阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

揺れるムラサキ山芋の葉っぱのカーテン

2023年07月25日 | 花・草・木・生き物

230724ムラサキ山芋の葉っぱのカーテン

鉢植えのガジュマルの緑が濃い。

1990年ごろ大阪の淀屋橋の花屋で小さな鉢に植わった、高さ10㎝ほどの丸く樹形を整えられていた本当に小さなガジュマルを買った。緑の葉っぱがきれいだったから。

当時、会社の自分の机の上に置いても気にならない大きさだった。

大阪から広島に転勤になってもしばらく淀屋橋の事務所の窓際に置かせてもらっていたが間もなく神戸の自宅に持ち帰った。

 5年前の神戸からの引越しで、地植えしていた木を鉢に移して東京の住まいのベランダに置いているが順調に美しい葉を茂らせている。

   

手前シマトネリコと 奥のステレオスペルマムの鉢植え。ステレオスペルマムは4年ほど前に錦糸町のダイソーで小さな鉢を110円で買った。

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07月24日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年07月25日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

二極化社会になりつつある日本

 ようやく多くの日本人も気が付き始めたが、日本にはかつて存在した中間層なる多数派はすでになく、富裕層とそうでない層に分断された、はっきりとした二極化社会になりつつある。「そうでない層」の代表である羊のようにおとなしい、思考力を失ったサラリーマンたちは、どうせ気づいたとしても「しかたがない」と言い、選挙になっても「ほかに入れる政党がない」とか「野党がだらしがないから」などと独り言を言って既存与党に入れるか、選挙に行かないことで現状を追認する。

それは自分たちが会社の決定や命令には不平不満があったとしてもとにかく従う。従っていれば悪いようにはならない、という会社信仰にもとづく思考といってもよいかもしれない。政策立案側にもそうしたサラリーマンをはじめとした多くの一般国民の諦観を利用しているフシさえ感じられる。

 だが、激しい物価高と相次ぐ増税、社会保障費の引き上げはいくらなんでも「舐めすぎ」だといえないか。誰も声を上げずに黙っているのであれば、結果は厳しい方向にいくのではないか。志のある若くて優秀な層は日本という国に嫌気がさして日本を離れていくだろうし、高齢者と現状追認のサラリーマンがつつがなくこの国で生きていける時間の余裕はもうあまり残されてはいないのである。

今までの「ろくでもない政治」がずっと続いていく

日本は、もう終わっている。もちろん、政治が変われば、少しはマシになる要素もあるだろう。しかし、選挙をしても約5割はもう投票にも行かないのを見てもわかる通り、「半分の日本人は日本をあきらめている」のだ。

若者の多くは選挙に関心すら示すこともないのだが、合理的に考えると彼らの気持ちは理解できる。

「選挙に行ったところでムダ。高齢者のほうが数が多いので相変わらず自民党は勝ち続ける。何も変わらないのはわかっているので選挙に行くだけコスパが悪い。それなら自分だけ資格を取ってキャリアアップする方がまだ可能性がある」

そういう考え方なのだ。もちろん、これだと今までの「ろくでもない政治」がずっと続いていくわけで、彼らも最終的には犠牲になってしまう。

 

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東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年06月21日(火)のブログ ]

2023年07月25日 | 東日本大震災ブログ
 
原発の現場作業員とテロ対策

☆テロ対策を受け持つ国家機関である警察庁の公安部門も、今回の復旧工事では現場作業員の身元調査には目をつぶってきたらしい。

 平時の原子力発電所の現場作業員の大半は、地元の人間だからと電力会社とその下請けに身元チエックを任せてきた。

今回、公安も東電も、厚生労働省という思いがけない方面から、法令順守のチエックが入って戸惑っているだろう。

労働基準監督署が所属する厚生労働省も“原子力村”の一員として、原発現場の労働条件や環境についてはかなり目こぼししてきた。


 しかし福島原発の復旧事故だけは規模と期間からして、もう知らない顔は出来ない。

こういう実態が明らかになったには一部国内メディアの追及も役だっているが、一番大きいのは外国メディアの取材とIAEA(国際原子力機関)の介入というのが悲しい。☆

東電の被曝調査、作業員69人と連絡取れず ずさん管理
2011年6月21日00時44分 朝日新聞

 東京電力福島第一原子力発電所で事故の復旧作業に携わった作業員のうち、東電が69人と連絡がとれず所在不明になっていることが20日、明らかになった。

被曝(ひばく)量を測定するために追跡調査して分かったもので、ずさんな管理態勢を示す結果となった。東電の報告を受け、厚生労働省は作業員を早急に捜すよう指示した。

 東電は事故直後から3月末までに福島第一原発で働いていた調査対象者を3639人と最終的に確定。

このうち3514人の被曝評価を終え厚労省に報告した。しかしまだ125人が残っている。このうち下請け企業の作業員69人と連絡がとれないでいるという。

 厚労省によると、東電が今回の被曝調査のため、下請け企業に対し、作業員を内部被曝の測定に来させるよう求めた。

しかし半数は「該当する従業員は在籍しない」と回答してきた。残りは20日までに回答がなかったという。

連絡先も名前も分からない作業員が30人ほどいることになる。

 厚労省担当者は「情報管理がずさん。これでは作業員の健康管理ができない」と話している。

 経済産業省原子力安全・保安院も身元不明の人間の出入りはテロ対策面で問題があるとし、東電に対して事実確認を求めた。

 同原発では事故が起きる前、放射線管理区域に入る作業員をコンピューターシステムに登録して管理していた。

しかし地震や津波でシステムが壊れ、事故後は作業員のデータについては手書きの台帳で管理しており、本人確認などが甘くなっていた可能性がある。

 一方、東電は同日、同原発の復旧作業で、新たに1人が国が認めている限度の250ミリシーベルトを超える総被曝量だったと発表した。これで限度を上回ったのは計9人。

事故前の限度100ミリシーベルトを超えた作業員も22人増えて計124人となった。

 東電によると、新たに限度超えが分かったのは東電社員の20代男性で、総被曝量の暫定値は335.37ミリシーベルト。

口や鼻から吸い込んだ放射性物質による内部被曝は300.5ミリシーベルト。体調不良などは訴えていない。男性は1~4号機の中央制御室で計器の復旧作業などをしていた。

参考記事

〇原発のテロ対策は十分か?第1部:日本の警備体制を検証する
  こちら

〇驚愕の深層レポート 新たなる公安組織<Ⅰ・S>の全貌 前編
  こちら

〇驚愕の深層レポート 新たなる公安組織<Ⅰ・S>の全貌 後編
  こちら

公安のメディア情報操作なども記述されていて濃い内容だ。

 
自分の意見を言うとKYと決めつける社会

一部引用・・

岩瀬 あと、社会人になり、ビジネススクールに通っているときに驚いたのは、みんな面と向かって、先生にも仲間にも「I disagree(そうは思いません)」と言っていたことです。

それは、すごくいいなと思いました。反対意見を述べるのは決して人格を否定しているわけではないし、物事には複数の視点や意見があっていいんだと学びました。

石黒 「I disagree」のお話を伺っていて、私がスタンフォード・ビジネススクールに通っているときに『インターパーソナル・ダイナミックス』という授業を受けたのを思い出しました。

この授業は、相手の考えを感じるとともに、自分は本音を話すことで、徹底的に深い人間関係を築いていくというものだったのですが、

私はそこで人にはっきり「NO」と言うことを学びました。人間関係は表面的なものでは築けませんから。

でも、日本人は「NO」と言えず、そこを避けて通る傾向がありますよね。

全文は こちら

☆もう古くなったのかも知れないが、KY-空気が読めないーと言う言い方があった。

 みんなと違う意見を出さないように、国をあげて子供をしつけている社会。

歴史的に見れば、それは明治以降のことだ。(ex.“忘れられた日本人”宮本常一)

 NOと言いにくいことが、日常的に体内に沁みついた集団をコントロールするほど上は楽なことはない。

 外国と付き合うと言っても、国と言う抽象語が付き合うわけではない。基本的なベースは個人と個人がどう付き合うかだ。

「お宅の言う事には賛成できませんネン」と言い、相手が「なんで?」と聞き返したら、「かくかくしかじかやから」と返す。

それをご互いやったりとったりしていく。そして「おもろいやっちゃなあ、お宅は」となるかならないかだけだ。

ニコニコもじもじして肯いているだけなら、もうエエワと次の人に付き合いの順番を飛ばされるだけだ。☆

 
 
66年間に出来上がった構造が一夜にして変わるわけはない。

☆ 半澤健市さんのこのシリーズも6回目になった。今回も内村鑑三が関東大震災を体験して表した思いを引用して、半澤さんの思いを書いている。

―先人は「大事件」をどう考えたか(6)―

一部引用・・

東日本大震災の災害は予測不能、想定外事項の連続として立ち現れている。


その規模と性格は「原爆投下」と「本土決戦」(これは現実にならなかった)を凌ぐものであるかも知れない。戦後改革に匹敵する大きな地殻変動、

場合によっては「近代の終焉」も覚悟せねばなるまい。

「存亡の危機」とは大袈裟だという人がいるかも知れぬ。しかし放射性物質汚染の拡大と来るところまできた政治不信ー

人々は政府、政治家、メディアのいずれをも信用しなくなった―と「無音のパニック」が各所に発生している。事態の深刻さに思いを寄せるべきである。

しかし戦後体制を推進してきた権力は決してヤワではない。


「失敗学」学者畑村洋太郎が主宰する東電原発事故調査委は責任追及を目的としないと言った。自民党幹事長の石原伸晃はイタリアが国民投票で反原発を決めたのをみて

「集団ヒステリーだ」と言った。

 スイス、ドイツ、イタリアが原発廃棄を決め、原発大国フランスでも反原発の世論が高まっているのに、この国の二大政党は「原子力発電の廃止」すら打ち出していない。

大手メディアも完全廃止を主張している社説を知らない。

 それどころか「政界・財界・官界・学界・報道界」の統一戦線は総力を挙げて東電存続、原発再建への巻き返しに出てきている。

この国は滅びにいたるまで、「現実主義者の天下」、「愚者の楽園」、「見たくないものは存在しない社会」、「大本営発表の社会」が続くのであろうか。

私は依然として声を失ったままオロオロするばかりである。

全文はこちら

ー先人は「大事件」をどう考えたかーの(1)から(5)はこちら

 
元東京電力社員のインタビュー記事

蓮池透さん 津波 想像したことなかった
2011年6月19日   東京新聞 朝刊

北朝鮮拉致被害者の蓮池薫さん(53)の兄で、元東京電力社員の蓮池透さん(56)が本紙の取材に応じた。

福島第一原発での勤務時に被ばくした経験を持ち、強い放射線にさらされる作業員の健康を心配する一方、原発の「安全神話」を信じ切っていた自分自身にも、悔しさをにじませた。 (菊谷隆文)

 「私は累積で一〇〇ミリシーベルトは被ばくしています」。蓮池さんは硬い表情で語り始めた。

 一九七七年に入社し、初任地が福島第一原発だった。三年半後に本店に異動。再び八七年から二年半、福島第一で働いた。

通算六年間の勤務中、検査で確認した被ばく量は累積で約一〇〇ミリシーベルト。今回の事故に限り二五〇ミリシーベルトに引き上げられる前の緊急作業での上限だ。

 「当時は通常作業しかしていないのに、これだけ被ばくした」。最初の赴任では、3号機の原子炉を制御する設備の保守管理を任された。

十三カ月ごとの定期点検で、炉の内部の計測機器を検査する時などに被ばく。全面マスクと防護服でも、炉心からの強い放射線で被ばくは避けられなかった。

 今は被ばくを極力避けるため、遠隔操作の機械でできる点検が増えたが、約三十年前は、大半が人の手に委ねられていたという。

 今回の事故では、復旧作業に当たった東電社員八人の被ばく量が二五〇ミリシーベルトを超えた。防護マスクが行き渡らず、内部被ばくしたのが原因だ。

「東電は、作業員たちの被ばく管理をしっかりしているのか。特に、放射性物質を体内に取り込む内部被ばくが続出していることが気になる」と語気を強めた。

 内部被ばくは長期間、体内が放射線にさらされる。「東電は内部被ばく防止の徹底と、内部被ばくが多かった人の健康管理を続ける義務がある」と厳しい口調で話した。

 蓮池さんが担当した3号機の原子炉建屋は、水素爆発で屋根が吹き飛んだ。ほぼ骨組みだけとなった姿に「本当に残念だ」とうつむいた。

原発で勤務していたころは「穏やかな海を毎日見て、津波被害を想像したこともなかった」。

 上司には「炉心損傷事故は百万年や一千万年に一回の確率でしか起こらない」と教えられ、そう信じてきた。

「それが一度に三度も起こってしまうとは…。まさに机上の空論だったんですね」。最後に、やるせない表情で悔しさを口にした。


 
 
取り調べの監察部門を新設へ 検察当局
☆元いた職場のことだけに落合弁護士のブログは本当のところが見える。☆

「大阪地検特捜部の不祥事などを受けて、最高検が7月上旬に公表する検察組織改革の全容が16日、分かった。
 
捜査や公判で不正がないか監察する部を新設するほか、外部有識者のチェックや知識を得ながら、検事が学ぶための6分野の「専門委員会」を最高検に設ける。
 
知的障害者が容疑者になった場合の取り調べの録音・録画(可視化)を始めることから、特にこの分野で強化を図るという」。

何もしないよりはマシ、という気はしますが、どこまで実効性があるかは疑問でしょうね。

検事というのは、2000人に満たない、閉鎖的な集団で、仲間意識も強く、不祥事が起きると、本能的に互いにかばい合おうとする傾向が顕著で、
 
そういう習性が、例の大阪地検特捜部における事件を生む背景にもなっています。そういった土壌の中に、取ってつけたような「監察部門」を設けても
 
かばい合いや隠ぺいが洗練されたものになる程度で終わってしまう可能性が高いでしょう。

元々、司法研修所での、検事任官者の選抜時点から、思考の浅い、体育会的な人物が好まれ、色々な物事に、疑問を持ち学びつつ取り組む、
 
という土壌も乏しいので、上記のような専門委員会を作っても、馬耳東風状態になって、有名無実になってしまう可能性が高いのではないかと思います。

こういうことをやっています、頑張っていますという、世間向けのアピール、アリバイ作りと見るべきでしょう。

引用元
 
 
 
元検事の弁護士・落合洋司の検察の分析
☆長い論考だが、検察の歴史と現状の分析、今後のあるべき姿に対する提言は基本的な知識になる。資料として全文を引用する。
 
☆第1 終戦までの検察及び終戦後の組織改編

1 終戦まで

 終戦までは、検察庁という独立した組織はなく、「検事局」が各裁判所に付置され(当時の裁判所構成法に基づく、現在の裁判所法)、
 
検事は、判事(裁判官)とともに「司法官」として、司法省の下にあり、検事と判事は、任命資格が共通であり(高等文官試験司法科に合格後、司法官試補を経て任官)、
 
俸給についても共通の俸給表に基づいて昇給し、相互の人事交流も頻繁に行われていた。

2 終戦後

 終戦後、上記のような制度は大きく改革され、検察庁法(昭和22年制定・公布)に基づき、最高検察庁(その長が検事総長)を頂点とする独立した組織になり、
 
検察庁は法務省に属しつつも、単なる外局ではなく、「特別の機関」として位置づけられた。

第2 現行の検察制度の特徴

1 政治からの独立

 検察庁法14条により、法務大臣は、個々の事件については検事総長を具体的に指揮できるのみで、他の検察官に対する具体的指揮権を有しない。
 
司法権に密接に関連する検察権行使が政治による不当な影響を受けないための規定とされている。
 
戦後、この具体的指揮権が発動されたことは、1回しかないと言われている(昭和29年の造船疑獄事件の際の、佐藤栄作自由党幹事長の逮捕見合わせ)。

2 最高検察庁を頂点とする組織でありキャリアシステムが採用されていること

 諸外国では、検察官を選挙により選出する制度を採用する場合もあるが(アメリカの地方検事)、
 
日本では、最高検察庁を頂点とする検察組織が検察権を統一的に行使する制度が採用され、検察官(検事及び副検事)についても、
 
検事は司法試験に合格し司法修習を終了した者が任命され基本的には定年ないしその間際まで勤め上げるキャリアシステムになっている
 
副検事は組織内部から任用試験を経て任命されることが多い)。

3 公訴権の独占

 刑事事件について公訴を行うかどうかを決定する権限を、基本的に独占している。例外は、

a 公務員による職権濫用事件等につき裁判所の決定により裁判が開始される付審判事件

b 検察審査会の2回の起訴相当議決により起訴される事件

があり、特に、最近はbが注目されている。

第3 戦後の検察庁において特捜部が花形の地位を占めるに至った経緯

1 戦前から昭和30年代前半にかけて

 戦前には、「思想検事」、「経済検事」といった検事がいて、思想検事は、治安維持法違反事件等の思想事件(現在の公安事件)を取り扱い、
経済検事は経済事件(現在の特捜事件)を取り扱っていた。

 戦後、思想検事の多くが公職追放になり、その一方で、昭和22年、東京地検で特捜部の前身である隠匿退蔵物資事件捜査部が発足し、
 
その後、特捜部となって、昭和29年の造船疑獄事件で一躍脚光を浴び、昭和30年代前半までは、「公安検事」対「特捜検事」といった派閥抗争があったと言われている。

 それが顕在化したのが、昭和32年から昭和33年にかけての売春汚職事件で、ある政治家に対する誤報を掲載した全国紙の記者が名誉毀損罪により
東京高検に逮捕されるという事件が起き、これは、後日、捜査情報の流出元をあぶり出すため検察庁から法務省に意図的に報告されたガセネタが、特捜検事系の法務省幹部により提供され、公安検事系の勢力が追い落としを図って立件したことが明らかになっている。

 その後、検察庁内で、特捜検事と公安検事の宥和が、人事上も図られるようになり、熾烈な派閥抗争は次第に沈静化し、派閥も解消されたと言われている。

2 昭和の終わり頃まで

 終戦直後のメーデー事件等、昭和20年代には、戦後の混乱を背景とした数々の公安事件が発生し、その後も、60年安保、70年安保など、大衆による大規模街頭事件が頻発し
 
公安検察は存在感を維持するとともに、主として公安畑を歩む公安検事がエリートとして存在していた。その一方、特捜検察も、ロッキード事件等、数々の著名事件を手掛け、
 
検察庁における現場派(それに対するものとしては本省派、いわゆる「赤レンガ」)は、特捜検事か公安検事のいずれかのコースを歩む、というパターンが多かった。

3 昭和の終わり頃から現在まで

 昭和の終わりから平成初めにかけての頃より、東西冷戦構造が徐々に崩壊し、それに伴い、左翼勢力(特に警備・公安当局が極左と位置付けていた勢力)
 
により起こされていた大衆による街頭事件、テロ・ゲリラ事件等が次第に影をひそめ、公安事件が激減するに至った。
 
そういった状況の中、東京地検公安部も、平成7年から平成8年にかけては、オウム真理教関連事件で一定の存在感を示したものの、
 
公安事件に専従する体制が変更され薬物事件や組織犯罪等を取り扱うようになり、全国の各地検の公安部も特別刑事部に改編されて
公安検察の地盤沈下、特捜検察への優秀な人材の集中が進み、検察組織内における特捜部の優位が確立した。

4 問題点

 上記のような、検察組織内における特捜部の優位確立には、実は、大きな問題が潜んでいた。
 
公安捜査では、捜査対象が左翼、右翼といった人々で、特に左翼関係者は権力と厳しく対立する姿勢を露わにし、
 
捜査においても刑事訴訟法を忠実に守りつつ進めるべき場面が多かった。それに対し、特捜捜査では、捜査対象がいわゆるホワイトカラーで社会的地位が高い場合が多く
 
経済人であるため公安事件のような思想性はない上、立件、起訴のために関係者の具体的、詳細な供述を要するため、無理に供述を求める傾向が昔から存在した。
 
公安検事は、そういった特捜検事の手法には批判的な感覚を持ち、組織内で、一定のけん制、抑制を働かせる勢力という側面があったが、特捜検察の優位が確立する中で、
そういったけん制、抑制が働かなくなったという面はある。

 また、特捜部的な捜査手法が、その問題点がおざなりにされたまま、過度に組織内に蔓延し、若手検事は特捜部配属を夢見て、
そういった捜査手法に疑問を持つことなく染まっていったという面もあった。

第4 検察の威信が失われるようになった経緯

1 検察の威信を支えていたもの

 日本の刑事司法は検察官司法である、と言われるほど、従来、検察の力には強力なものがあったが、それを支えていたものは、

a 公訴権を独占しつつ、警察送致事件では警察捜査を補充する捜査を徹底して行い、また、独自捜査事件(特捜事件)では捜査当初から徹底した捜査を行って、
 
密室での長時間の取調べにより、供述調書(検察官面前調書、公判で供述者が食い違う証言をした際、
従来はほとんどの場合に証拠能力が認められ有罪認定に絶大な影響を与えていた)を綿密に作成していた

b 上記のような捜査に下、有罪獲得が確実な事件しか起訴しないという方針で起訴、不起訴を決定したため、裁判所による検察捜査に対する強い信頼を獲得し、極めて高い有罪率を維持できた

b ロッキード事件等により、「政治に強い」「巨悪に立ち向かう」検察というイメージを確立し、国民の大きな信頼を勝ち得て、捜査・公判を優位の中で進めやすい環境ができた

といった事情であったと思われる。

2 上記のような事情の変化

 しかしながら、aについては、内偵捜査に基づいて事件のストーリーを想定し、想定したストーリーに沿って関係者を取調べ、供述調書を切り取るようにして作成するという、
 
特捜部型(知能犯型)の捜査手法が過度に蔓延したことや、国民の権利意識が高まり昔なら得られたような供述もなかなか得られなくなる中、立件、起訴を焦るあまり、
 
違法・不当な取調べに走り、強引に、無理な供述調書を作成するということが頻繁に行われるようになって、
 
検察官調書に強い疑問が呈されて無罪となる事件が徐々に増えてくるようになった。裁判員裁判が開始されたことで、
 
詳細な供述調書を読み込んでの心証形成ができない裁判員のため、供述調書に依存せず公判での証言で立証すべき場面が増えたことも、検察官調書の影響力低下へとつながった。

bについても、そのような状況の中、裁判所も検察捜査に懐疑的な見方をする傾向が強まり、近時、無罪判決が増加する傾向が顕著となっている。

cについては、平成8年に行われた住宅金融専門会社(いわゆる住専)に対する捜査の頃から、「国策捜査」が問題になるようになり、平成10年代に入って、
 
捜査対象となった関係者から、次々と、検察庁(特に特捜部)の、まずストーリーありき、といった偏頗な捜査に対する強い批判が加えられるようになって
 
、無罪事件の増加等の状況も相まって、国民が、次第に検察に対し懐疑の目を向けるようになってきた。

 そういった状況の中で起きたのが、平成22年に大きく問題になった大阪地検特捜部の問題であった。

第5 大阪地検特捜部事件に現れた検察の問題点

 既に、様々な指摘がされているが、以下のような点が特に問題であろう。

1 捜査手法の行き詰まり、破綻

 郵便法違反事件に端を発し、厚労省局長も共犯とする有印公文書偽造等事件の立件、起訴にまで至ったものであるが、郵便法違反事件の捜査当時から、
 
政界、官界への捜査進展が過度、過剰に目指されていたことが明らかになっている上、政界捜査が不発に終わったため、せめて官界へと功を焦った結果、
 
描いたストーリーが、重要な証拠物であるフロッピーの内容と食い違ってしまったため、主任検事がフロッピーを改ざんするという「禁じ手」まで犯すという、
 
本末転倒したことまで行ってしまっている。

 また、描いたストーリーに供述を合わせるため、密室で、長時間にわたり、怒鳴る、机をたたく、
 
暴言を吐くなどの手法でストーリーに沿った供述調書作成が強要されることが常態化していた(そのようにして作成された供述調書の多くが、公判で証拠能力を否定された)。

 近時、「取調べの可視化」(取調べ状況の録画・録音)が、諸外国で進み、日本でも導入が強く提唱されている状況にあるが、取調べの可視化の必要性を、検察捜査が露呈する結果となった。

2 誤りが是正されず暴走に暴走を重ねる

 上記のような行き詰まり、破綻は、主任検事による証拠改ざん前の時点で既に明らかになっていたにもかかわらず、
 
主任検事は、それを隠して上司や上級庁の決裁を得て、起訴に踏み切っており、チェック機能は何ら働いていない。証拠改ざん後、
 
程なく、同僚検事が証拠改ざんを知ったが、その後の数か月間、上司へも報告されなかった。公判前整理手続が進む中で、大阪地検内部で問題が顕在化したが、
 
証拠改ざんの重大性やストーリーの破綻に率直に目を向けることはされず、公訴取消による被告人の早期救済が検討されることもなく、
 
ストーリーに固執した主張、立証が漫然と継続され、結局、無罪判決となった。

3 人の劣化や隠ぺい体質

 上記のような、証拠改ざん、同僚検事による放置、実態に即した適切な対応が講じられていないこと(特捜部長、副部長による犯人隠避行為があったかどうかには現時点で争いがあるが、
 
主任検事による証拠改ざんを徹底的に解明せず公判への影響はないとしたこと自体が極めて不適切であろう)に見られる、
 
人の劣化や隠ぺい体質(その背景には、限られた人々が、いわゆる「関西検察」として狭い範囲で異動を繰り返すことがある、という指摘もあるが、
そのように矮小化はできないであろう)には、大阪地検特捜部特有の問題とは思えない、検察組織全体に通じるものが強く感じられる。

第6 これからの検察の在り方

 以上のような事情を踏まえ、これからの検察の在り方について考えてみる。

1 過度、過剰な特捜部優位状態の是正

 特捜部の存在意義は中央政界、官界の腐敗防止にあり贈収賄事件の摘発が特捜部に課せられた使命であると、検察庁内では長く信じられ、
 
今なおそういった意識、感覚を根強く持つ特捜部関係者は多い。そこには、ロッキード事件で元首相まで逮捕、起訴したという、巨悪に立ち向かう検察というイメージ(幻想)がある。

 しかし、その後の政治情勢の変化や政治資金制度の変化(規制の厳格化)により、贈収賄で立件できる案件をなかなか見出しがたくなり、
 
最近では、かつては顧みられることもなかった政治資金規正法違反といった案件まで、特捜部が総力を挙げて取り組むといった状況も生じている。

 かつては、5年、10年と特捜部に在籍する検事もいたが、最近は、1年、2年程度の在籍で異動する検事が多く(幹部も同様)、
 
勢い、在籍中に目に見える結果を出したいと、功を焦る傾向が顕著で、そういった状態は、無理な捜査、立件へとつながりやすい。

 特捜部が取り扱うような、警察捜査では対応が困難なスペシャルな案件が存在するのは事実で、特捜部が担ってきた機能を消滅させる必要はないが、
 
現在のような、過度、過剰な特捜部優位状態は異常であり、例えば、裁判員裁判、公安事件を取り扱うセクションに統合し、
 
特捜部として無理に結果を出そうとする弊害を是正することも真剣に考慮される必要がある。

2 取調べの可視化

 密室での、長時間にわたる取調べの結果、内容に問題がある供述調書が作成され冤罪、誤判につながる危険性は繰り返し指摘され、
 
今や、取調べの可視化を導入することは急務と言っても過言ではない。

 ただ、従来の捜査における真相解明が、時間をかけた取調べの中で人間関係を築きつつ具体的、詳細な供述を得ることに大きく依存してきた面もあり、
 
取調べの可視化によりそういった機能が従来より低下すれば、刑事司法全体としての真相解明機能が低下する恐れはある。

 そういった点への対応のため、諸外国で導入されているような、刑事免責、司法取引等の新たな捜査手法の導入も、取調べの可視化を導入する際には避けては通れないであろう。

3 捜査手法の改革・捜査の司法化

 戦前の旧刑事訴訟法では、予審という制度があり、検察官による捜査の後、予審判事が予審を行い公判に付すべきかどうかを審査する制度があった。
 
現在でも、諸外国で、予審や予備審問といった制度が導入されている場合が少なくない。

 戦後の現行刑事訴訟法下で、予審は廃止され、予審判事が持っていた機能のうち、取調べ権限は捜査機関へ移譲され、起訴すべきかどうかを決する権限は検察官が独占し、
 
裁判所には、強制捜査につき令状審査を行うことで抑制する(令状主義)という機能が残った。

 このように、取調べや起訴権限自体が非司法化されて現在に至っているが、黙秘権を保障しつつ真相を解明するためには、取調べ、起訴にも、
 
一定の範囲内で司法化する部分を生じさせ、裁判所の関与の下、適正な手続の中で供述を得た上で起訴、不起訴を決するという仕組も検討されるべきであろう。

 検察庁による独自捜査では、警察捜査(検察官がチェックする)と異なり、チェック機能が働かないことが、
 
特に大阪地検特捜部事件を通じて強く指摘されるようになっているが、まずは検察庁による独自捜査事件から、上記のような措置を講じてみるというのも1つの方法であろう。

第7 おわりに

 一国の刑事司法の在り方は、その国の国民生活に大きく影響する。刑事司法制度が、一旦、劣化した場合、それを立て直すことには多大な時間と労力を要し、
 
その過程で国民が苦しむことになる。

 その意味で、政治が果たすべき、期待される役割には大きなものがある、ということを、最後に指摘しておきたい。

以上
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