2011年05月30日(月)
1)起立、斉唱の命令は「合憲」 国旗国歌、最高裁初判断 |
2011年5月30日 19時16分 東京新聞卒業式で教職員に日の丸へ向かって起立し、君が代を斉唱するよう指示した校長の職務命令が、憲法19条の保障する思想、良心の自由を制約し、
違憲かどうかが争われた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、合憲との初判断を示した。
「間接的に制約する面はあるが、
許容できる程度の必要性、合理性が認められる」とした。4人の裁判官全員一致の判断。
不起立を理由に退職後の再雇用を拒んだ東京都教育委員会の処分取り消しなどを求めた元都立高教諭申谷雄二さん(64)の請求を退けた二審東京高裁判決を支持、上告を棄却した。
申谷さんの敗訴が確定した。
2007年の最高裁判決は、音楽教諭に対する入学式での君が代ピアノ伴奏の職務命令を合憲としたが、起立、斉唱についての判断は初めて。
より広い範囲の教職員にかかわる内容で、同種訴訟で職務命令の違憲性を争う道は事実上閉ざされた。
起立、斉唱を義務付ける条例案が提出されている大阪府議会の審議にも影響を与えそうだ。(共同)
☆裁判官に国民が役割分担上、法の施行の可否の判断を委ねているので、個別の裁判の報道には、担当した裁判官の氏名を必ず掲載するべきだ。
ネットで朝日新聞、毎日新聞の記事を見たがやはり記載がない。☆
2)asahi.com
君が代訴訟、起立命じる職務命令「合憲」 最高裁初判断
2011年5月31日3時1分
公立学校の卒業式で「君が代」を斉唱するときに教諭を起立させる校長の職務命令をめぐる訴訟の上告審判決で、最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、
命令は「思想・良心の自由」を保障した憲法19条には違反しないとの判断を初めて示した。
そのうえで、自由を侵されたとして損害賠償などを求めていた元教諭側の上告を棄却した。
第二小法廷は、起立斉唱の職務命令が、個人の思想・良心の自由を「間接的に制約」する面があると認めつつ、一定の必要性や合理性があれば許容されるという判断基準も提示。
同種の訴訟だけでなく、大阪府議会に提出された斉唱義務化の条例案をめぐる議論や、全国の教育現場にも影響を与える可能性がある。
訴えていたのは、東京都立高校に勤めていた元教諭の申谷(さるや)雄二さん(64)。
3)毎日新聞
君が代訴訟:「教職員への起立命令は合憲」最高裁が初判断
卒業式の君が代斉唱時の不起立を理由に、東京都教委が定年後の再雇用を拒否したのは「思想や良心の自由」を保障した憲法に違反するなどとして、
元都立高校教諭の申谷(さるや)雄二さん(64)が都に賠償を求めた訴訟の判決で、最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、
「校長の教職員に対する起立斉唱命令は合憲」とする初判断を示した。その上で、申谷さんの上告を棄却。申谷さんの敗訴とした2審判決(09年10月)が確定した。
公立校での君が代斉唱を巡っては、最高裁が07年2月、都内の小学校長が音楽教諭にピアノ伴奏を命じた行為を合憲と判断したが、
教職員全体が対象となる起立斉唱命令について憲法判断したのは初めて。
裁判官4人全員一致の判断。小法廷はまず「起立斉唱行為は卒業式などの式典での慣例上の儀礼的な性質を有し、
個人の歴史観や世界観を否定するものではなく特定の思想を強制するものでもない」と指摘。
ただし、起立斉唱行為を教員の日常業務に含まれないとした上で「国歌への敬愛表明を含む行為で思想と良心の自由に間接的制約となる面がある」と位置付け、
間接的制約が認められるかどうかは「命令の目的や内容、制約の態様を総合的に考慮し、必要性と合理性があるかどうかで判断すべきだ」との判断基準を示した。
その上で申谷さんのケースを検討。教育上重要な儀式的行事では円滑な進行が必要▽法令が国歌を「君が代」と定める▽「全体の奉仕者」たる
地方公務員は職務命令に従うべき地位にある--ことを挙げ「間接的制約が許される必要性や合理性がある」と結論付けた。
申谷さんは04年3月、当時勤めていた都立高校の卒業式で、校長命令に反し君が代斉唱時に起立せず、戒告処分になった。
07年3月の退職を前に非常勤職員としての再雇用を都教委に申し込んだが、不合格となった。
1審・東京地裁判決(09年1月)は校長の起立斉唱命令を合憲とする一方、「再雇用拒否は裁量権の乱用」として約210万円の支払いを命じたが、
2審・東京高裁は都側の広範な裁量権を認めて1審を取り消す逆転判決を言い渡していた。【伊藤一郎】
☆法曹ムラの幹部が司法記者クラブ所属の大手報道機関を通じて、裁判官の名前を掲載するなと情報統制しているのかどうか知らないが、
この報道を読んでいると「第二小法廷」という生身の人間ではないメカが無機質に憲法判断をしているように思えてくる。最高裁判所裁判官国民審査が形骸化し機能していない一因に、大手報道機関の顔がくにたみの方向を向いていないことがある。メディアは裁判ごとに裁判官の氏名を掲載して彼らをリスペクトして上げて欲しい。以前に比べれば、最高裁のサイトにアクセスすればわかるようになっているからいいでしょ、という問題ではない。アクセスしてみたらこうなっていた。最高裁判所の裁判官最高裁判所判事須藤正彦(すどうまさひこ)(昭和17年12月27日生) 略歴昭和41年 中央大学法学部卒業昭和43年 司法修習生昭和45年 弁護士登録(東京弁護士会)昭和63年 東京弁護士会副会長昭和63年 財団法人法律扶助協会理事平成元年 日本弁護士連合会司法問題対策委員会委員平成3年 日本弁護士連合会法律扶助制度委員会副委員長平成3年 日本弁護士連合会外国法事務弁護士に関する委員会委員平成3年 法学博士平成4年 司法研修所民事弁護教官平成10年 日本弁護士連合会司法修習委員会委員平成11年 日本弁護士連合会外国弁護士及び国際法律業務委員会委員平成12年 東京弁護士会国際委員会委員長平成14年 国際医療福祉大学客員教授平成16年 日本弁護士連合会綱紀委員会委員長平成20年 東京都労働委員会公益委員平成21年12月28日 最高裁判事(信条,趣味など)◆裁判官としての心構え 40年間の弁護士生活で培った在野精神,市民感覚をもとに,適正な洞察と判断,手堅くかつ迅速な処理に努めたい。社会がますます高度化,複雑化,国際化の度を強めている今日の状況下にあって,大局的かつ複眼的な見地を失わないようにしたいとも思っております。あとの三人の第二小法廷に所属する判事はサイトでご覧を。最高裁判所の裁判官最高裁判所長官竹﨑 博允 第二小法廷最高裁判所判事古田 佑紀 第二小法廷那須 弘平 第三小法廷田原 睦夫 第三小法廷宮川 光治 第一小法廷櫻井 龍子 第一小法廷竹内 行夫 第二小法廷金築 誠志 第一小法廷須藤 正彦 第二小法廷千葉 勝美 第二小法廷横田 尤孝 第一小法廷白木 勇 第一小法廷岡部 喜代子 第三小法廷大谷 剛彦 第三小法廷寺田 逸郎 第三小法廷
☆福岡県川崎町の森元秀美町会議長が選挙違反の任意での事情聴収を受けている途中、自家用車の中に練炭入りの七輪3個を持ち込んで一酸化炭素による中毒で亡くなられた。
この件を取り上げた新聞6社の記事を取り上げ、比較しているサイトがある。
題して「川崎町議長変死の経緯 各記事「立位置」比較 」
こうして併記してくれると、この一例にでも新聞社のデスクの考え(編集方針)がそれぞれはっきり出てくるのだと思った。
サイトはこちら。 |
☆福島の現地で肌で感じたことを書いている報告の一つを読みました。村や町の職員の懸命さ、優秀さに比べて、県の一部の職員のあしらいのひどさがここでも書かれています。
住民は彼らを相手にしていては生きてはいけないので、知恵を出し、困った者どうしで連携して、困難な状況を切り抜けている報告です。☆
一部引用・・
フクシマ便り(1)(2)
311からのくらし
物資が来ない
3月15日の爆発の後、1週間余りは、相馬市や南相馬市などには、食料やガソリンなどの物資が来なくなりました。
相馬市の場合は30キロ圏外なのですが、風評で入ってこないのです。多くの食料品店が開かない中、尾形さんの家の近くのスーパーは3月12日からずっと開いていました。
しかしそれでも、しばらく生鮮食品は手に入りませんでした。
南相馬病院の及川医師は、この期間に7キロ体重が減ったとおっしゃっていました。また相馬市の横山さん(難民を助ける会、相馬市在住のボランティア)は、
飴玉だけでこの時期を乗り切ったといいます。
相馬市は避難命令を出していないのです。相馬市の立谷秀清市長は、避難命令を出すべきかどうかという選択を迫られた時、
出した時の混乱の方が大きいと即時に判断避難命令を出さなかったのです。
市長室でお話しする機会があった時、立谷市長は、それでもその時、頭の中では避難すべきか否か、
その結果どうなるのかをいろいろ考え、かろうじて避難すべきでないという考えが6割だったとおっしゃっていました。
そして「避難はしない」と口に出した時から、避難しない気持ちが10割になったそうです。そしてそれは、「判断ではなくて決心だった」ということでした。
立谷市長はこの決心の後、毎週発行しているご自身のメール・マガジンに「ろう城」と題する記事を載せました。
米と味噌と梅干さえあれば、生きてはいける」という言葉で締めくくられるこの文章は、多くの人の心を打ちました。
これは、市長が市民と共に、この地にとどまり、この地を守ってゆく覚悟を表明したものでした。
全文 その1 その2
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☆4月18日に島田陽子さんが亡くなられたことを知った。81歳。 2007年9月5日のエントリーを再録します。合掌☆
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「大阪ことばあそびうた」から 島田陽子さんは1929年東京生まれ、11歳から大阪在住の詩人です。 大阪弁で沢山の詩を書いています。その中から二つ。
「いけずかぞえうた」
ひとつ ひとより ひつこうて
ふたつ ふへいは ぶうぶういい
みっつ みんなに みせびらかし
よっつ よそもん よせんとこ
いつつ いけずが いっちすき
むっつ むげっしょ むねがすく
ななつ なぶって なかしたろ
やっつ やらしい やんちゃして
ここのつ ごてさく こんじょわる
とおで とことん どつかれた
「いうてんか」
いうてんか
すきなら すきやと
いうてんか
いけずを せんと
いうてんか
いうてんか
いやなら いややと
いうてんか
きィもたさんと
いうてんか
いうてんか
やんぺなら やんぺと
いうてんか
かってに やめんと
いうてんか
「続大阪ことばあそびうた」㈱編集工房ノア刊
引用:【天声人語】2011年4月23日(土)朝日新聞
詩人の島田陽子さんを知らなくても、大阪万博のテーマ曲「世界の国からこんにちは」は大勢が覚えていよう。1970年、三波春夫さんの声で流布した歌は、時代の応援歌そのものだった。
歌詞は公募で、島田さんの作が1万3千余通から選ばれた。1カ月ほど寝ても覚めても考え続け、ふと浮かんだ「こんにちは」で詞を組み立てた。
徹夜で仕上げ、当日消印有効のぎりぎりに投函(とうかん)したそうだ。滑り込みセーフで国民的歌曲は誕生した。
島田さんの詩は大阪言葉が冴(さ)えわたる。女の子が、男の子のことを、
あの子 かなわんねん/うちのくつ かくしやるし/ノートは のぞきやるし/わるさばっかし しやんねん/そやけど/ほかの子ォには せえへんねん/うち 知ってんねん
そやねん/うちのこと かまいたいねん/うち 知ってんねん。
男子、形無しである。東京生まれながら大阪弁に惚(ほ)れ抜いた。そんな島田さんが81歳で亡くなった。
6年前にがんを手術した。病への驚怖(きょうふ)を表したのだろう、昨秋頂戴(ちょうだい)した新詩集に次の作があった。
滝は滝になりたくてなったのではない/落ちなければならないことなど/崖っぷちに来るまで知らなかったのだ
まっさかさまに/落ちて落ちて落ちて/たたきつけられた奈落に/思いがけない平安が待っていた/新しい旅も用意されていた/岩を縫って川は再び走りはじめる。
昭和の応援歌を書いた人が残した、震災後日本への励ましに思えてならない。
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「退役技術者による福島原発暴発阻止行動プロジェクトに関する会議 」
第1回 こちら
第2回 こちら
第3回 こちら |
☆大手テレビ、新聞では見ることが出来ない企画だが、CMなしで通しで「検察が冤罪を作り出す?メディアが空気を作り出す?」をテーマにしたシンポジウム。
下手なエンタ番組より遥かに面白い。
2011/05/23 シンポジウム「検察、世論、冤罪」
こちら
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