阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

近くの図書館で 孫が絵本展に出した絵をみてきました。

2022年08月19日 | 身辺あれこれ

兄妹が参加した「読んだ絵本の表紙絵を描く」展の絵が図書館に掲示されていました。参加者の画は全員が掲載されます。

 

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阪神御影のレストラン“瑠美”でランチにしました。     + 詩人 八木重吉の詩。  10年前の今日 2012年8月19日の本ブログに掲載

2022年08月19日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

13日、お寺に盆参りをしたあと、阪神御影に向かいました。「御影クラッセ」とパンの「ケルン」で買い物をして、西洋食堂“瑠美”で
昼食をとりました。私は『チキンキエフ』↑をオーダー。皿が置かれるとガーリックの香りが立ち上ってきました。
本日のスープはグリーンピースのスープでした。おいしい。


エビフライカレーを相方は頼みました。この店のエビフライは目玉メニューでどんな料理にも一つ250円でサイドオーダーも出来ます。

カレーは野菜だけのとろみを感じ、スパイスの香りが効いていておいしかったそうです。
 暖かいパンも冷たいサラダも適温で今回も満足して店を出ました。




2012.08.12 ~ 2012.08.18
閲覧記事数:   13022 PV
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2012年5月26日掲載のエントリーから一部引用⇒

何の気なしに箸袋を見て驚きました。ビルの名前が「御影師範ビル」なのです。このビルは建て替えはあったのでしょうが
隣接地に「御影師範」があったときからのビルなのかも知れません。御影師範は大正時代、詩人の八木重吉が 先生をしていました。

客の回転に合わせてホール係の女性二人もキビキビと動き、気持ちがいい。
久しぶりのエビフライはさすがの味で、たくさんの客がオーダーしているのも納得。ミンチカツも更なり!でした。
そして嬉しいのは焼きたてのパンの旨さとスープの旨さです。


神戸に住む幸せの一つにどんな洋食屋さんでもうまいパンをサーブしてくれることがあります。

パンとケーキが普通の値段でも、どこの店でも味は一定以上のレベルというのは神戸のありがたいところです。

☆Wikipediaから一部引用

八木 重吉(やぎ じゅうきち、1898年2月9日 - 1927年10月26日)は日本の詩人。

「東京府南多摩郡堺村(現在の東京都町田市)に生まれる。神奈川県師範学校(現・横浜国立大学)を経て、東京高等師範学校の英語科を1921年に卒業。

兵庫県の御影師範学校(現・神戸大学)、次いで1925年から千葉県の柏東葛中学校(現・千葉県立東葛飾高等学校)で英語教員を務めた。

神奈川県師範学校在学時より教会に通いだすようになり、1919年には駒込基督会において富永徳磨牧師から洗礼を受けた。1921年に将来の妻となる島田とみと出会う。

この頃より短歌や詩を書き始め、翌年に結婚した後は詩作に精力的に打ち込んだ。1923年のはじめから6月までにかけて、自家製の詩集を十数冊編むほどの多作ぶりであり、

1925年には、刊行詩集としては初となる『秋の瞳』を刊行した。

同年、佐藤惣之助が主催する「詩之家」の同人となる。この頃から雑誌や新聞に詩を発表するようになったが、翌年には体調を崩し結核と診断される。

茅ヶ崎で療養生活に入り、病臥のなかで第2詩集『貧しき信徒』を制作したものの、出版物を見ることなく、翌年、29歳で亡くなった。

5年ほどの短い詩作生活の間に書かれた詩篇は、2000を優に超える。」


   太陽

 太陽をひとつふところへいれてゐたい
 
 てのひらへのせてみたり
 
 ころがしてみたり
 
 腹がたったら投げつけたりしたい
 
 まるくなって
 
 あかくなって落ちてゆくのをみてゐたら
 
 太陽がひとつほしくなった

    雨

 雨のおとがきこえる

 雨がふっていたのだ

 あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう

 雨があがるようにしづかに死んでゆこう

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現生人類は7万年前にわずか2000人に減少

2022年08月19日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2009年06月09日「阿智胡地亭の非日乗」掲載

人類は7万年前に絶滅寸前、全世界でわずか2000人    引用元

2008/4/25 17:54 -

人類は7万年前に絶滅寸前の状態にまで追い込まれていたことが24日、イスラエルと米国の研究者を中心とする国際研究グループが

米学術専門誌「American Journal of Human Genetics」に発表した論文により明らかとなった。

 米ナショナルジオグラフィック協会などの複数の研究機関が中心となって主導されてきた「ジェノグラフィック計画(Genographic Project)」という遺伝学的に

人類の足跡を時系列的に遡って調査していこうとする研究プロジェクトの成果として、今回、研究発表が行われたものとなる。

◎ 自分が今ここに居て、パソコンのキーボードを叩いているという事は、その当時のわずか2000人の現生人類から、一度も途切れず自分まで生命がつながってきたと言う事らしい。

「それが何か?」とも思えるし、「やっぱり人類、増えすぎと違うん」とも思えるし・・・。

 かって地球上に存在した脊椎動物の中で、一つの種の個体数が66億を越えたのは初めてのことらしい。

大昔、地球上をのし歩いていた、あの大型の恐竜たちも種としては凡そ6千5百万年前に絶滅して(鳥類に変化して生き延びたが)、

いま化石として掘り出され博物館に展示されている。いずれ将来、このまま数が増えすぎると、現生人類もウイルスの蔓延かなにかで滅び、

生き延びたゴキブリが作る博物館に化石として展示されるのかも。

 ジェノグラフィック計画ではミトコンドリアDNAを用いることにより世界中の人類の母方の祖先の遺伝子を個別に追跡。

その結果、現在の人類は20万年前にアフリカに住んでいた「ミトコンドリア・イブ(mitochondrial Eve)」と呼ばれる1人の女性に起源をもつこと、

人類は6万年前にアフリカから世界各地に散らばる旅にでることにより多様性を獲得し、現在に至る隆盛の基礎を築いたことなどが判ってきたが、

20万年前の「ミトコンドリア・イブ」の起源から6万年前にアフリカから旅に出るまでの間にアフリカで起きた人類の歴史に関してはほとんどなにも判っていなかった。

 今回、ジェノグラフィック計画で新たに明らかとなったのは、20万年前の「ミトコンドリア・イブ」以降の人類がアフリカで辿った歴史の道筋となる。

 イスラエル、テルアビブ大学のドロン・ベハール博士とIBMのワトソン研究所のシャハロン・ロゼット博士を中心とする研究グループは

ジェノグラフィック計画で集められたミトコンドリアDNAを更に詳細に分析を行うことによりアフリカ南部に住むコーイサン族(Khoi-san)が

15万年~9万年前に別の種族から遺伝子的に分離していたことを発見し、遺伝子的に初期の人類がアフリカ大陸内で

どのような移動を繰り広げていたのかを詳細に明らかにすることに成功した。

 アフリカ東部では13万5000年~9万年前に干ばつに襲われたことがこれまでの調査で明らかとなっており、研究グループでは人類はこの干ばつの結果、

人数的に少ない集団に分離することを余儀なくされ、少数の集団に分離した人類は7万年前には絶滅寸前の状態にまで個体数が激減。

しかし、絶滅の危機をなんとか生き残った人類は再び集団を作り、他の大陸への移住を試みることで人口は拡大し、現在に至る繁栄の基礎を作ったと推論している。

 今日の人類の人口は66億7000万人にも及んでいるが、研究グループでは、これまでの研究成果を総合すると人類は「ミトコンドリア・イブ」を

含む数百名の集団を起源にアフリカ内で拡大を進めたが、15万年~9万年前に別の種族に分岐した後は気象変動のため人口は減少し、

7万年前には一時、約2000人未満の集団にまで減少したのではないかと述べている。

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8月18日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年08月19日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文のサイトに飛びます。

【ソウル共同】ソウル中心部で18日、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の日本人信者らが、日本での旧統一教会を巡る報道が偏向的だと抗議する大規模デモを行った。

警察関係者によると、約3500人が参加。合同結婚で韓国に嫁いだ日本人女性が中心で、韓国各地から集まった。

 朝鮮時代の王宮でソウルの観光名所である景福宮前での集会では、安倍晋三元首相を追悼する祈りも行った。

参加者は、安倍氏の銃撃事件後、旧統一教会が日本で「社会的魔女として追い立てられている」などと主張。

「歪曲報道、宗教弾圧を中断しろ」とのシュプレヒコールを繰り返した。

 

 

 

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ムラサキ山芋の葉っぱのカーテンは猛暑の中でますます元気です。月下美人に新しい花芽がついた。

2022年08月18日 | 花・草・木・生き物

もう一つの窓側にも芋を植えた鉢を置いたらツルが伸びてカーテンになりました。

月下美人の新しい花芽

シマトネリコが元気になった。

ガジュマルは   大阪の淀屋橋のオフィス街にあった花屋で 10㎝ほどのミニ鉢を買って30年ほどになる。

ステレオスペルマム・レモンライム(センダンキササゲ) 

 錦糸町のダイソーで110円払って買った鉢がここまで大きくなるとは想像だにしなかった。

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バスで神戸の元町へ出て「与勇輝」さんの人形展を見て そして夜は神戸駅近くの居酒屋「みまき」に   11年前の今日 2011年8月18日の本ブログに掲載

2022年08月18日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

元町の大丸へ「与勇輝」さんの人形展を見に行きました。
   

家から十数分のちょっと離れたバス停から中突堤行きのバスが一時間に一本出ています。

これに乗ると、灘区の一番東端から元町の大丸横まで45分の楽しいバス旅行が出来るので

急がない時に時々利用します。

見終わってから某所で軽く飲んで、JR神戸駅近くの居酒屋へ足を伸ばしました。

元々は卸し市場で青物を担当していたという大将の仕入れは確かで、どの注文品も居酒屋の概念を越えるものでした。

同行の鹿児島県人安田さんは 夫婦共に鹿児島県人の店の人との会話に盛り上がっていました。

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「育ち順調」 諏訪湖のワカサギ 地元漁協が試し取り           信濃毎日

2022年08月18日 | 諏訪便り

諏訪湖漁協(諏訪市)は8日、9月にワカサギ投網漁が解禁されるのを前に、成育状況を確認するための試し取りをした。

漁師8人が午前5~6時に出漁し、計約16キロを水揚げした。卵の放流量を増やした影響などでワカサギは順調に成長しているとみて、資源量の回復を期待した。

 この日取れたワカサギの大きさは1年魚が6センチほど、2年魚が12センチほど。

餌となるプランクトンが豊富とみられ、同漁協の武居薫組合長(71)は「脂が乗っていて育ちは順調」と話した。

 同漁協は昨年、ワカサギの採卵がほとんどできず、資源保護のため投網漁の期間を短縮。今年の卵の放流量は昨年の3倍近くに増やしていた。

 県水産試験場諏訪支場(下諏訪町)が諏訪湖で毎年行っている稚魚の生息数調査で、今年春は昨年よりも個体数が6・5倍に増加。

同支場も資源量が回復しつつあるとみている。武居組合長は、9月の漁解禁後は「(採卵できる)魚を残すにはどうしたらいいか、漁や湖の状況を見て考えていく」と話した。

 
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8月17日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年08月18日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文のサイトに飛びます。

 

 東京新聞8月17日付朝刊

東京新聞8月17日付朝刊

 

 

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暑い夏のいま 図書館から4冊借りている本 

2022年08月17日 | 乱読は楽しい

 下の本は 生物学者の福岡伸一さんが初めて書いた小説だ。読みやすく面白くて すぐ読んでしまった。

ドリトル先生とダーウィンがガラパゴスで出会うという山場の設定も面白いが 

ドリトル先生がイギリスからガラパゴスに辿り着くまでの奇想天外な空路が面白い。

寺島実郎さんは世界各地で多くの現場を踏んだ元商社マンの思索者にして語る人でもある。

読み始めたが 終わりまでたどり着くその過程が楽しみだ。

トップの2冊のうち 右の本は 五木さんと大塚さんの戦時の青少年期から戦後生き延びてきた体験のやりとりの対談を読んでいくと

 お二人が過ごした戦争体験は過酷という言葉も生やさしくて使えないほどの内容だった。

大塚初重さんという考古学者のことは 全く知らなかったが 週刊新潮の五木さんのエッセイ「生き抜くヒント」の中に 

大塚さんへのリスペクトと その死を悼む真摯な言葉があって、この本の書名を大切に挙げていたので、

すぐに図書館から借り出して読んだ。沢山の人に読んでもらいたい 忘れてはいけない日本庶民の現代史でもある。

 但しお二人は「弱きももの」では決してない。運の強さもあったかも知れないが 生命力も凄い二人だと思った。

 トップの左の本は まだ開いていないが

⇒ あなたが「思っている」と思っていることは、全部でっちあげだった!

「心の奥底には何かが隠されている」と、誰もが思いたがる。
心理学者や精神分析学者たちは、暗がりに潜むものを暴き出そうと奮闘してきた。
だが、神経科学や行動心理学の驚くべき新発見の数々は、隠された深みなどそもそも存在しないことを明らかにしている。
「無意識の思考」などというのは、神話にすぎなかったのだ。

わたしたちの脳は、思考や感情や欲望を「その瞬間に」生み出している……行動の理由も、政治的信念も、そして恋心さえも。
本書が紹介する数々の驚くべき実験結果を目にしたとき、そのことを疑うことはもはや不可能になる。
世界はどのように存在し、自分はどんな人間であるのか―それも、脳がもつ途方もない即興能力によって創り出されるフィクションなのだ。

認知科学をリードする世界的研究者が"脳と心"の秘密を解き明かす、超刺激的論考!

  という本の紹介文を読んでしまったからには 借出すしかなくて借りた。

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アイコンタクト   犬と三歳児          11年前の今日 2011年8月17日の本ブログに掲載

2022年08月17日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

10歳違いでもしっかり通じる犬と三歳児。犬は平成11年(1999年)1月生まれです。
彼は ムーちゃん、お水飲みたいって、とか、おしっこ したいから外に出たいって、と 犬のしたいことを周囲の人間に教えてくれます。

 

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まさか自分にはふりかからないと思うけど。冤罪は誰にでも いつでも起こりうる日本。

2022年08月17日 | SNS・既存メディアからの引用記事
2009年06月05日(金)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

裁判員制度の運用について、やはり関心を持ってしまう。そんな目で報道を見ていたらこんな記事が目に付きました。

「裁判員制度で冤罪どう防ぐ、志布志事件の元被告ら討論   裁判員制度」

「冤罪(えんざい)と裁判員制度を考える県民集会」が25日、鹿児島市の真宗大谷派鹿児島別院・大谷会館で開かれた。

被告12人全員が無罪になった県議選公選法違反事件(志布志事件)などの元被告らが、警察から受けた厳しい取り調べの実情を訴え

5月に始まる裁判員制度に対する意見を述べた。 


 警察から受けた悪質な取り調べを訴える出席者たち

冒頭、志布志事件関連の訴訟を担当する野平康博弁護士は「裁判員制度では、弁護士がすべての捜査資料を閲覧できなければ公平な裁判が行われない」と力説した。

 志布志事件で「踏み字」を強要された川畑幸夫さん(63)は「取り調べを全面可視化しなければ、警察の思うつぼで、

自分たちに都合の良い所だけを裁判員たちの前で流すでしょう」と厳しく批判した。同じく元被告の藤山忠さん(61)は

「『お前を死刑にしてやる』が取調官の最初の一言。とてもまともと思えなかった」と訴えた。

 婦女暴行容疑などで誤認逮捕され、服役後に冤罪と判明した「富山氷見事件」の柳原浩さん(41)は

「どうして自分が犯人として捕まったのかいまだにわかっていない」と語った。5月には国家賠償を求める訴訟を起こすという。

 1963年に女子高校生が殺害された「狭山事件」で、無罪を訴え再審請求を行っている石川一雄さん(70)は、別件で逮捕された。

公判では、身代金を要求する脅迫文の筆跡が石川さんの筆跡と一致しないなどの物的証拠もあったが、約30年間の受刑生活を送った。

石川さんは席を立ち、「もう一度裁判を起こしたい。そして自分の無罪を証明したい」と力強く訴えた。

(2009年4月26日 読売新聞)

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8月16日に目に留まったSNS・メディアの記事

2022年08月17日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文のサイトに飛びます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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このところの昼飯は 冷やしウドンや お好み焼きにシラス飯など

2022年08月16日 | ある日のランチ

 

80歳になると昼はこのくらいの量で 毎朝計っている体重がほぼ一定に維持されるようになった(笑)。

血圧も毎朝計りだして長いが 後期高齢者の許容血圧上限値の「150ー90」以下を維持できている。

 鯵の漬け丼                            焼き飯   ソバ焼きめし 

 

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11年前の今日 2011年8月16日のブログに掲載した 家の昼飯のナポリタンの画像をみると ボリュームはこれだけあった!

歳と共に胃袋の大きさも変わるようだ。

 ナポリタンと言えば 愛媛県新居浜市の工場独身寮「敬天寮」の食事に不満はなかったが、時々は違ったものが食べたくなった。

工場から歩いて5分ほどの所に、病院前商店街という小さな通りがあった。

給料日には仕事が終わると工場支給の作業着のまま、その商店街の“月光園”というレストラン(というか町洋食屋)に行くようになった。

 オーダーは毎回決まっていて、「鉄板焼きナポリタン」と「生ビールの中ジョッキ」だった。

熱いプレートに乗ったナポリタンは卵がからめてあって旨かった。

このささやかな月一回の楽しみにはいつも一人で店に行っていた。

 ナポリタンという食べ物を注文するのが恥ずかしかったのかもしれない。

今も家でナポリタンが出ると、なんとなくニヤリとしてしまう。

 当時は給料は銀行振り込みではなく 月給袋を課長から押し頂いてもらっていたものだ。

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諏訪信仰と風土伝える 映画ものがたりをめぐる物語           長野日報

2022年08月16日 | 諏訪便り

2022年8月13日 6時00分  映画に登場する諏訪湖の御神渡りに関する観察場面(ささらプロダクション提供)

諏訪地方を主な舞台に撮影された映画「ものがたりをめぐる物語」が完成し、27日に諏訪市文化センターで上映される。

諏訪湖面に張った氷の亀裂がせり上がる御神渡りや、受け継がれる神事を収録。

いにしえの伝承を読み解きながら、諏訪に息づく自然風土と人との関わりを伝える。

上映会は「すわ大昔フォーラム」の一環で、由井英監督(52)=南佐久郡川上村出身=らが作品紹介に訪れる。

映画は、諏訪大社の縁起物語とされる「甲賀三郎」伝説が軸となる。蓼科山(八ケ岳)の穴に入った三郎は、

地下の国の女性と結ばれるものの地上にいる姫が忘れられず、大蛇となりながらも再会を果たす物語。

御神渡りは、姫と妻のもとに交互に通う道として紹介されている。

作品は前編「地下の国へ」と後編「再び地上へ」の2部作。映像作品を手掛けるささらプロダクション(川崎市)が製作し、諏訪市博物館などが協力した。

2011年から諏訪で取材が始まり、11年がかりで完成した。

諏訪湖の映像も収められ、八剱神社の宮坂清宮司らによる御神渡りの観察、出現に伴う拝観式を記録。

自然や風土に畏敬の念を持って暮らす人々の姿を映し出す。

後編では諏訪のほか、東日本大震災で被災した岩手県陸前高田市の復興の軌跡も描く。

大津波に襲われ、多くの住民が高台にある諏訪神社に逃げ延びた話もあり、諏訪信仰を通しての縁を伝える。

由井監督は「諏訪に根差した物語を手掛かりに、これからの生き方を共に探る機会となれば幸い」と話す。

映画プロデューサーの小倉美惠子さん(59)は、諏訪地方特有の風土や産業などを掘り起こしたノンフィクション「諏訪式。」の著者でもあり、

「取材を重ねる中で、住民の深い郷土愛を感じてきた。映画の舞台であるこの地で封切り、一番最初に見てもらえたら」としている。

すわ大昔フォーラムでの上映会は参加無料。午後1時~4時。定員100人で先着順。申し込み、問い合わせは市博物館(電話0266・52・7080)へ。

 

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核持ち込み密約・官僚が国家間の闇取引を仕切る

2022年08月16日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
2009年06月01日(月)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

 今朝の報道によると「1960年の日米安全保障条約改定に際し、核兵器を積んだ米軍の艦船や航空機の日本立ち寄りを

黙認することで合意した「核持ち込み」に関する密約は、外務事務次官ら外務省の中枢官僚が引き継いで管理し、

官僚側の判断で橋本龍太郎氏、小渕恵三氏ら一部の首相、外相だけに伝えていたことが31日分かった。」

記事の全文は下記

◎ 国民が投票で選んだ議員ではなく、国家公務員Ⅰ種試験を受け、合格しただけでその職についた官僚が、国会以外の場で日本の国家運営の舵取り・判断をする。

事の是非や国益よりも、自分の任期の間に不都合な事が明らかになり「霞ヶ関幕府」に傷がつかないことだけが肝要で、そのことが幕府内での自分らの評価につながる。

 この「核持ち込み密約」はアメリカの関係公文書の情報公開期限が来て、アメリカの公文書では明らかになったが、

奇妙なことに日本政府はうやむやにしたままできた。

何故ここにきて4人の元外務次官がこのような発言をしだしたのか、

この報道ではその背景に触れていないが、そのあたりにも鍵があるのに、まだるっこしい。

次に続く取材のため、あえて今回は背景に深入りしないというならいいが、表面をなぞっただけのこの報道で幕を引くなら問題だ。

 4人の元外務次官がこの発言をしたという報道が正しいとすれば、その理由の一つに「プロトコール」があると考えられる。

 「どのような外交文書も国民のものであって、永久に秘匿されることなく一定期間が過ぎれば国民に公開される」というアメリカの公文書法がある。

この法律がアメリカで当たり前に施行されていわゆる密約が公になった。

 そしていわゆる密約のもう一方の当事者である日本政府の、現状の密約無視、あるいはなかったことにする秘匿行為は

職業外交官の感覚で言えば「プロトコール上」相手国に対する大いなる非礼になるはずだ。

はっきり言えばアメリカは「うそつきだ」と言っているに等しい。

水面下でアメリカからクレームが出ているのでは。

この報道を読む限りでは、外務省のシナリオは「元外務次官が内々に密約を認めることで、アメリカとのプロトコールを整合させ

国内的には、いまは死者となった小渕、橋本元総理大臣には伝えたのだから行政に責任はないことにしょう」というように見える。

IQの高い連中はなんと素晴らしいゲームを考えるものだと感歎するしかない。

麻生さん、鳩山さん!ここは長年の「国民対官僚」闘争の大いなる山場です。このような外務官僚の勝手気侭な行いを黙認したら、

未来永劫「霞ヶ関幕府」に「くにたみ」は支配されます。こんなことを許したらいけません。

 ある意味「議会制民主主義国家」を否定する「官僚制中央集権国家」の現状を認めることにつながります。

 二度とこういう行為が起こらない様に再発防止の仕組みを議会として作る必要があります。是非そういう問題意識をもって毅然としてこの問題に対応してください。

報道全文』

核持ち込み密約、外務次官ら管理 首相、外相の一部に伝達
 
1960年の日米安全保障条約改定に際し、核兵器を積んだ米軍の艦船や航空機の日本立ち寄りを黙認することで合意した「核持ち込み」に関する密約は、

外務事務次官ら外務省の中枢官僚が引き継いで管理し、官僚側の判断で橋本龍太郎氏、小渕恵三氏ら一部の首相、外相だけに伝えていたことが31日分かった。

 4人の次官経験者が共同通信に明らかにした。

 政府は一貫して「密約はない」と主張しており、密約が組織的に管理され、一部の首相、外相も認識していたと当事者の次官経験者が認めたのは初めて。

政府の長年の説明を覆す事実で、真相の説明が迫られそうだ。

 次官経験者によると、核の「持ち込み(イントロダクション)」について、米側は安保改定時、陸上配備のみに該当し、

核を積んだ艦船や航空機が日本の港や飛行場に入る場合は、日米間の「事前協議」が必要な「持ち込み」に相当しないとの解釈を採用。

当時の岸信介政権中枢も黙認した。

 しかし改定後に登場した池田勇人内閣は核搭載艦船の寄港も「持ち込み」に当たり、条約で定めた「事前協議」の対象になると国会で答弁した。

 密約がほごになると懸念した当時のライシャワー駐日大使は63年4月、大平正芳外相(後に首相)と会談し

「核を積んだ艦船と飛行機の立ち寄りは『持ち込み』でない」との解釈の確認を要求。大平氏は初めて密約の存在を知り、了承した。

こうした経緯や解釈は日本語の内部文書に明記され、外務省の北米局と条約局(現国際法局)で管理されてきたという。

2009/05/31 16:58 【共同通信】

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