「三夜橋」バス停で下車。その先の元荒川・「三谷橋」から再開。10月26日(土)。曇り。
りんご?
すぐ上流に「安養寺堰」。
安養寺堰は、ここから130m下流にあった宮地堰の老朽化に伴い、平成16年に完成した比較的新しい堰です。
昔の宮地堰は安養寺堰の完成後取り壊されましたが、新編武蔵風土記稿(文政年間:1830年頃編纂)によると、宮地堰が建設されたのは慶長年間(1596~1614)深井景吉によるものとされています。
深井景吉は、岩付城落城に伴い鴻巣、北本に落ち延びた、いわゆる鴻巣七騎の一人で、当初は今の北本市深井に居を構えていましたが、その後、徳川家康から与えられた現在の鴻巣市宮地に移住しました。
そして、深井景吉は宮地堰を造り300町歩(3km2)の土地を開墾するなど、この地一体に多くの田畑を開墾しました。
安養寺堰の機能は宮地堰と同様に農業用水取水のための堰ですが、安養寺堰の規模は圧倒的に大きく、屈巣用水路、西浦用水路、栢間用水路、外谷田用水路、新谷田用水路へ分水し、その灌漑面積は1,100haに及びます。
左岸沿いに歩きます。
この付近・両岸沿いには、花卉栽培・出荷する農家が点在しています。
※花卉(かき)栽培とは、鑑賞用の植物という意味を持つ「花卉」を栽培することです。 花卉の例としては、切り花、鉢花や花壇苗や観葉植物、盆栽など食用でない植物があげられます。 基本的に贈答用や、切り花の場合には冠婚葬祭として扱われることの多い植物の栽培になるため、嗜好性の高い作目の農業です。
田畑も点在。
遠くに新幹線が通過中。
カルガモの群れ。
誰とも会わない土手の道。
カルガモ。
雨でも降ってきたら雨宿りするところもない一本道。
対岸には、花栽培の温室が並んでいます。
大きく左へカーブする。
この先で土手の道は途絶え、小さな用水路に電柱? を二本渡した橋? があるだけです。
さすがに渡る度胸はない。
来た道を振り返る。
たまたま、すぐ脇で農作業をしていた方がいました。
「この先、道はないよ。あっても蛇がいるし、・・・。ま、ぐるっと回って行くんだね。そう、新幹線沿いの道を。」
新幹線沿いの道へ迂回し、
再び土手の道へ出ます。
舗装された道になります。
この先で大きな駐車場に突き当たります。
前方は、「渋井橋」。
「三谷橋」からこの橋までこの間に橋がないまま、けっこう歩きました。
渋井橋から下流を望む。
上流方向。
さて、この先、川沿いの道は草刈りが終わっていないので、歩くのを断念。
この機会に、花卉栽培農家が点在する「フラワー通り」を歩くことにします。
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