おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

狭軌、広軌(標準軌)

2011-03-23 23:03:32 | つぶやき
 一昨日の、電力供給の東西分断事情という話題から、ふと気になったのが鉄道の線路の幅(軌間)のこと。軌間が鉄道会社によって異なるため、相互乗り入れの融通がきかないし、車両も当然。大災害の時の鉄道網のあり方など、気になりました。そこで。
 
 国有鉄道(JR)の線路の幅(軌間)が欧米の標準軌 (1435mm) に比べて狭い1067mm(狭軌)になった理由を示す史料は現在残されていないようですが、次のような話が。
 当時新政府の財政も担当していた大隈重信が軌間というものを理解しておらず、エドモンド・モレルなどお雇い外国人が予算や輸送需要を考えれば、狭軌を採用して鉄道を早期に建設すべきと主張して、それら外国人の説得に押されてしまい、のちに狭軌を採用したことを「一生の不覚であった」と述べている、とか。
 その後、たびたび改軌運動・論争がありました。発祥時に1067mm軌間(狭軌)を採用した日本の国有鉄道(国鉄)が、1435mmの標準軌へ軌間を変更しようとした運動とそれにまつわる論争。これは、公共サービスの経済学において、国家的な政策と日々進歩する技術の両面が複雑に絡んで論争を引き起こした最初の事例。
 日本では鉄道の発祥時に、大隈重信が半ば外国人の意見に押される形でレール幅(軌間)を1067mmと決定してしまったが、これは欧州など多くの国の鉄道で採用されている軌間の1435mm(標準軌)より狭く、スピードや輸送力で劣るものとなってしまった。
 そのため、鉄道が開業してまもなくからこの1067mm軌間を1435mmという世界標準に改めようという運動が何回か起こった。しかし、政争や予算の問題で実現せず、そのため日本において標準軌(「広軌」と称される)を採用した国鉄路線が生まれるのには、1964(昭和39)年、東海道新幹線開業まで待たねばならなかった(最初の論争は1887年ごろ)。
 このかんの論争史は軍部はもとより政財界入り乱れてのもの(実に面白い)。
 
 私鉄では大師電気鉄道(現:京浜急行電鉄大師線)は、標準軌を採用した。これは、国鉄の標準軌への改軌を見越してのことだと言われている。国鉄の改軌が行われなかったことを尻目にして、電気鉄道・路面電車・地下鉄の分野では1435mm軌間が急速に普及した。また、1905年に大阪出入橋~神戸雲井通間を開業させた阪神電気鉄道本線は、高速インターアーバン(都市間の高速電気鉄道)を目指すために、標準軌を採用した。
その後、関西を中心に1435mmの高速電気鉄道が続々と開業した。また、集電に第三軌条方式を採用した地下鉄路線では国鉄との乗り入れが全くないことから、日本の第三軌条方式の地下鉄は案内軌条方式の札幌市営地下鉄南北線を除き、すべて1435mm軌間で敷設されている。
 近畿日本鉄道は、他の関西私鉄と同様に開業時に標準軌を採用した大阪線・山田線等に対し、名古屋線が国鉄との貨車直通運転を前提として開業した伊勢電気鉄道を引き継ぐ形で発足して狭軌を採用していたため、名古屋から大阪・伊勢方面への直通運転ができなかった。そのため伊勢湾台風により名古屋線が壊滅的打撃を受けた時、当時の佐伯勇社長が周囲の猛反対を押し切って標準軌化を断行した。
 なお改軌論争は、関東の私鉄における東京都電の1372mmゲージを採用した電鉄会社が、昭和中期に地下鉄との相互直通運転を行う際の対応で苦慮した所にも見られる。その中でも都営浅草線および京浜急行電鉄への乗り入れを実施した京成電鉄は、子会社の新京成電鉄と共に昭和30年代に改軌工事を行って1435mmに改軌できたが、大規模の大きな、それこそ全社を挙げての工事となった(これには経験あり。駅で電車を乗り換えるかたち)。
 以上、「ウキペディア」などを参照しました。まさに公共機関の規格統一化の困難さを感じました。まして、今さら電力は、無理なようですね。歴史に学ぶということの面白さでもありました。
 
コメント
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