阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

男はつらいよ 第13作 「寅次郎恋やつれ」を見ていたら 「七人の侍」の❝久蔵❞役を演じた「宮口精二」 さんが出ていて嬉しかった。

2023年07月06日 | 音楽・絵画・映画・文芸

某日 BSで録画していた 男はつらいよ 第13作 「寅次郎恋やつれ」を観ていたら、マドンナ吉永小百合さんの父親役で「宮口精二」さんが出てきたのに驚いた。

中学生時代、映画館で「七人の侍」を見た時、❝久蔵❞ の決闘の場面で自分の体が硬直したのを覚えていて、宮口さんは今も強く強くその印象が残っている俳優さんだ。

  俳優というか役者には その映画や舞台で 与えられた役を「造形」出来る人と、そうではなく俳優としての持ち味のままでやっている人がいる。

映画「七人の侍」で私は本当に❝久蔵❞という浪人が今生きて目の前にいると 感じながらその迫力に打たれていた。

 特に腰に二本の刀を束さんだ❝久蔵❞の少し腰を落として疾走する姿はとても美しかった。

この映画の撮影にあたって 監督の黒沢明は侍役の俳優たちに走る練習を何度もさせたという。当時の人は現代人の歩き方でない「難場(なんば)あるき」をしており

 特に侍は刀をさしているから農民と同じ走りではないと走り方を指導した。その指導は竹刀ではなく本物の刀を差してその重みを感じさせて走らせたそうだ。

だから三船敏郎が演じた百姓上がりの「菊千代」のバタバタした走りと侍の久蔵の走りは映画の中でも違った。

引用元

「男はつらいよ」シリーズを山田洋次監督が作ってくれたおかげで 昭和30年代に最盛期だった日本映画の優れモノの俳優さん、笠智衆さんや

七人の侍のリーダー役を演じた志村喬さんなどもシリーズで顔を見せてくれる。山田監督ありがとう。

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『七人の侍』は、東宝が1954年(昭和29年)4月26日に封切り公開した時代劇日本映画である。監督は黒澤明。白黒、スタンダード、207分。

Wikipedia こちら

勘兵衛が、久蔵が、菊千代が、平八が、七郎次が、勝四郎が、五郎兵衛が、走りに走りそしてまた走る。

映画「七人の侍」をBSの再放送で見たが、いつ見てもこの映画で走る侍の姿の美しさに感動する。 

大小2本の刀を左腰にたばさむゆえに、腰を少し落とした姿勢のままで当時の侍は疾走した。

野球のバットと同等かそれ以上の長さと重さのものを腰に差して走るのだから、訓練なしでは普通に歩くことも出来ない。

江戸時代まで日本人は、腰(はら)が平行移動する「なんば歩き」をしていた。その頭の上下動のない侍たちのなんば歩きの疾走は、

おそらく能舞台での能役者の動きに通じるものがある。

 「なんば歩き」は「難場歩き」の謂いという。つまり踵から足を下ろし親指で前へ蹴りだす、靴を履いた時の歩き方ではなく、

柔らかい草鞋を履いて、舗装のないどんな“難場”の地道でも歩くに適した歩き方を言う。

面白いことに三船敏郎演じる菊千代の走りは他の六人とは違って現代の我々のようにバタバタと走る。

菊千代は百姓上がりの男という設定のせいだろうか、あるいは長刀を肩にかけて走るせいだろうか。

  この映画の凄腕の剣客、久蔵役をやった宮口精二という俳優の決闘の場面は鳥肌が立った。今も宮口精二は印象深い。

  (2009年02月09日(月)「阿智胡地亭の非日乗」掲載)  引用元。

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07月05日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年07月06日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

6日夜の「クローズアップ現代」はあきらかに韓鶴子総裁の発言の流失が原因で この予告内容と違って もっと踏み込んだ内容になっていて驚いた。

おそらくNHK内部で相当な軋轢があったと思うが、ある意味本来のあるべき保守の意向を日本国民のために明解に述べる内容になっていた。

 すぐそこに故安部元首相の一周忌が迫る中で、これまでの流れの大きな転換のテコになるような気がする。

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東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年06月02日(木)のブログ ]

2023年07月06日 | 東日本大震災ブログ
司法ムラの掟を破ったために辞めるハメになった市川元検事
一部引用・・

次席検事の出世欲が、強行捜査、立件の背景にあった

何故こんな強引な捜査が強行されたかといえば、それは驚いたことに、次席検事の出世欲だった。
 
その次席検事は独自捜査で実績を上げ、東京地検特捜部へ栄転することを狙っていたのだという。
 
そんな些末な一人の検事の我欲が、罪も無い個人を冤罪に陥れ、人生を大きく狂わせた事件の原因だったのかと俄には信じられないくらいだが、
 
市川氏はそれが紛れもない検察組織の実態だという。

市川氏によれば、もちろん検事の中にはそうした理不尽な捜査や立件に対して異議申し立てをおこなう強者もいるが、
 
大多数は先輩検事のいいなりのロボットになるか、市川氏のように内心に大きな疑問を抱きながらも反抗できない「半端者」になってしまうのだという。

こうしたある種の「暴力」によって組織の構成員を「教育」するシステムは、一般には「体育会系」とかいわれて日本の企業・組織社会の土壌のもとでは
 
むしろ推奨される傾向があるが、検察組織の場合は、それが著しく度を越しているばかりか、内向きな組織の論理自体が自己目的化し
 
先輩検事から受けた暴力が代々受け継がれていくような暴力の連鎖が形成されている。

軍隊やヤクザ組織であってさえも組織の暴力連鎖は、最終的には組織の底辺部の人間がしわ寄せを食うという地点で止まるものだが
 
察組織の場合は、それが一般人にまで及んで冤罪をつくりだす分だけ罪深い。

関連動画はこちら
 
 
一票の格差をなくさない限り菅さんの後、誰が首相になっても変わらない
 

一部引用・・

総理大臣の問題を個人の能力や資質の問題に帰すべきではない。

 ・・このようなコメントを述べれば、必ず「首相の器(能力や資質)の問題だ」とか「側近や知恵袋の人選が歪んでいるからだ」といった声が寄せられる。

確かに、それにも一理はあるだろう。

 では、菅首相が退任したら、すべての問題は解決するのだろうか。あるいは、側近や知恵袋を総入れ替えすれば、それで事態は劇的に改善するのだろうか。

確かに政治リーダーの能力や資質の問題は重要だし、また、どのような人に指南を仰ぐかという観点も劣らず重要だと考えるが、そもそも、こういった問題の所在を、

個人の能力や資質に帰すアプローチは、果たして正しいのだろうか。

 この国では、5年以上続いた小泉政権の後、わずか1年前後という超短命の政権が連続して4代も続いている。

4代(あるいは5代)連続して首相を務めるに足る能力や資質に欠けたリーダーを、この国は選び続けてきたのだろうか。それは、たまたまの偶然なのだろうか。

全文はこちら

☆原因を掘り下げていくとここに当たる!前から薄々感じていたことを書いていて、なるほどと思って読みました。

 日本の旦那衆(エスタブリッシュメント)は国家公務員と大企業だと言いますが、最高裁の判断が出ても、彼らが使用人として雇っている国会議員と大手メディアを使って、

選挙制度の改革には手をつけさせないできていると言えます。大きな改革を旦那衆は望まない。☆

 
ふくいちライブカメラで24時間福島原発の画像が
福島第一原子力発電所1号機~4号機の映像をリアルタイムで配信しています。

こちら
 
 
小出 裕章 著 「原発のウソ」発売
「原発のウソ」  ネットの著作紹介から引用

“安全な被曝量”は存在しない! 原発を止めても電力は足りる!
いま最も信頼されている原子力研究者の、3.11事故後初の著書

著者の小出裕章氏は、かつて原子力に夢を持って研究者となることを志した。
しかし、原子力を学ぶうちにその危険性を知り、考え方を180度変えることになる。
それ以降40年間、原子力礼賛の世の中で“異端”の扱いを受けながらもその危険性を訴え続けてきた。

そんな小出氏が恐れていたことが現実となったのが、2011年3月11日に起きた福島第一原発事故だった。

原発は今後どうなる?
放射能から身を守るにはどうすればいい?
どのくらいの「被曝」ならば安全?
原発を止めて電力は足りるの?
など、原子力に関するさまざまな疑問に“いま最も信頼されている研究者”がわかりやすく答える。
  
 
 
日本で在宅勤務が普及しないのは訳がある
一部引用・・

昼日中、30~40代くらいの男性が住宅街をウロウロしていれば不審者に間違えられかねない。知っている人にでも会えば、
 
「あれ、リストラされたのか」などとあらぬ疑いをかけられることになる。

 つまり日本では、ウイークデーに働き盛りの男性が住宅街にいてはならぬのが「常識」なのだ。
 
どこにいなければならぬのかと言えば、「会社」である。ウイークデーの昼日中には働き盛りの男性は、すべからく会社で仕事をしていなければならない、これが日本の常識なのだ。

全文はこちら
 
 
行政を大震災に対応させるには
☆窓口の職員の対応に怒り狂っても問題は解決しない。

解決はたやすいことではないがヒントはある。☆

一部引用・・

お役所仕事 「リウマチの女性が手首を腫らし、痛みに耐えていました。あるメーリングリストで、沖縄が県を挙げて受け入れをしていると知り、
 
彼女はその避難所から沖縄への移住を希望しました」

 「沖縄の担当者に連絡をすると、『罹災証明申請書のコピーが必要です』『沖縄は県の予算で受け入れるので、飛行機に乗るのは5人まとまってからです。
 
飛行場までは自分で来ていただき、そこでチケットをお渡しします』『インターネット上の申込書を印刷して書きこんでください』と、担当官に告げられました」

 「非常に困難な条件で、少なくともパソコンとプリンターを持った援助者と、飛行場までの足、
 
罹災証明書の申請を行うために市役所に行くという手順をその女性が手配しなければ不可能なのです。
責任者の方とお話ししましたが、らちがあきませんでした」

全文はこちら
 
 
 
相馬市の立谷秀清市長インタビュー記事
一部引用・・

リーダーシップなんていう立派なものじゃないですよ。我々はみんな素人。所詮、地方公務員、地方の首長だから、こんな震災対応に慣れているわけじゃない。
 
みんなで知恵を出し合って、必死にやってきただけです。

 震災直後にやらなければならないことは、とにかく「次の死者を出さない」ということに尽きる。今はある程度、そこは担保できる状態になったから、これからは復興です。

 震災発生から2カ月余り、「復興とは何か」ということをずっと考えてきました。非常に漠然とした言い方になるかもしれないけれど、
 
結局、被災者がそれぞれの人生計画を立てられるようになることが復興だろうと思っています。口で言うのは簡単でも、実現するのは難しい。

 ただ、相馬市では、被災した翌朝3時に大方針を作ったんです。直後にやらなければならないことと、復興に向けて今からやらなければならないことを1枚の紙にまとめて、
 
誰でも分かるようにした。だいたいレールを敷いたので、その線に沿って突き進むだけです。

全文はこちら
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