☆戦場であまりに辛く酷い体験を受けたり、与えた人は、生きて帰っても家族にもその体験を話さないことが普通らしい。
しかし今、全国各地の80歳以上の徴兵された従軍兵たちが、自分の個としての体験を黙ったままで墓に入るのは止めようと言う気持ちになって、文章に残しだした。
以下のケースは本人ではないが、残された奥さんが夫の生きた証しを伝えようとしている。
亡夫の出征記録ホームページで 高砂の82歳女性 (2011/06/16 17:00) 神戸新聞
夫の遺品の資料を並べ、パソコンに向かう横川貞子さん=高砂市伊保崎 戦争の悲惨さを後世に伝えたい‐。出征した戦場の記録に精魂を傾けた夫の遺志を継ぎ、82歳の妻がホームページ(HP)を開設した。
高砂市米田町米田新の横川(よこがわ)貞子さんの「追憶 慟哭と憧憬のなかで」。パソコン教室で学んだのをきっかけに、夫と戦友らの思いを発信している。(大城周子)
夫の正明さんは神出村(現・神戸市西区)に生まれ、1941(昭和16)年に召集。陸軍の工兵として中国や南方戦線で橋や道路を造り、陣地を築いた。
46年に復員し、結婚後、高砂へ。2007年に86歳で亡くなるまで、戦友会の会誌編集や戦争体験記の出版など精力的に活動した。
貞子さんは3年前、家族の勧めでパソコン教室に通いだした。そして、正明さんの著書や資料を見た教室の指導者、中原章さん=神戸市垂水区=に進言され、
ホームページ開設への挑戦を決めた。
「ホームページって何ですの? というところから始まった」と貞子さん。自宅に山積みされていた資料を基に週2~3回、中原さんと二人三脚で作業を重ねた。
ローマ字が苦手なため、かなで入力し、約30万字を打ち込んだ。
工兵第17連隊での体験記▽戦地の日常を描いた戦友らの漫画や短歌▽年表‐の構成で、南太平洋のニューブリテン島のジャングルを約500キロ歩いた「カ号作戦」の記述もある。
弾薬も食糧も尽き、多くの兵士が餓死し、マラリアで倒れた‐。〈戦争の惨めさを徹底して味わった〉。生き延びた者の記憶がインターネット上に刻まれた。
専門用語が多く、複雑な作業にくじけそうになったこともあるが、2人の息子に「おやじやったら諦めない」と励まされ、奮起した。中原さんは「簡単にできることじゃない。
愛する夫への思いが突き動かしたんでしょう」と話す。
貞子さんは「主人に、もっといろんなことを聞いておけばよかった。でも、天国で喜んでくれていると思うわ」と話し、はにかんだ。
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