今日もリハビリ。振り子運動も佳境! 100回×10。なかなか励めませんが。
そして、読書。
「たま(もの)」にまつわるお話、
40歳になって、別れた恋人から山尾という名の赤ん坊を預かった「わたし」。以来10年余、せんべい工場の契約社員をしながら山尾を育ててきた。知人男性との逢瀬を重ねながらも、山尾に実の息子同然の愛情を注ぐ「わたし」。初老にさしかかり、母と女の狭間を生きる、シングルマザーの日常。第42回泉鏡花文学賞受賞!
「山尾」という名は、百人一首の「あしびきの 山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかもねむ」から採ったと聞かされます。預かった、独り身の「わたし」には、おそらく「ながながし夜をひとりかもねむ」にも彼女なりの思いが込められているのでしょう、「杉本氏」「先生」などとの行き会い、別れた、その深い経験・思いともオーバーラップさせながら。
このお話には、たしかに「たま」(あるいは玉状のもの)がしばしば登場します。
「臭玉」(口臭の原因ともなっている存在を初めて知りました! )、「南京玉すだれ」、「ちんちんの左右のたま」、「紅玉」(リンゴの種類)、そして「卵落としコンテスト」(大学で行われた、卵を落としても割れない包装工夫コンテスト)、・・・。
預けていった男は半年後には音信不通になってしまっていました。その「山尾」も小学6年生。いつまで一緒にいられるのか、一緒にいたらいいのか、そんな心配、不安もよぎります。
そんな矢先。雪の降る中、「山尾」は3時間も行方が分からなくなる。
挿話として「蒼い箱」(人の訴えを聴くだけの仕事。あなたは話すより聴くほうがうまい、と頼み込まれての仕事)での内容が(女性からの性の悩み・・・)織り込まれていますが、あまりにもありきたりで通俗的すぎて、印象はあまりよくありません。ただ「聞く」のではなく「聴く」(耳をそばだててきく)という働きは、感性を大事にする「わたし」に生来、備わっているものなのでしょう。
別れ際の「先生」の言葉。
・・・あなたはぼくの話をいつも格別の熱心さで聞いてくれた。しかしこのあいだは少し違った。あなたはぼくの危機を感じとってくれたのでしょう。なぜ、わかったのでしょうねぇ。それで思った。あなたという人は、聴く人なんだってね。つまり受信機。発信器ではなく。そういう人がこの世にはいる。目立たないが、ひっそりいる。裏道のつき草のように。(P157)
ここに登場する「つき草」は「ツユクサ(露草)」のこと。畑の隅や道端で見かけることが多い草花。
朝咲いた花が昼しぼむことが朝露を連想させることから「露草」と名付けられたという説があります。英名の Dayflower も「その日のうちにしぼむ花」という意味を持っています。
古くは「つきくさ」とも呼ばれていました。「つきくさ」は月草とも着草とも表され、花弁の青い色が「着」きやすいことから「着き草」と呼ばれていたものと言われていますが、『万葉集』などの和歌集では「月草」と表記されることが多いようです。
花の青い色素はアントシアニン系の化合物で、着いても容易に退色するという性質を持ち、この性質を利用して、染め物の下絵を描くための絵具として用いられました。
『万葉集』には月草(つきくさ)を詠ったものが9首存在し、古くから日本人に親しまれていた花の一つ。
朝咲いた花が昼しぼむことから、はかなさの象徴として詠まれたものも。
・つき草のうつろいやすく思へかも我(あ)が思(も)ふ人の言(こと)も告げ来(こ)ぬ(巻4 583)
・つき草に衣(ころも)ぞ染(し)むる君がためしみ色(或 まだらの)ごろもすらむと思(も)ひて(巻7 1255)
・つき草に衣(ころも)色どりすらめどもうつろふ色と言うが苦しさ(巻7 1339)
・つき草に衣(ころも)はすらむ朝露にぬれての後はうつろひぬとも(巻7 1351)
・朝露に咲きすさびたるつき草の日くたつ(或 日たくる)なへに消(け)ぬべく思ほゆ(巻10 2281)
・朝(あした)咲き夕(ゆうべ)は消(け)ぬるつき草の消(け)ぬべき戀(こひ)も吾(あれ)はするかも(巻10 2291)
・つき草の假(か)れる命にある人を(或 假なる命なる人を)いかに知りてか後もあはむといふ(或 あはむとふ)(巻11 2756)
・うち日さす宮にはあれどつき草の移ろふ心わが思はなくに(巻12 3058)
・百(もも)に千(ち)に人はいふともつき草の移ろふこころ吾(われ)持ためやも(巻12 3059)
俳句においては、露草、月草、蛍草などの名で、秋の季語とされます。
(以上、写真を含め、「Wikipedia」参照。)
さて、そんな「わたし」にとっての「たまもの」とは何なのだろう。受け身ではなく、聴く耳を持つ(といわれた)自分にとって、それは「山尾」か、それとも、・・・。
それぞれの人生における「たまもの(賜物)」にはどういうものがあるでしょうか、あったでしょうか。
生きとし生ける者(同士)のなりわい。様々な出会いと別れの中で味わってきた「たまもの」を大事にする、また、他者にとっての「たまもの」になりうる、そんな人生を送りたいものです。たとえその多くが「玉」石混淆だったとしても。
ささやかなことを大事に大事に歌う。(P11)
こうしたさりげないフレーズが随所にちりばめられています。