九条の「伍久楽」という店で久し振りの大椎会の集まりがありました。おいしいハモ会席を食べました。
たまたまこの地区の氏神の祭礼の日で参道には屋台が出ており、シネヌーヴォに映画を観に行ってよく通る商店街が賑わっていました。
ネットから借用の茨住吉神社。
動画で大阪の下町の祭礼の雰囲気をどうぞ。
獅子舞が躍り込んだ大阪市西区九条の「伍久楽」のハモ料理はおいしかった。このあたりは昔日は松島遊郭で鳴らした場所ですから、
吉原などと同じで旨いものを喰わせる店が多くあったのだと思います。
「伍久楽」はその伝統を引き継いでいる店かもしれません。冬はフグ鍋もいいそうです。
ハモシャブは初めて食べました。
この画像は松島料理組合のネームプレートが掲げられている、昭和30年代以前の雰囲気を残す街中に消えていく、もとい、通り過ぎていくだけの大椎会の会員たち。
九条は元々、長田駅で近鉄線と相互乗り入れで奈良と大阪市内をつなぐ地下鉄中央線の駅があり、最近になって神戸と大阪の難波をつなぐ阪神なんば線の駅も
出来たことから人口も増えているようです。
私は九条には映画館のシネヌーヴォに映画を観に行く時の、阪神御影から尼崎で乗換えて九条へのルートで神戸から往復しました。
梅田回り本町乗換で行くより時間も短縮、交通費も安いというありがたいルートです。「伍久楽」へ案内してくれたのは、大椎会の会員で水耕栽培のプロ作田光水さん。
◎ 京阪神交通路線図
阪神なんば線
大阪市営地下鉄中央線
◎松島遊郭とは。(Wikipediaから部分引用)
松島遊廓(まつしまゆうかく)は、明治時代に築かれた遊廓、赤線。通称は「松島新地」。江戸時代の新町遊廓に代わる大阪の新たな遊廓として、
木津川と尻無川 の当時の分流点である寺島(現在の大阪市西区千代崎1丁目・2丁目)に明治に成立した。以後、市電の便もよい松島は歓楽街として繁栄し、
周囲の九条新道も都心有数の商店街として栄えたが、戦争と大空襲でその面影も消えたが、戦後はいわゆる赤線として復活した。同じ松島とよばれているが位置は若干異なり、
現在の西区九条1丁目・本田2丁目が中心となった。しかし1958年の売春防止法施行で名目上は廃止された。
松島」の名の由来は当時そこに樹齢300年とも言われた松の木があり、それが寺島の先(現在の松島公園の北端あたり)にあったことから「松が鼻」と呼ばれていた。
また当時の名前の寺島の一文字ずつを取って「松島」と命名された。(『松島新地誌』松島新地組合・1958年)