温泉保養都市群のイギリスの浴場です。
2021年の第44回世界遺産委員会(2020年分)において、「ヨーロッパの大温泉保養都市群」が世界文化遺産として登録されました。
ヨーロッパの7か国にまたがるこの世界遺産には11の温泉地が含まれています。

今日はイギリスの文化遺産を中心に自然遺産や複合遺産など合計で30件の世界遺産蛾の一覧表をご紹介致しました。その後で8件の世界遺産を選んでそれぞれの写真を示しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)