阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

「後期高齢者」が「幸期幸齢者」と思えることの一つに、自分が面白いと思う本だけを読めることがある。

2023年07月11日 | 乱読は楽しい

現在図書館から借り出している本。

 考えたらそれぞれ著者とは どの方もこちらからの一方的なお付き合いだが、その期間には長い年数がある。

もはや会社勤めで読んでおいた方がいいとか、ビジネス書のベストセラーとかの世界とは全く縁が切れて20数年たつ。

 「幸期幸齢者」のタームはこちらからお借りしました。

 

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07月10日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年07月11日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

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東日本大震災が起こった後「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリーから   [ 2011年06月07日(火)のブログ ]

2023年07月11日 | 東日本大震災ブログ
 
河北新報の苦難の震災報道の日々

☆こんどの大震災が起こる前は、仙台にある河北新報や岩手や福島の地元紙である岩手日報、福島民友新聞などその存在すらしらなかった。

それは東日本在住の方々が兵庫県には、神戸新聞という読売新聞や朝日新聞よりも、宅配の購読者が多いローカル新聞があることをご存じないのと同じだ。

今回、私は共同通信と47社の加盟新聞社のサイト「47NEWS」で、これらのローカル新聞の記事を読むことで、大手新聞やテレビが電話取材しかやらない中、

いろんな事実や現地情報を知ることが出来た。

地元密着新聞には常に2面性がある。

 新聞資本が地元のエスタブリシュメントのものであり、そのためその都市を仕切っている旦那衆の勢力に対抗できないことが多々あることだ。

もう一面は、本社在京記者クラブ系大手新聞社の駐在記者が、いつ東京本社へ戻れるかとそればかり気にして、地元に密着する努力を怠る中で、

自分がその土地の生活者であるという立ち位置と目線で取材した記事を書いていることだ。

この路線をいくことで地方紙は確かにネット時代にも生き残る可能性があると思う。☆

「被災地のメディアだからこそできることがある」河北新報社・佐藤和文メディア局長インタビュー

一部引用・・

「自分達の地域が大変なことになった」という意識

―河北新報社では、震災時はどのように取材されていたんでしょうか?

佐藤:今回の震災の場合は、まず電気・インターネットが停まってましたから、記者が取材に行っても現地から記事を送れないんです。ネット社会ではあり得ないことが起きたわけです。

 それが福島、宮城、岩手、青森と広大な地域で起きたわけです。我々の支局も販売店も流されて、亡くなった方もいますし。

そういう中で、本社や総局を拠点に取材活動をするんですが、仙台の本社から毎朝何時にバスを出すということで、本社から記者を乗っけて目的地まで行って

、夕方に迎えに行って、夜に本社で原稿を出すということをやっていました。そういう活動を1~2カ月続けてやるわけですよね。

彼らは私同様、仙台市内に住まいがあるので、ある意味、被災者なんですね。身の危険を冒して仕事をしているわけです。
 
 私も新聞社の中でネットやっているので、ネット社会の中でメディアに対してどんな風に批判られているのかをよく知っています。

「ジャーナリズムなんか、別に新聞社じゃなくてもできるんだ。個人でもできるんだ」と。

それは私もそう思いますが、今回の震災のように非常にシビアな状況になったとき、「取材者として向き合うパワーが私達の社会のどこにあるのか?」と考えてしまうんです。

すると、新聞批判はいろいろありますが、やはり新聞社の役割はあると思っています。弊社の場合は、百年間も東北地方に向き合って仕事をしてきているわけで、

「自分達の地域が大変なことになった」という意識があるんですよ。だからこそ、毎日、記者が泥だらけになって現場を歩くわけです。

こういうことを日本のジャーナリズムでやれる集団って、他にはそんなにはないだろうな、と思っています。

全文はこちら

 
6月6日にクリップした記事
 
〇生きることに意味はないが甲斐はある「それでも人生にイエスと言う」 
 
  こちら

〇じつはもっとヤバイ。使用済核燃料プールの問題 こちら

〇「子供を放射能から守れ」 全国に広がる母の願い こちら

〇横浜市資源循環局・金沢工場を訪問 こちら

〇国旗問題再論 内田樹 こちら

〇「冬の兵士」とウィキリークスがあらわにする戦争の姿 こちら

〇IT屋の見る国民総背番号制度  こちら

〇IT業界ではなぜ「うつ病」が多いのか過酷な労働で衰弱していく技術者たち 

 こちら

〇平成23年原子力事故による被害に係わる緊急措置に関する法律案
 
 こちら

〇科学者の日記110605 今、もっとも重要なこと こちら
 

紙一重の合憲。君が代最高裁判決。

☆3人の裁判官の長文の補足意見を読むと、新聞で報道された見出しとは別の意図を含んでいるという論考。

この判決についての論評はこれから月刊誌にはいくつか出るだろうが、鳥の目と虫の目で見たこの論考には重要な内容がある。☆

一部引用・・

注目されるのは、3 人の裁判官の長大な補足意見が付いたことである。最高裁のホームページからダウンロードしたPDFファイルで全32頁(12454字)。

そのうち判決本体の法廷意見は7頁半(5448字)だが、3人の補足意見が23頁(18527字)にもなる。実に判決の77%が補足意見で占められている。

憲法判断を行う大法廷で反対意見や補足意見が多く付くことはあるが、小法廷で8割近くが補足意見というのも珍しい。

まず、3人とも共通して、個人の歴史観・世界観が内心にとどまる限り、絶対的な保障を受けることを確認している。

問題は、それが「外部的行動」となったときの評価である。竹内行夫裁判官は、「外部的行動に対する制限を介して、

結果として、歴史観ないし世界観について間接的な制約になることはあり得る」として、本件がそれにあたるとする。

 その上で、起立斉唱行為が本人の歴史観等と一体不可分なものとは言えないから制約できるというアプローチ(前述のピアノ伴奏拒否事件最高裁判決の多数意見)は採らないと断言する。

竹内裁判官は、人の歴史観等と外部的行動との関連性の程度もまた、個人の内心の領域に属するから、

それを一般的に決めることはできず、それをやれば「個人の内心に立ち入った恣意的な判断となる危険」があるとする。

つまり、本件起立拒否が本人の歴史観等と「不可分一体なものではない」と簡単に決めつけてはいけないというのである。

それゆえに、「間接的制約」となる「外部的行動」への制限は、「思想及び良心の自由についての事実上の影響を最小限にとどめるように慎重な配慮」が必要であり

、制約の必要性・合理性の審査にあたっても「特に慎重な較量」が求められるとしている。イラク戦争時の小泉内閣の外務事務次官だが、裁判官としての議論の仕方は誠実である。

全文はこちら

 
 

60歳以上の原発現場応援隊(福島原発暴発阻止行動隊)がニコニコ動画に呼ばれた。

動画はこちら

目的や活動の現況などを5人のメンバーが質問に答えて話します。

注)ニコニコ動画の会員のみ視聴可能かも知れませんがクリックして試してみてください。
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映画監督「大林宣彦」の言葉から 「戦争を止めるのは正義ではなくて 人間の正気。」

2023年07月11日 | 乱読は楽しい

森泉岳士 著  『ぼくの大林宣彦クロニクル』から

「僕がつくったものはまだ映画じゃありません。それがみなさんの心のスクリーンに映ったときにはじめて映画になるんです。

映画とは対話です。みなさんがいるから僕がいる。映画というのはリアクションなんです」

「この映画は記録じゃなくて記憶です。記録だと目をそむけたくなるから。そういった写実的な記録ではなくて、芸術的な記憶であれば、人は忘れない。

それがピカソが『ゲルニカ』でやったことです」

戦争を止めるには、戦争とおなじくらいの力がいるんだよ。

それは正義じゃなくて、人間の正気。

もしも政治家や経済人が正義を叫んだら疑ったほうがいい

正義じゃなくて正気を求める。それが表現者のやることなの」

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